caguirofie

哲学いろいろ


 (こ) これは愛嬌ですが 英語では name 名 に / n /=同定相が見られ そして確かに同じ子音が no; not  無い には じつに否定相が見て取れます。と同じように 日本語では na な(禁止法); na-si 無し; nu ぬ(否定法の補充用言(助動詞))といったふうに軌を一にしているようです。

 (さ) なぜ同定相が否定相に鞍替えするのか? コインキデンティア・オッポシトールムなのでしょうね。両極は相通ず。《留守》は もともと外出している人の代わりに家にいる人を指していたのが 意味は反対の側にまわってしまって 《外出している人が 家にいない》ことを示すようになった。
 A を同定していたのに いつしか 非 A を同定するようになった。つまりは もとの A について否定するように相が変わった。と。

 (し) 補充用言(助動詞)に 完了相の nu ヌ があります。夏は来ヌ。このヌは・つまりその子音 n は 同定相でしょうか。それとも 否定相でしょうか? それまでの状態や情況について否定し あらたな状態や情況について同定している。しかも 《来てしまった》というように完了相で言っていても 来てしまったその夏は いまもいるといった継続の相が見られないでもない。だとしたら それは 同定相のゆえである。

 (す) なぜなら 同じく完了相の tu ツ については 涙落としツ と言うとき隔定・放出相がはたらいてその《落とす》という動作が一回きりでありまた継続はしていない。といったニュアンスを帯びさせています。
 
 (せ) これらは 子音としての音素 n や t がすでに意義素でもあってその帯びる相が 語に反映していることを表わします。

 (そ) ちなみに 愛嬌ではありますが 英語の語例(文法例)をも見てみてください。

   go went gone
   do did done

   see saw seen
    eat ate eaten
   take took taken

 完了相としてやはり 同定相・否定相の / n / と隔定・放出相の / t・d / とが使われているではありませんか。いわゆる過去形と過去完了形との両者の使い分けがにくいぢゃないですか。