caguirofie

哲学いろいろ

#15

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第五章 歴史の明け方――イザナキ・イザナミ物語――

スサノヲのミコトに歴史が始まったということは 呪術世界からの解放であったし 必然の王国の第一の克服であったが それは 狩猟・採集・漁労の自給自足的な経済生活が解体しつつ 一般に農耕が開始され 生産物の余剰が発生したという歴史の過程と相即的であったと考えられる。このことを付け加えて述べなければならない。
日本では おおきな流れとして見て 縄文時代から弥生時代への移行の問題である。
じつは この世の社会の統治者であったアマテラス かれ(かのじょ?)も すでに呪術の世界から――つまり 必然的な生誕と生活と死との世界から――はやく解放された存在であった。わづかにアマテラスは この解放のすべてを疑わなければならなかった。或る意味で後史としての解放を疑わなければならなかった。自分には 解放が成ったが 皆には無理ではないかという疑いを残した。つまり まだ 啓蒙の状態にあった。つまり 解放あるいは前史から後史への回転としての回心 これが 真実であって欲しいというかたちでの悟りであった。ものと思われる。
それは 人間のうそ( Homo mentiens )の問題でもある。それは アマテラスが 呪術への疑いから出発して呪術から解放されたのだが アマテラスが はじめの疑いを保つことによって 解放を獲得したと信じ込み 従来の呪術による生活様式を 疑いつつ 統治した。生と死の克服という後史の解放を 疑いの中に 獲得したというしろものなのだと考えられる。
あるいは かれは ほんとうに解放され後史に立ったかも知れない。そのときかれは 
なお初めの疑いを愛し 人びとの解放されることを欲しなかった。むしろ その解放をゆるさず 阻むようにし 解放者による非解放者の支配という虚偽を――これも 一種の愛だと言わなければならないのかも知れない――愛したのである。まだ 《嫉む神》の時代であったのかも知れない。スサノヲは しかし この疑いを克服するさきがけとなった。
これが 歴史の明け方であり 明け方の問題である。


   ***


縄文時代に 余剰の食糧 余剰の生産力(生活力)がなかったのではない。これを余剰と認識しなかっただけである。やがて この余剰を余剰と認識しないことが 虚偽となっていくが 縄文人は 余剰の放棄にうそはないと信じて疑わなかった。中でアマテラスとよぶべき人びとは これを疑い始めたのである。
縄文人の呪術にもとづく生活は 余剰の無の中で 自己が自己であると信じて疑わなかった。ムラの人びとの だれも余剰たる存在ではなく みなが一人ひとり主体であった。解放前の解放が 成就されていた。その意味でも自給自足であった。このことを疑わなかったということは その生活を愛するという自覚なしに 愛していた。自然に成った木の実を採集して食べるという生活が 《ゆたかな狩猟・採集社会》にまで達したと想定されている。生活資糧の備えをほどこさなかったのではない。備えは 余剰とは考えられなかったのである。ここでは 交換という行為は起こらなかった。
アマテラスがこれに疑惑を呈した。ひそかに。あるいは すでにこの疑惑が示された社会(外の土地?)から この縄文の日本列島に新しくやって来たのである。弥生人の先駆者である。この疑惑というのは いわゆる《わたし》の自覚であるとも言わなければならない。アマテラスらは 開明の人である。
このアマテラスが 渡来人としてのイザナキ・イザナミであったとも考えられるし イザナキ・イザナミは むしろ縄文(ないしそれ以前)の最初の人たちであったとも考えられる。記紀などの伝えるところから 両様の解釈が考えられる。つまりそれは 命名じょうの問題であるが 最初の社会・エデンの園の住人であったとも あるいは あは(粟)なる穀物を持ってやって来たという意味での最初の人たちであったとも。つまり 栽培ということを 初めて いとなんだ人たちであったとも。
イザナキ・イザナミの渡来によって 縄文人の社会が 農耕を知ったのだとすると その農耕生活の中から 余剰の問題が生じて これに疑惑を持った つまり従来の信仰に対して疑惑を持った人が生まれた。わたしが 森羅万象何にでも憑依してその自然状態において生活するというわたしは 解放のようでいて 解放の自覚すらないではないかと。これを 仮りに アマテラスと名づけて話をすすめるのである。アマテラスは 精神の光を表わすゆえ。
このアマテラスに 余剰の認識が始まり それの所有と交換が始まる。人間もしくはその生産の力にも 余剰なる概念が生じた。差異が 自覚のうちに生じるゆえ ゆくゆくは 支配関係が生まれるのである。なぜなら 武力・暴力など物理的な力による征服をいま除外して考えるなら 余剰の交換をとおして 必要最低限の資糧にもからんでいくところの債権者と債務者との関係が生じたからである。人間は自給自足なる愛の主体であったから みなただちに 無償の譲渡に甘んじるわけには行かなかったのだ。債権放棄による恩情を 必ずしもいさぎよしとはしなかった。
スサノヲは――そこで 弥生時代に入ったのであるが―― このアマテラスに疑いを持った。開明の人アマテラス そして大抵は 債権者の側であり なぜか なお疑いを持ちつづけるアマテラスに スサノヲが 疑いを持った。つまり アマテラスの余剰なる概念に対してではなく 余剰の交換による生活と生活者への疑惑による統治に対して 疑惑を持った。アマテラスその人を疑ったのではない。アマテラスの疑惑を疑ったのである。なぜなら 債権者と債務者の関係が 前者による後者の他給他足といった支配のそれへと移ったからである。
このあとのスサノヲの《行動的ヒューマニズム(?)》については すでにわれわれは提示した。
ここでは 縄文時代の自給自足生活 その意味でのイザナキ・イザナミエデンの園について もう少し考えておこう。弥生時代のスサノヲ共同体は そこに生起した愛の王国の歴史として その前史たる狩猟・採集社会の歴史と 一本の線でつながったというのだからである。イザナキ・イザナミの自給自足的な愛とその後の他給他足的な交換をまじえる生活をする社会の中から生起した愛との つながりを ここで捉えなければならない。
かんたんに言おう。イザナキ・イザナミの社会では 債権・債務の関係があったとしても これを 各自の自給自足的な愛(だから 経済生活としてと言うよりも その主体としての愛)が覆っていたのである。そういうかたちの中に 貸し借りの関係があった。そしていま スサノヲ共同体に現われた愛 つまり イザナキ・イザナミの呪術的な愛への疑惑に始まったアマテラスの愛をさらに超える愛が その前史たるイザナキ・イザナミの社会の愛を覆ったのである。アマテラスの疑惑を残す解放から解放されたから。つまり イザナキの呪術世界からの解放が 成就したのを人は見たと言わなければならないし いま現代において何度でも見なければならない。
言いかえると 交換経済 また 分業社会は 現代のキャピタリスムの社会にまでつづいて発展しているが この交換社会は それが自給自足経済から脱け出して来たその直後に 解放されたと人は 見たし 今もつづけて 見なければならない。そうでなければ いま あるいは各時代の人びとが 歴史を考え歴史を説く意味がない。それは おまえの言うのは ただの精神的な解放ではないのかと人は 問い返さなければならない。しかし まさに人がこう問い返すことにおいて かれは この解放を 精神主義的にではなく 現実に 欲していることを証すのであるが この淵源が 現実の推進力をやどしてというほどに 交換経済の始まったその直後に生起したと言わずしては 何も始まらない。
これが 現代の現在のスサノヲの復活の問題であり イザナキ・イザナミエデンの園の歴史の問題である。
すなわち いまわれわれは 自給自足のエデンの園から自由である。これを交換経済の最初に スサノヲが獲得した。ただスサノヲはわづかに 交換経済社会の普遍的な豊かさの成就を 歴史的に 俟たねばならなかった。それが 長い歴史であったかどうかは いま問題ではない。つまり わづかに――つまり基本的に――疑う人であるアマテラスの復活が問題となる。そういうことになる。嘘を嘘と知る人 しかも嘘への疑惑を解かない人というべきアマテラスとその後裔の復活が問題となる。
そしてこれが いまに歴史の明け方の問題なのだ。
交換経済から縄文社会へ還れというのではない。このことは言い得ない。しかし 交換経済の中における自給自足主体つまりイザナキとイザナミの愛の復活の問題でもある。これは 人間の歴史の問題であるしかない。
これは いま仮りに 歴史の暮れ方において 一方で 絶望の唄をうたうとか 他方で そうではなく 復活そのものの過程を分析して示すとかの問題ではない。この分析を 復活の源泉とすることによってではないと前章では言ったのである。
だから わたしは この歴史を真実として信じるというのではなく――神よわが愛よと言って この源泉を信じて進むのでもなく―― 源泉を信じさせること いや 源泉そのものは誰も これを示すことは出来ないのだから 何が源泉ではないのか これを示してその根拠を理論し争うべきである。林達夫は――そしてその解説者であった限りで 大岡信大江健三郎も かれらは―― これを捉えたと述べたのである。しかし その争うべき理論の提示 これを保留していた。よく言えば この源泉を信じて それぞれの分野で(歴史家として詩人として小説化として等々) その部分的なものの気遣いへと追いやられた。
何故なら 悪く言って かれらは 自らの捉えた源泉を誇るのではなく 源泉を誇るように書きつつ実はこの源泉そのものは誰も提示してみせることは出来ないから 源泉をおれは捉えたのだぞというその自己を誇ったからである。じつに 新しい現代の第二のスサノヲらの自給自足的な主体の愛とは――その自給自足という規定に とうぜんのごとく 反して―― 信じられるものではなく 信じさせるものなのである。すでに 形態として そうなっている。それは 疑惑を残すこと 疑いを解かないこと これの克服という課題内容がからんでいるからである。かれら林達夫らは かたちから入るというわけである。

あのアマテラスは これをよく知っていた。しかし 自己と他者とを その時点で なお疑ったのである。嘘がなくなるとは思わなかったから。しかしスサノヲは 嘘がなくなるのではなく 呪術信仰の中の 虚偽の無という嘘 これへの疑惑がなくなるであろうと見た。だから いわば自然人には虚偽がないというのは うそである と同時に 相対的にして真実だという虚偽の無が そういう真実が 常識となるであろうと見た。つまり 交換経済に突入した自給自足主体は この嘘(人間の真実の相対性)をその愛が管理するであろうと見ていた。この限りで 疑いつづけるアマテラスを疑ったのであるし アマテラスを愛したのである。
これまで見た限りでの大岡信大江健三郎そして林達夫は このスサノヲの愛を 精神において捉え 或る精神の王国として描いて見せた。かれらは この限りで アマテラスの疑いに絶望したか または アマテラスの疑いを晴らすことにまだ絶望していないのである。仲間だから なんとか最後には情に訴えてでも 心がかようようになるであろうと見ている。いや すでに そもそも 心はかよっていると信じている。
そうでなければ 絶望の唄を歌ってみせることのなかろうし もう絶望の唄を歌うことすらいやだと言ったりもしないであろう。いまの課題である疑いからの解放を 精神の王国に託したか または この解放などは初めからなかったと言おうとしている。そのあきらめは そもそも このタカマノハラより降れるアマテラスのおさめる国には 永遠の現在として 存続しているのだと言おうとしている。まぼろしエデンの園に いまだに イザナキ・イザナミとともに生きていると信じて疑わない。そのようなかたちで 疑いをまぬかれている。と思っている。
何を為すべきか。人を愛させよ これである。疑いや嘘よりも一層 現在的な人間の愛(つまり うそを許容しうる) ここから後史の愛が生起すると聞いたから。じつに人は 嘘よりも現実的な愛を――いまだに相対的なこの愛を―― 見ることが出来る。けれども あの源泉は愛なりとスサノヲは見出したのである。見る人は見よ 聞く人は聞きべきである。


   ***


かの地では 交換(交通)の知というべき木の実を採って食べたアダムとエワに あの愛の源泉が 《アダムよ きみは どこにいるのか》とささやいた。アダムはこの声を聞かねばならなかった。そうしてエデンの園を追放された。
わがイザナキ・イザナミは 採集社会でも農耕社会でも この声を聞くことなく 自給自足主体であったし やがて 交換経済主体となった。これをアマテラスは なお疑った。初めには 精神における自給自足のあり方に 或る種の仕方からすれば正当にも 疑問を持ったし そのあとの交換経済主体のあり方にも 人びとの存在様式に着目してのように 疑いを持った。
平俗にいえば 《おまえたち なってないじゃないか。一人前になりたまえ》というわけである。スサノヲはこの疑いの内容を受け止め 疑いそのもの・その保持(疑いを解かないこと) これを疑った。その疑い返し自体は 徹底してつらぬいた。ここで日本人は 世界に開かれたのである。この推進力をスサノヲは愛なりと見出した。この開かれた原理を伝えたのは アダムの子孫(ユダヤ民族)やその他の人びとである。とわたしは考える。

  • アダムの子孫であるユダヤ人たちは 疑いを持たなかったのではなく しかもアマテラスがスサノヲに対処したように まったく取り合わなかったのでもなく 疑いをつらぬいた。それは イエスという一人のユダヤ人に対してであった。
  • エスは 自分はキリストとして 愛の推進力・原理そのものであると みづから語った。十字架上の死を死ぬ前に かれはみづから 復活すると語った。かれの死(つまり人間であること)と復活(神であること)を信じるゆえに わがスサノヲに前史から後史への回転(つまり復活の約束)が生起したと考える。
  • キリスト・イエスという人は 十字架上の死に際して たとえば人間の貌として明らかに涙して大声をあげて死に就き 神の貌としてはみづからこれを欲して取った。これらをとおして この何であるか分からない《愛の推進力》をわたしは信じたから 上のように考えるのであって なにかを勉強したり考えたりした結果からではない。それゆえに たとえば林達夫らの文章にたてついている。

(つづく→2007-05-01 - caguirofie070501)