caguirofie

哲学いろいろ

贖罪において 悪魔は しりぞけられたか

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10076571.html


1. 人びとの罪をあがなうという主題が 聖書関係に出て来ます。

2. これは 特殊な絶対性のもんだいかと思われます。それでも
説明をつけようとする場合が 考えられます。では それは果たし
て 一般性を持つか? この問いを問います。

         *

3. 例によって 悪魔を登場させての説明です。

4. 悪魔は すでに死んでいるのですが その死の制作者として 
神に許されてハタラキを持ちます。
5. つまり 人間の罪をあがなうというのは この悪魔を征服す
るというかたちの話になります。

6. なぜなら 悪魔は 人びとに罪がある――罪を犯した経験が
ある――そのことを咎めて 最終的に人を死に追いやるというハタ
ラキですから 誰かが すべての罪を引き受けたなら・そして清算
できるように引き受けたなら あがなうことになります。




7. 例によって悪魔は イエスをも死にみちびきます。そのため
に罪へと誘います。
8. けれども ほかの人間はいざ知らずイエスとなると 悪魔に
とって ちょっと趣きが違っていた。

9. イエスは 悪魔の気持ちや思い 怒りやその論理をすべて 
アース役よろしく その心身に受け留めてしまっていた。

10. では 死。この存在の消滅という死――つまり じつは 
悪魔にとって おのれ自身のことである――をも 引き受けること
が出来るか? と問いかけた。

11. つまりは 高等法院のお偉方らを促して モーセの戒律に
したがって イエスを死刑に処することになるように ことを運ば
せた。



12. つまりは イエスとて おのれ自身の現実の死に追いやら
れたなら おれ(つまり悪魔)の心をやさしく包むことなど 出来
っこあるまい。という魂胆である。

13. 果たして 磔の十字架に上がって イエスは どうしたか?





14. 降りて行かなかった。その死刑をあまんじて受けた。

15. つまりは 死そのものである存在(?)の悪魔にも 自由
に対等に接していたイエスは 死そのものにも成るというわざに出
てしまった。

16. へへんと思った悪魔だが そのイエスの心を自分の心に受
け留めた途端 すでに身も心も溶けてしまった。


☆ というわたしの捏造した物語ですが 果たして 一般性があり
ますか?

或る回答とのやり取り

★ なので、もう少しオブラートな表現など使わないと、大衆的に
一般的にこのフィクションは、だすのが問題なレベルかもしれませ
んね。
★ しかし、良くできている法則だとともいますよ。

☆ ここらあたりでしょうか ご見解の骨子は。

つまり 意味が通じる。その限りで 一般性がある。

ただし 実際問題として どれだけの人びとに伝わるか。これは
分からない。むしろ あいまいなままに終わるかも知れない。

――ですかね。



ひとつ気になったのは:
★ もう少しオブラートな表現など使わないと
☆ というところです。

むしろ まだまだ 意味のきちんと定まらないまま表現をしている
のではないかと あやぶんでいましたから 少し意外です。




★ まず、内の悪魔を表す場合、今回のストーリーだったと、ユダ
が11 . あクマではという話になり、一般的には、彼を悪という心が
強まり、あまりよろしくないでしょう。か、現代では、?
☆ わたしとしては カリオテの人であるユダを特定してはいない
とは 思っています。

エスを特定するために ユダが一役買ったというとき イエス
すでに公共の場で 何度も顔を見せていましたから ユダの役割り
が どうしても必要だったか。これは あまり必要だったとは思わ
ないんです。


要するに もっと大きく広い場において――といった極めてあいま
いな表現になってしまうのですが―― 悪魔と呼びうるような何も
のかのハタラキが 起きていたのではないか?

そういった漠然としたものを捉えての話になっています。

あるいは 人びとみなのそれぞれの心の中のどこか片隅が 悪魔の
ハタラキをになった。とでもいうような感じです。



★ 二つの魂は、今回の件なら、内と外の魂かもしれませんね。
☆ №1で ファウストが出たので ふたつの魂を持ち出しました
が 趣旨説明欄の物語そのもので このことが かかわっているか?

これは 必ずしもはっきりしません。意識してはいませんでした。


こんなところでしょうか。