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哲学いろいろ

ナーナイ語(2)

《山高み》のミは ナーナイ語からか(2)

ナ-ナイ語についておぎないます。
ふつうは 語例や文例を出して説明をするものであるところ 前回これを抜かしておりました。

-mi

 ・じつはこれは 動作主が単数のときのかたちです。複数では -mari / -meri となります。
  主動作に対して副次的な動作が 同時に(あるいは同じ情況において / そこに伴なわれているかたちにおいて)起こっていることを示す接辞です。


 (1) この《同時性》は いくつかに分類されます。

  (あ) 単なる付帯情況であることを示す。
  (い) 主動作の様態であること。
  (う) 原因・理由
  (え) 目的
  (お) 名詞用法:《読み‐ mi 始める》⇒《読みを始める=読み始める》
  (か) 同時並行の動作であること:《・・・しながら》
  (き) 同時性を否定形において示す。《・・・せずに / ・・・しないながらも》

 (2) ここでは (う)と(き)を例示します。

  (う) -mi :原因・理由を示す文例:
  (α) Aoyam-ba   galo-mi    songo -asim -bi.
   =  許婚‐を  憎らし‐ミ  泣く‐に非ず‐〔我れは〕。
   = いいなづけが 憎いから 泣くのではないよ。

   * ちなみに 《 Aoyam-ba 》の《 -ba =‐を》は 日本文で 《いいなづけ‐を‐ば》という事例に現われる目的格ヲの補充形のバとつながるかも知れません。《何ばしょっと?》のバだと思われます。


  (β) Kholaori -ba  ulesi -mi, nyoani tultul   dangsa -ba  ga- di,  biblioteka -du dyapai   ta -kha- ni.
  =   読書‐を   好き‐ミ、 彼は いつもいつも 本‐を  買っ‐た、 図書館‐で  借り〔‐を〕 し‐た‐〔彼は〕。
  = 本が好きゆえ 彼は いつも 本を買ったり 図書館で本を借りたりした。


 (き) em < e - mi =《無い( e- )情況をともないつつ( -mi )》の文例:
 * これは わたしの参照テキストが旧いもので その当時の社会情況を反映した文例となっています。
 * -mari は -mi の複数形です。

  (γ) Kapitalista-sal  mene     kusun -dieri  em  dyoboa -mari  boldi -tyi.
  = 資本家‐たち〔は〕 みづから〔の〕 ちから‐で  え  働か‐ずして 生活する-〔彼らは〕。


  (δ) Mi  ini -be  tias    em   tainde -mi   dyobo -kham -bi.
   = 我れ 日‐を 丸まる  え  休ま‐ずして  生活し‐た‐〔我れは〕。
   = わたしは 丸一日 まったく休みをとらずに はたらいた。

  * アウ゛ローリン( АВРОРИН, В.А.):ナ-ナイ語文法( Гρамматика нанайского языка)に拠っています。
  * ナ-ナイ語は その周辺の――昔では マンチュー(満州)語や あるいは―― エベンキ語 そしてさらにはモンゴル・チュルク系ともつながりのある言語のようです。島のごとく孤立しているわけではないようです。
  * わたしは 趣味で研究しましたので 仮説としてお受け取りくださるようお願いいたします。