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哲学いろいろ

スサノヲとアマテラスの物語

一人の人にとって 身体と感性はスサノヲであり 精神と理性は――ひかりとしての印象で――アマテラスです。


ただし この知性をになうアマテラスも 基体としての存在であるスサノヲに――無条件で――もとづいているのだし そもそも このスサノヲの内に アマテラス能力が存在している。(頭脳は 神経細胞として スサノヲ身体である)。


ところが しばしば 近代人は 頭で立つという状態になってしまった。

スサノヲを市民とすれば アマテラスは公民であり このもっぱらの公民(公務員)であるアマテラスは みづからの圏域を社会に作ってしまった。単独分立。


すなわち スサノヲ市民社会に対して その第二階として アマテラス圏を作った。社会は 二階建てになった。昔は 雲の上という階もあった。


しかも 頭で立つという逆立ちの状態になっているのではあるまいか。


わがスサノヲ市民は きわめておとなしい国民であるそうな。