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哲学いろいろ

Augustinus : De agone christiano

( Augustinus : De agone christiano ) 
 しかし 

    自らに人間性を引き受け 女性から生まれ 罪びとたち
   からありとあらゆる苦しみを受けるという仕方でしか 神
   の知恵は人間を解放することができなかった

 と言う人々は愚かであろうか。
 それらの人々に対して われわれははっきり言おう。

    もちろん 神の知恵は別の仕方でも人間を解放すること
   はできた。しかし たとえ違った仕方でそれをしたとしても
   あなた方の愚かさを満足させることはできないであろう

 と。
 というのは もし神の知恵が罪人の目に現われてくださるのでなければ 内なる目によって見られる その方の徹底的に永遠の光を 汚れた精神は見ることができないのである。

 ところが今や 目で見ることのできないものを見るための備えをするために 目に見える仕方で〔現われて〕われわれに注意を促すことを 神の知恵は敢えて決心したもうたが その方が黄金の体を持たなかったということが貪欲な人々の気に入らない。
 女性から生まれたということが不道徳な人々の気に入らない(というのは 不道徳な人々は 女性が妊娠し 子供を産むことをとても嫌がるからである)。
 辱めを徹底的に堪え忍んだということが傲慢な人々の気に入らない。
 十字架につけられたということが優雅な人々の気に入らない。
 死んだということが臆病な人々の気に入らない。
 そして 自分たちの悪徳を自己弁護していると思われないために このこと(弱さ)が人間のうちにあることが気に入らないのではなく 神の子のうちにあることが気に入らないのだ と彼らは主張するのである。
 それは 人間性を受け取った神の永遠性とは何か そして 自らの変化から以前の確固不動へと呼び戻された人間の本性とは何か ということを 彼らは理解していないからである。
 われわれが・・・
 (第十一章 森泰男訳)