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哲学いろいろ

ルツの物語 #1

(《しあわせについて》として書き始めたものです。中断した状態ですが。)

§1 はじめまして

わたしは ルツ( Ruth )ともうします。

日本人論として知られた『菊と刀―日本文化の型 定訳 (1972年)』を書いたルース・ベネディクト女史ですとか あの野球人ベーブ・ルース(ジョージ・H・ルース)など かなりわたしの名を 後世において 使ってもらっていますが 日本のみなさんには あまり馴染みがないかも知れません。でも フォークソングの本田ルツ子さんがいましたね。

わたしは 旧約聖書に 『ルツ記(旧約聖書〈13〉ルツ記 雅歌 コーヘレト書 哀歌 エステル記)』としてちいさな短い一書をあてて 生涯のことを記してもらっています。その中で やもめのわたくしは 落穂拾いをして暮していたのですが そのすがたを じつは あのF.ミレーが 描いてくれました。その絵のことは よくご存知ではないかと思います。

聖書といっても わたしは じつは 必ずしもユダヤ人ではないのです。遠く血がつながっていますが 死海の東の地に住んでいたモアブ人です。ユダヤ人と結婚して そしてその夫は 早くに亡くなったのですが かれの母に わたしは 一生ついていって ユダヤの歴史に名を残すこととなりました。

祖先のアブラハムから十代目にあたる者はボアズといいますが その

ボアズは ルツによって オベドを オベドはエッサイを エッサイはダヴィデ王を もうけた。

と『マタイによる福音書 (EKK新約聖書註解)』は記しています。(冒頭の一章です。)そしてダヴィデ王のさらに子孫に イエスを生んだマリアの夫ヨセフがいるのです。わたしは そんな遠い昔に生きた一人の女です。

そんなわたしが その後少しづつ 人びとや世の中のことについてまなんだことなどを ここでお話しさせていただきたいと思います。いま生きていれば もう三千歳近くになっています。

§2 なんでもないこと

なんでもないこと これは やはり信仰ということかと思います。わたしは ただ生きたというだけで歴史上の人物になっています。ですから このことはやはり信仰ということばで翻訳されるのだと思うのです。その点について もう少し自己紹介のようなことをお話ししたいと思います。

というよりも 先ほどの『マタイによる福音書 (EKK新約聖書註解)』の冒頭の記事の中で イエスの系譜が書かれていましたが そこには わたしのほかに もう二人だけ 女性が記されています。そのかのじょらのことについて 短くご紹介したいと思いました。

一人は ラハブといって わたしの後の夫となったボアズのお母さんです。じつは 何を隠そう ラハブも 異邦人で しかも エリコの街の城壁の上に家を構えていた遊女だったのです。

イスラエルの人たちがエリコの街を攻略したときのこと。かのじょは 先に忍び込んできた斥候(スパイ)を二人かくまいました。そのことが縁で サルマンというユダヤ人とのちに結ばれたのでした。これも 信仰ということです。つまり 生活のなかで・人生のなかで なんでもないことの問題なのです。

つまり 必ずしも説明のつかない出来事のことです。あるいは ひととおり合理的に説明がつくけれども さらにこの説明の範囲や理解を超えて 話しは広がっていると思われることがらの問題だと思います。

ちなみにラハブは エリコの人びとから見れば 裏切り者です。売国奴です。イエス・キリストは その子孫ということになります。

さらに五代ほどさかのぼると いま一人の女性 タマルがいます。

ユダはタマルによってペレツとゼラを・・・もうけた。

とあります。そしてこのペレツとゼラの双子の誕生について 少し込み入った話が伝えられています。

§3 なんでもない生活の歴史とそれをこえるもの

アブラハムの子がイサク その子がヤコブで このイスラエルとも呼ばれるヤコブには 十二人の子がいました。四男がユダです。このユダも 地元カナンの異邦人を嫁に迎え 三人の息子を得ました。

タマルは 長男エルの嫁としてユダに迎えられました。結果から申せば 先ほどのペレツとゼラの双子は タマルとその舅(しゅうと)ユダとの間に生まれた子どもです。

この場合は 決してどろどろした関係があるのではなく 必ずしも悪いおこないがあったということでもないと わたしは思います。

夫のエルが結婚後すぐに亡くなると その当時のおきてでは 長男の家系として子孫を残すために タマルは 夫の兄弟によって子をもうける義務を負いました。けれどもそこに生まれる子は 自分の子孫とならないと知っていた次男のオナンは 「兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した」そうです。のちに 自慰行為をあらわすオナニーという言葉は かれの名から来たといいます。このオナンも死にました。

三男のシェラは まだ幼く 成人するまで時を待つことになります。舅のユダは けれども このシェラまで失うのではないかと恐れ 成人しても かれをタマルのもとへ行かせなかったのでした。その結果 ちょっとした策を用いたのですが タマルは 舅ユダによって 双子の子孫を得ることになったのでした。

§4 歴史とそれをこえるもの(つづき)

ちなみに 弟が兄の妻と結婚し 生まれた子を兄の子にして、父の家を相続させるこの風習は レヴィラート婚と呼ばれるもの(申命記 (新聖書講解シリーズ (旧約 4))25:5−6)で イスラエルに限らず 広く世界で知られています。

話は飛びますが 新約聖書にこのレヴィラート婚にちなんで 人びとがイエスと問答する場面が記されています。

七人の兄弟が 年上から次つぎに死んでいき 次つぎに年下が初めの兄嫁と結婚していったという場合 「復活の時 その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです」という問いです。復活はないと言う人びとからの質問でした。

エスの答えは わたしには まだよくわかりません。

《神は死んだ者の神ではなく 生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。》
(『マルコによる福音書 (1964年) (信徒のための聖書講解〈第2巻〉)』12:27)

  
というのが 大事ではないかと思いますが もっと多くのことが記されています。皆さんも その段落全体を読んで考えてみてください。『マタイ』では第22章:第23−33節 『ルカによる福音書〈1〉 (加藤常昭説教全集)』では20:27−40です。つまりたとえば次のようにも書かれています。

《復活の時には めとることも嫁ぐこともなく 天使のようになるのだ。》
(『マタイによる福音書 (EKK新約聖書註解)』22:30)

§5 あらためて自己紹介を

後夫をつうじてわたしの義母となったラハブ そして遠い祖先タマル 二人の女性を紹介しました。

げんみつには夫の兄弟( levir )ではなかったのですが わたしの場合も このレヴィラート婚( levirate marriage )がからんでいます。後夫となったボアズは 亡夫の父つまり義父の親戚でしたから。

わたしの義母はナオミと言い わたしたちの地モアブにやって来て けっきょく 夫と二人の息子を次つぎと失いました。ですから そのとき 自分はイスラエルに帰るからと わたしを含めた嫁二人には それぞれの実家へ帰りなさいと説いて聞かせたのです。ですが わたしの方は 聞きいれず とうとうユダヤまでかのじょに付いて来てしまいました。なぜかは わかりません。そうしたかったのです。

義母は あまりにもの不幸に遭って帰ってきたので 故郷のベツレヘムの人たちが ナオミさんではありませんかと声かけても こういって歎きました。「どうか ナオミ(快い)などと呼ばないで マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです」と。

その後 大麦の刈り入れのときには 落穂拾いをして暮したことを述べましたが 親戚筋のボアズの妻となって 男の子オベドをわたしが生んだときからは ナオミも喜んでくれました。

わたしの人生は これだけのものですというのが あらためての自己紹介になります。

(つづく→2006-12-19 - caguirofie061219)