caguirofie

哲学いろいろ

#14

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第四章c 歴史の明け方――やはりスサノヲ物語――

ランボーの原詩にもかれの史観を見よ。前史から後史への回転にかんする過程をかれが観想したものを見よ。

・・・
ブルジョワジの同じ呪術が到るところで見られ われわれの《わたし》が廃せられる。物理学者の直観がこれを捉えて こう証言する。――

この霧に包まれた身体の悔恨(前史の死)をもはや誰も通過しようとしない。なぜなら この事態(この眩暈)を思うだに身はさいなまれ〔人は道化になるか 精神の王国へ走るかする以外になくな〕るからだ。

そうではないのだ。この蒸し焼きの地獄 〔前史の〕海の狂暴 〔疑惑の〕地下室の大騒擾 全地球の〔呪術への再びの〕開放 これらにつづいて大いなる死がやって来ることは 聖書も運命の女神たちもあまり語って伝えなかったとは言え 誠実の覚めた精神には見透されたことだ。(すでに昔 この死を死んだ人〔たち〕がいるのであり かれらによって この死が死んだことは 言わず語らずに 人びとは知っているのだ)。しかし なかなか伝説どころの話ではないのだ。
(A.Rimbaud:Soir Historique =〈歴史はかくて夜始められる〉)

これが 歴史の明け方すなわちスサノヲのミコトの物語の問題なのだ。人びとはなぜ 暮れ方を通過しようとしないのか。精神において過ぎ越の祭りを見ようとするのか。
わたしは あたかもきみたち〔の欠陥〕を焼き尽くそうとして言っているかのようである。しかし 殺そうと思ってなら もっと見え透いたあるいは巧妙なペテンを用いたであろう。人はわたしに倣って 完全な者になりなさい。


   ***


(補注)さらにくどいように。――
なぜなら 《わたしに倣って きみたちは完全な者になりなさい》という表現は 次の文章の一節を読むとき 固有に林達夫じしんのものだからである。
ヴァレリの主知主義 intellectualisme これが 前史から後史への回転の基軸(そこでは《ピン》とある)だと林は論じたかのようである。

よく引用される文句であるが ヴァレリーはこんなことを語っている。

三十年も前のことになるが 大都会に関して頗る立派な論文を書いた一友人があった。私は驚かざるを得なかった一つの欠陥をそれに見つけたので 彼に注意してやったことがある。

大都会ではたくさんの人々が狭い場所に寄り集まっているものだが それに君はまるで気がついていないらしい。しかもこの実に単純極まる注意の中に何と多くのことがあることか。君の文学者的本能に一杯喰わされて 君は無限に豊富なところのある本質的な一観念を知らぬ間に取り逃してしまったのだ。

と。

或る批評家がこの言葉をアランの《幸福論 (岩波文庫)幸福論 (岩波文庫)》のひとつの寓話としているのは適切である。

赤ん坊が泣いて あやしてもすかしてもどうしても駄目なとき 乳母はこの若い性格や その気に入っていること気に入らぬことなどについてこの上もなく穿った推測をあれこれとよくやっている はては遺伝のことまでに助け船を求めて 早くも子のうちに父を認めるのである。これらの心理学の試みは 乳母が一切の実際の原因たるピンを見つけるまで続けられるのである。

言うまでもなく ピンはいつでもすぐ見つかるものとは限らないし またピンが万事を説明するというわけのものでもない。しかし現代における《主知主義》の代表者たちは 期せずしてピンを探すことの大切なことを力説しているのである。これが一体《主知主義》というものであろうか。或るいは若しかして《主知主義》のピンがそれなのであろうか。
林達夫主知主義論――ヴァレリーの場合――  《思想の運命 (中公文庫 M 97-3)》昭和十四年七月)

主知主義》と言うかどうかを別として 林自身がここで〔も〕 《わたしに倣って 完全な者になりなさい》と言ったのである。人はこのことを明確に自分の精神の胃袋に呑み込むおさめなければならない。その上で 時に批判的な見解にしろ 各自の主張が生じてくる。この文章の――つまり林さんの文章の――《大都会》の その文字や概念の組み立てなる《狭い場所に寄り集まっている》べきなのではない。それが 林じしんの真意というものなのである。
主知主義にしろ何主義にしろ ヴァレリがどうだこうだにしろ 人生の巡礼の道にくらべれば どうでもよいことなのである。この前史から後史への回心を通過したとき ヴァレリにしても林にしても かれらもわれわれのその道に復活して来るという《巡礼――市民の祖国への――》であるにすぎない。
わたしは この補注の部分は きわめて分析的に述べた。
しかしさらに次のようにことばを継ぎ足せば人は 納得するのであろうか。

林達夫がヴァレリについて言った(そして同時代のフランス文学者たちの 誰もそのようには言わなかったと僕には思われる)次の言葉。――と大江健三郎は書く。

彼(ヴァレリ)の基本問題は――と林は書く―― 《作る(ポイエーシス)》ことの秘密を探ることだり その作る道具としての知性をその全ひろがりにおいて究め尽くすということであった。知性を認識の道具としてのみ見ずに 創造の道具として見ている点が――否 見るばかりでなく 練磨してゆく点が そして何より大事なことだがそれを使ってゆく点が――若し主知主義という言葉に固執したいとならば ヴァレリーの《主知主義》の本体だと言われ得るであろう。
だが この《主知主義》は 《人間は何を為し得るか!》というテスト氏の沈痛な叫びをその基調に有していることを忘れてはならない。
さて 人間――為す――を戯れに組み合わせてみると Homo faber になる。或るいは行動的ヒューマニズムにもなる。 Homo faber と Homo sapiens との関聯 ヒューマニズム的行動――現代の偉大なる思想家たちの問題はみんなそこらあたりを旋回しているらしいことを注意する必要があるであろうか。

僕はあらためてに林自身にこの言葉を冠するようにして われわれの国の同時代最上の思想家のひとり林が 歴史家としての本来の労作に立ち 文学という《作る(ポイエシス)》ことの場に歩みでてくれたこの本を 自分を励ますためのひとつの源泉とする。
大江健三郎林達夫思想の運命 (中公文庫 M 97-3)》への解説 1979)

《林自身に冠せられたこの言葉》 これは 前史から後史への回転を言い当てている。しかも そのものを分析した文章である。《この本》が《源泉》なのではなく 源泉つまり本史つまり愛の推進力は この本そのものにはたらいているであろうが この本そのものではない。われわれも この愛の推進力そのものを捉えたのではない。またこれを描いて見せることは出来ない。けれども 何が源泉ではないか つまり 神は何であるかではなく何でないかを示すことは出来る。
林は この本を源泉としてそれを書いたのではない。ならば この本を〔ひとつの〕源泉とするのではなく――もし林に倣うというのであれば―― かれ自身の源泉に倣う必要がある。少なくとも その源泉を言外に捉えて これを飲みまつる必要がある。歴史はそのとき始められるのであって その歴史に到ろうとして《自分を励ます》ことの中にはない。
それは 準備段階でもない。つまりすでにきみに歴史が始まっているのなら たしかにこの準備段階=前史を前史として認識しているのであろうが すでに述べたように その後史に立ったきみは もはやその後史がきみの前史をも覆っているのだ。じつに人は すでに神が何でないかを認識するなら かれは神は何であるかを見たのだ。もはや生きているのは きみではなく 《自分を励ましているきみ》ではないきみ自身なのだ。
《人間は何を為し得るか》の問いと疑いとその疑いの死をすでに通過したからだ。なお腑に落ちない人は わたしに尋ねてはならない。きみ自身に問いたまえ。
きみはこのことを ただ( gratis )で獲得したのだ。只より高いものはないのことわざどおり 後史に立ったかくなる上は きみは もはや愛の奴隷となるとさえ考えられる。《行動的ヒューマニズム》どころの話ではないのだ。林の言いたかったことは これが人間の自由だということにすぎぬ。
林の文章にはもう一度触れる機会があるやも知れぬ。
(つづく→2007-04-30 - caguirofie070430)