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哲学いろいろ

昭和天皇の戦争責任

昭和天皇の戦争責任について問います。
わたし自身は 責任じたいをも問うという立ち場です。次の記事をたたき台とします。
 ▲ ヰキぺ:昭和天皇の戦争責任
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB

 ☆ とは言うものの わたしの考えは いたって単純で いちばん上の地位にいた人だから 責任を負うというものです。つまり
 ▲ 法理を問えば「君主無答責」となり、社会を問えば「政治的責任の有無」となり、国家を問えば「現実の東京裁判」となる。
 ☆ というとき 《社会を問えば「政治的責任の有無」》の観点からのみ わたしとしては問題にしています。あるいは 《共同生活としての社会》的責任です。負けたのだから 責めを負うでしょう。

 ▲ 昭和天皇マッカーサーとの会見で、戦争責任は日本国民にではなく、すべて自分にあると述べたとされている。
 ☆ ゆえに その責任は 連合国に対する表明だけに終わるのではなく 日本国民に向けても有効であるし その責任を取って退位するべきであったと考えます。マッカーサー向けと国民向けとで ふたつの顔があると言うのであればおかしい。

 そのあと 国際関係としての政治的な問題はさまざまにあるかとは思いますが 国民の思いと考えで・また相手との関係において 対処するというふうにごく単純に考えています。