caguirofie

哲学いろいろ

 N の話(8)

ぬ(完了相)

夏は来‐ぬ のヌである。
衣(ころも) 干し‐つ のツ(完了相)と照らし合わせる。


ツは 人為について遣い ヌは 自然過程について遣うと言われる。

おそらく ヌの N が あたらしい情況や状態に同定している――つまり 《夏が来ている》というあたらしい状態に同定して表わした――か それとも そのウラで ふるい情況を否定するかたちで同定しているかだと思われる。
後者のばあい 《来る》という動作ないし情況の変化が 新局面の同定および旧局面の否定を示すことによって 完了したと言い表わしたものか。《夏が来てしまった。来てしまっている》と。


ツの T は 他称相ないし一回相・放出相だと見られる。一回ごとの行為が成ったということを示して 《干すことを終えた》という完了相で表わしたか?



たとえば 英文で

  • go - went - gone
  • do - did - done

と時制の変化をする。つまり ちょうど 子音の問題として取り出すなら T と N の相活用にあたる。
wen-t の T と go-ne の N とである。
後者は 《行ってしまっている》というそのあたらしい状態・情況が 同定されている。と言える。
前者は 《行く》という行為が そのときの一回としての動作として成ったことを示す。そういう完了相である。
つねに T と N との対比というかたちにはなっていないが。むろん T が D に変わってもそれは 同じと見なすわけである。

  • say - said - said
  • learn - learned / learnt - learned / learnt
  • show- showed - showed / shown

一般にいわゆる過去分詞形に N が現われるのは 納得できる。あらたな情況や状態の出現を同定しているからである。

  • see - saw - seen
  • take - took - taken