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奈良・中西遺跡(弥生時代前期の水田跡)

<奈良・中西遺跡>弥生前期最大の水田跡 高い計画性と技術

毎日新聞 11月9日(水)1時31分配信

 奈良県橿原考古学研究所は8日、同県御所市條の中西遺跡で、弥生時代前期(約2400年前)としては国内最大の水田跡(約2万平方メートル)を発見したと発表した。水田が河川の氾濫による土砂で埋まった後、大規模開発などが行われなかったため地中に残っていたとみられ、橿考研は「当時の水田開発の仕方が非常によく分かる発見」と評価している。

 発掘調査は京奈和道のインターチェンジ工事に伴い今年4月から約1万3500平方メートルで行われている。
 同遺跡は緩やかな傾斜地。水田跡は約850枚あって、いずれもあぜ道で細かく区切られ、1枚あたり東西4メートル、南北3メートルほどの小さなものが多かった。水田に水をためるためには、地面を水平にする土木工事が必要で、橿考研は「1枚あたりの面積が小さいのは、土木工事の労力を抑えるためでは」とみている。

 今回の調査では、水田跡が約9000平方メートル見つかり、過去の調査で確認された約7000平方メートルに加え、隣接地で継続中の発掘調査でも現時点で約4000平方メートルを検出。合わせると約2万平方メートルになるという。

 これまで弥生時代前期の大規模な水田跡としては、服部遺跡(滋賀県守山市)が約1万8700平方メートルで最も大きく、次いで池島・福万寺遺跡(大阪府八尾市・東大阪市)の1万8000平方メートルだった。調査した橿考研の本村充保・主任研究員は「水田を開発する高い計画性と、実行するための技術力・労働力が備わった集団が周辺にいたことが分かる」と話している。