マスメディアの戦争責任
http://www.owari.ne.jp/~fukuzawa/masmedia.htm
2.子供たちの戦争
「敗因について一言いはしてくれ。我が国人があまりに皇国を信じ過ぎて英米をあなどつたことである。…我が軍人は精神に重きをおきすぎて科学を忘れたことである。…軍人がバツコ(編注、いばっていること)して大局を考へず進むを知つて退くことを知らなかつたからです」(「皇太子への手紙」)
「私がもし開戦の決定に対して「ベトー」(拒否権)をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない。それは良いとしても、結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦もできかねる始末となり、日本は滅びることになったであろうと思う。」(記者会見で)
「戦争責任についてどう考えているか」との質問に、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」(記者会見で)
6.大新聞の変節の陰で
坂野潤治さんは「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書、2004年)
<昭和10年に美濃部達吉の天皇機関説が攻撃され、彼の主要著作が発売禁止になって以後、あるいは翌11年の2・26事件以後、日本国民は戦争とファシズムに向かう世界や日本国内の動きについて、全く情報が得られず、またそれらの動きに反対する意見表明の自由を全く持てなくなった、と今でも信じている人が少なくない。日本国民が昭和12年7月の日中戦争を阻止できなかったのは、言論と言論の自由が無かったからであると、今でも信じているのである>
<しかし、これは当時の資料を直接読まなかったという怠惰の結果作られた、誤った「伝説」にすぎない。戦争が始まる前には、反戦を説く自由も、反ファシズムを唱える自由も、全く無制限とは言わないまでも、存在しており、事実多くの政治家や知識人は、内務省検閲の網をかいくぐって、国民に情報を伝え、反戦・反ファシズムを呼びかけていたのである。いったん戦争が始まってしまえば、反戦・反ファッショの言動は禁止されるが、そのことは、報道の自由が無かったから戦争が始まったことを意味するものではない>
<報道の自由、批判的言論の自由を奪われ、軍部の無謀な戦争計画を知らされていなかったから、日本国民はあの戦争に反対できなかったという「戦後神話」は、全くの虚構なのである>
雑誌や地方の新聞のなかには、こうした状況に屈せずに抵抗したものがあった。その具体的例が佐藤明夫さんの「戦争動員と抵抗」や坂野潤治さんの「昭和史の決定的瞬間」の中にたくさん取り上げられている。
議会での自由な発言は民主主義を計るバロメーターである。昭和12年1月の帝国議会で、浜田国松代議士は、寺内陸相を相手に、「最近の軍部をみるに、あなたがたは独裁の道を歩んでいるのではないか。軍人は政治に関わってはならないはずである。軍という立場で政治を行うところに危険がある」と噛みついている。このあと陸相に「腹を切れ」と詰め寄り、内閣が解散するわけだが、この段階でまだ議会はまだ余命を保っていた。
議会が死んだのは、昭和15年、民政党の斎藤隆夫代議士が「聖戦の意義」を問う「反軍演説」をしたのに対し、議会自らが軍部に荷担して彼を除名し、「聖戦貫徹に関する決議案」を可決したときだ。
昭和6年の満州事変以前は、国民の大半は戦争に反対だった。満州事変以後、雰囲気がかわったが、まだ反対する人々がいた。大新聞はこうした人々を見捨てて、戦争の側につき、これを弾圧することに手を貸した。そして戦争中に部数を大幅に伸ばし、軍人達と酒を飲んで我が世の春を歌っていた。
★ 死者に鞭打つような行為
☆ その人も こう言ってくれるかも分かりません。
わが愛する日本の国と人びとのためならば そしてひいては
世界の人びととの共生のためならば 鞭でも何でもどんな批判
をも 余は歓迎したい。
諸君よ 万機公論に決すべし。
英霊らとともに 諸君の活躍を見守っておる。
元気でのびのびと自由にしっかりと けんかをしあうくらい
にみな仲良く ふたたび力強いあゆみを始めてくれたまえ。
くれぐれも言っておくが 重臣の甘言には気をつけたまえ。
余をほめたたえる上ずっぱな言葉には注意をなすべし。それ
らは 何の益にもならず。害を振りまくのみなり。
【Q:天皇を殲滅】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5494914.html
諸藩を取り潰ししたり、強大な権力を持っていた徳川政権下(今のトヨタや名古屋県人気質と瓜二つですが・笑)でなんで、天皇を殲滅しなかったんでしょうか?
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☆ という質問に次のように答えました。ご質問とは少し観点が違っていますが 歴史的な基礎ないし社会的な土壌としては 同じような情況としてひとつの答えになるのではないでしょうか?
☆☆ (その回答№8) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ずばり 《くにゆづり》をしたからです。
まぁ 神話ですが 日本人のこころの真実を表わしていることでしょう。
アマテラス(公民)族が スサノヲ市民らに 服属せよと要求した結果――長年をかけて何人かの使者を送り首尾よく行かないまま ほとんど争いはなく経過していくのですが―― 根負けして《ゆづった》のです。
イヅモのくにの市民スサノヲたちは 社会の第二階に・あるいは雲の上に アマテラストゥーム( das Amaterasutum )をこしらえて あたかも神だなに据えるごとく 住まわせたのです。さわらぬ神にたたり無しという消極的な側面も出ていたのでしょうね。殺し合いを嫌ったからです。何としてでも 人殺しを出さないことを旨としました。
ゆづったからには ちょっとやそっとでは 返せとは言えません。まだ千五百年ほどでしょう。
ただし その第二階であるアマテラス圏において クーデターが起こって 《天皇の殲滅》を企てたとしてもおかしくないかも知れません。まぁ 仲間内の争いということで コップの中の嵐におさまるということでしょうか。そう見とおしたというところでしょうか。
ゆづられた側は ひとの気持ちがわかるようなら うんとかすんとか言葉を返してくるでしょうね。
まぁ アマテラス族は 優秀なのでしょう。アマテラス公民については つい最近まで無謬性がつけ添えられていました。
とは言うものの スサノヲ市民の誰ひとりとして いま有るのは万世一系でない者はいないのですが。
それにしても アマテラスとスサノヲとは 互いに実の姉と弟ですよね。
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