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哲学いろいろ

 イの折れ の話(1)

イの折れとは

昔むかし のちに日本語として形作られる言葉には 母音として オともウとも定まらない ァゥないしゥァのような音がありました。オ・ウムラウトとしての

ö
です。
これは その後 オとウとに分かれて発音されるようになって行った。

  • nögö-hu 拭ふ=ぬぐふ・のごふ
  • önö 己= おの-れ;うぬ-ぼれ(自惚れ)

この ö に限らないのですが 母音はその落ち着きを求めて その後ろに いま取り上げている イ という母音をつけ添えたもののようです。
これは 或るいは のイです。《こと》という意味を持ってもいるようです。《或ることには》と言っています。

  • mö :身(=も・む): 蛻(身(も)‐抜け)・骸(身(む)‐くろ(≒殻))

→ mö-i > mi ⇒ 身(み)

  • kö 木(こ・く):こ-すゑ(木-末=こずゑ=梢)・く-だ-もの(木-の-もの=果物)

→ kö-i > ki ⇒ 木(き)

このように使われています。
たとえば クリスマスと言いますが クリストとはなかなか言わず キリストと言い慣わしています。これも イの折れが作用しています。

  • Christ > k-i-ris-u-t-o

あるいは

  • 銭 せん→ せん-イ ⇒ ぜに
  • 楊 yang → やんg‐イ ⇒ やなぎ(柳)
  • 質 しつ;しつ-イ⇒しち(ひち)


 これは イのおぎない といった現象ですが 発音がイのほうへと折れて行くという見方をして イの折れと言うようです。
英語でも

  • Abraham アブラハム > A-i-braham アイブラハム > A-i-ibraham エイブラハム
  • David ダヰデ > Da-i-vid  ダイヰド> Dai-i-vid デイヰ゛ッド

イの折れを入れると 発音に落ち着きが出るようなのです。
つねに ではありませんが。あるいは どの民族の言語でも とまでは行かないかも知れませんが おおむね そういった傾向があるようです。


韓国で 子音終わり(パッチムあり)のばあい やはり この イの折れを使うようです。
クヲン・オボク(権五福)という名のばあい オボク氏とかオボk-ア > オボガ と言って呼ぶことがあるその別の面では オボk‐イ > オボギ という言い方で そのひとを特定するようです。