ワビサビの美
としての要素を 乱暴に取り出してみます。
(1) 《うつくしさ》とは何かにかかわるその何か。【第一次の美】
(あ) わが視界に映ったものごとの言わば構成というもの。(ほかに聴覚の場合があるらしい)。
(い) つまりは全体としても部分としてもその色かたちなどなど互いの配置具合いないしそれらの対比関係。
(う) しかもその視像がわが心の悩みや悲しみやの傾き(もしくは傾きのない秩序としてのやすらかさ)と響き合うような構成であること。
(え) (う)を基礎として全体を捉え合わせると こうなります。《わたし》を含めた《世界》の成り立ちについてまで その美の対象が そのうつくしいという感覚となって言わばニュートリノのごとくわたしの過去と現在とをつらぬいて 見えるようにさせ わたしと世界とを分からせてくれるということ。
(2) わたしが 美を感じるそのものごととどう係わってきているか。わたしの《生きられた時間》がどうであるか。《わたし》と――ほかの人びとをも交えた情況や環境における――美の対象との交わりの歴史。【美をめぐる背景】
(3) 社会における評価の問題。特に経済的価値にかかわるそれ。【第二次の美】
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こころ
なき身にも
あはれは
知られけり
鴫立つ沢の秋の
夕暮れ
(西行 新古今和歌集・秋上・362)
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鴫が何羽か飛び立ってがさがさと音を立てている。それでもわが心はいつものように沈んでいる。
いつものことなのだけれども いまふと そこから妙にみづみづしくてしかもあたたかいものが湧き上がって来る。
ひょっとして これが 世界か? これが わたしなのか? これが 人間というものか。
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☆ この解釈によれば たとえ負け惜しみであっても そこには天与のとも言うべきヒラメキがおとづれたと言おうとしています