caguirofie

哲学いろいろ

あたらしい世界と日本

 すべての人に対してすべての者になりました。
 かのエウロパの紳士たちが芥子の樹脂を売ってお隣りの人びとにまぼろしを見させているという話を耳にしてぶったまげました。
 かなしいかな われわれもこの商売をついには やるに到りました。その結果に到る前には その領土にも入って行きました。侵しました。

 すべて真似をしました。下手な真似をしました。すべては所詮 真似でしたが 真似であり下手であったことがわざわいしたとも考えます。マチガイのあり方以上に 罪を背負い また背負わされるさだめに遭っています。
 かの人びとが世界を獲るのなら こちらも同じことをやってやろうと考えたかも知れません。軍艦もつくりました。飛行機もつくりました。
 その果ては 取り返しのつかないことをしてしまいました。お隣りの人びとから信頼を取り戻すことの出来ない崖っぷちにまで みづから すすんで行ってしまいました。

 ここでこのわたしたちにわづかでも弁明があるとしたら それは
 すべての人に対してすべての者になりました。
 という言葉です。下手糞なわざでしたが 最後までおこないました。変な意味で成し遂げました。さすが西のほうの人びとは いいところで留め置くわざを持ち合わせています。田舎者のわれわれは おしまいまで突撃して行きました。

 それでもこのあたらしい世界において われわれもその人間の尊厳を取り戻したい。是非ともあたらしく生まれ変わりたい。少しでもつぐないをしようとつとめて来ています。まだ足りないでしょうが 生まれ変わります。取り返しのつかないところを取り返したく思います。成果がないわけではないと思います。
 戦争犯罪を問われれば ゆづりますが 存在を問われれば われらここにありと堂々と言います。あたらしいわが国とそして世界を築きます。
 どうか世界の中の一人ひとりの存在としておつきあいを願いたい。