caguirofie

哲学いろいろ

Cech & Kundera

Její jméno je Jarmila.

( Her name is Jarmila.)

ボヘミアの 風の流れて
モルダウの そよぐ畔りに
スメタナの 旋律(メロディ)眺め
水晶の 山脈(やまなみ)を聞き


褐色の 珈琲(カーヴァ)の香りに
チェッコ語(チェティシナ)の チェロの音(ね)美味に
乙女子(スレッチナ)の 声澄み渡る。
Její jméno je Jarmila.


ヤルミラの 髪にやさしく
ヤルミラの 髪にやさしく
くちづけの 白くかがやく
モルダウの 流れに落ちて


水面の 城影淡く
さざ波の 灯影ほのかに
スメタナの 調べ漂い
河上の 森の精(ドリアッド)踊る。


河上の 泉に遊ぶ
水晶の 森の女精(ナンフ)は
猟人の 牧歌に誘われ
源の 清水を抜け去り


せせらぎの 音に舞い降り
岩の間の 早瀬駆け降り
渓流の 樹の間駆け縫い
静走の プラハを犯す。


褐色の 珈琲の香りに
城影の 淡いたゆたい
モルダウの 流れに溶けて
ボヘミアの 風そよぐ風。

三十年ほど前

1970年代だと思うが チェッコ語を学んでいたとき チェコスロヴァキアから大量に手紙をもらったことがある。文通を希望すると新聞社に 申し込んだからである。
Mlada Fronta( the Young Front )と言ったか 党・政府の機関紙だったせいもあって 政府公認と見なされたのか 若い女性を中心として たしか百五十通を超える封筒が届いた。
言語は チェッコ語・ドイツ語・フランス語そして英語 なかには一通 日本語。切手を送ってくるもの あるいは自分の写真を同封するもの。あたかも それまで閉め切っていた窓が開いたと言わんばかりに そこから 風を――自由の(?)風を――吸おうという息吹きに満ちていると感じられた。
写真の中には ――当時としては 驚いたことに――ヌードのものもあった。文通が一たん始まるものなら ただちに どうですか・結婚しませんかと言ってくるのではないかという勢い(!?)だった。
また 日本語の手紙では その送り手は 男性だったが 日本語を勉強していますと言い わたしの下の名前が《・・・こ》で終わることを捉えて あなたは女性でしょう・わたしと結婚しませんかとやはり言ってきていた。
けっきょくわたし自身は どの手紙にも もう答えなかった。
(文通は止めた。一人に返答するなら その一定期間のやり取りが 全部の人とおこなう義務があると思ってしまって それは無理だと考えた。こちらの新聞で 文通希望者を募って 手分けして(?) 漏れることなく 返事が届くようにというかたちを取った。
また 申し込みの郵便を送ってから 二ヶ月・三ヶ月が経っていた。すでに 別の言語を習い始めていた。一・二ヶ月もかけて 手紙の送り主は いったいどういう日本人かと チェコスロヴァキア政府がもし調査していたとするなら なんという無謀なことをやったのかと思われた。)


それから いまでは ベルリンの壁は崩れ ソ連は瓦解してしまった。


だから どうだこうだと書きたかったのだが ここまで書いて その意欲が薄れてしまった。隔世の感強しとのみ。

Kitsch(俗悪なもの)?

ミラン・クンデラは 《第二次世界大戦後の最初の十年間は スターリン主義のテロルがもっとも吹き荒れた時期であった》と始めて――小説の中でだが――書いている。

当時ごくつまらないことでテレザの父親は投獄され 十歳の女の子は住居からほうり出された。この同じ頃二十歳のサビナは美術工芸アカデミーで勉強していた。マルクス主義の教授は彼女や彼女の同級生に社会主義芸術の次のようなテーゼを説明していた。ソビエト社会ははるかに進んでいるので そこではもう基本的な不一致は善と悪との間にあるのではなく 善とよりよい善との間にある。糞(すなわち 本質的に受け入れがたいもの)は《向う側》(たとえばアメリカ)にのみ存在しうるものであって そこから すなわち外部から 何か異質なものとして(例えばスパイの形をとって) 《善とよりよい善》の世界に入ってきうるものなのである。
存在の耐えられない軽さ p.292)

《糞》など もはや 無く 《善とよりよい善》としかないと言い張ることも キッチュ(俗悪なもの)だと言おうとしているのだと思うが このとき――このような情況にあるとき―― 人は 当然のごとく その嘘っぱちについて知っている。何の講義も学習もなしに そのイカサマ(如何様)ぶりについては 分かっている。そして もしそのような《説明》を受けるなら なるほどと納得したような振りをするはずである。
それが 大衆である。
知識人は 別様の反応・対応をするのだろうか。キッチュという専門用語・学術用語を必要とするのだろうか。
Mlada Frontaを通じて わたしに 文通を希望した人びとは ミラン・クンデラの世界を必要としないと考えられる。これが まず 感覚的な受け取りである。印象批評である。
ただしまだ読書は途中である。
(つまり クンデラは わかりきったことを むずかしく言っているだけのように感じられる。) 

クンデラより少しの引用

世界が神によって創られたと主張する人たちと 自然にできたと考える人たちとの論争は われわれの理性や経験を越える何物かを扱っている。人間に与えられたものである存在を無条件で受け入れる人たちと (それがどのようにであれ 誰によってであれ)それを疑う人たちの間には現実をはるかに越えた差異がある。
ヨーロッパのすべての信仰の背後には 宗教的であれ 政治的であれ 創世記の第一章があり 世界は正しく創造され 存在は善であり 従って増えるのは正しいという考えが出てくる。われわれはこの基本的な信仰を存在との絶対的同意と呼ぼう。
つい最近まで糞という語が本の中でxxで書かれていたとしても これは道徳的な理由からではない。糞が不道徳であるなどと まさか主張なさりたくはないであろう! 糞との不同意は形而上的なものである。排便の瞬間は創造の受け入れがたさを日々証明している。あれかこれかで 糞が受け入れられるか(もしそうなら便所を閉めるのを止めよう!) われわれは受け入れがたい方法で創造されているか 二つに一つである。
以上のことから 存在との絶対的同意の美的な理想は 糞が否定され すべての人が糞など存在しないかのように振る舞っている世界ということになる。この美的な理想を俗悪なもの(Kitsch)という。
これはドイツ語の単語で センチメンタルな十九世紀の中頃に生まれ すべての言語にひろがったものである。ところがしばしば使われているうちにもともとの形而上の意味を失ってしまった。すなわち 文字通りの意味でも比喩的な意味でも キッチュは糞の絶対的な否定になった。キッチュはそれ自身の観点から人間の存在において本質的に受け入れがたいものをすべて除外する。

   6

共産主義に対するサビナの最初の内的な反乱は道徳的な性格を持つものではなく 美的な性格を持つものであった。彼女を不快にしたのは共産主義社会の汚さ(牛小舎へと一変した廃墟の城)よりもむしろ 共産主義社会がつけていた美の仮面 いいかえれば 共産主義の俗悪なもの(キッチュ)だった。そのキッチュのモデルがいわゆるメーデーの祝典である。
人びとがまだ熱狂していた あるいは 熱狂をまだ熱心によそおっていた時代のメーデーのパレードをサビナは見ていた。女たちは赤 水 青のブラウスを着ていたので バルコニーや窓から見ると 五角形の星 ハート 文字などのさまざまな形が作られた。パレードの一つ一つのグループには小さなブラスバンドが従い 全員の歩調をとっていた。行進が高官の並ぶ壇のほうに近づくと 退屈しきったような顔にも しかるべく喜んでいる いやもっと正確にいえば しかるべく同意していることを示したいかのように 微笑が輝いた。これは単なる共産主義への政治的同意ではなく まさにこのような存在への同意であった。メーデーの祝典は存在との絶対的な同意という深い井戸から汲み上げられたものである。パレードの 書かれていない 言われざるスローガンは 《共産主義万歳!》ではなく 《生活を生きよう!》であった。共産主義政治の力と虚偽はこのスローガンを自己のものにした点にあった。このばかみたいな繰り返し(《生活を生きよう!》)が共産主義のテーゼに無関心の人びとをも共産主義的パレードへひきつけていたのである。

   7

十年後に(その頃もうサビナはアメリカに住んでいた) 彼女の友人の一人であるアメリカの上院議員が 自分の大型自動車で彼女をドライブに連れていった。後部席には四人の子供がぎっしりとつめこまれていた。上院議員が人工のスケート場のあるスタジアムに車を止めると 子供たちは降りて 建物をとりまく広大な芝生の上を駆けていった。上院議員はハンドルを持って座ったまま夢見るようにその四人の駆けていく姿を眺め それからサビナのほうに向いて 《あれを見てください》と いった。手で円を描いたが その円はスタジアム 芝生 それに 子供を包みこんでいた。《こういうのを幸福っていうのです》
この言葉の裏には 子供が走り 草が繁ることへの喜びだけではなしに 共産主義の国から来た女に対する理解の表明もあった。共産主義国では上院議員が確信しているところでは 草も生えず 子供が駆けまわることもないのである。
ちょうどこの瞬間 プラハの広場の壇上に立つ上院議員のイメージがサビナの頭にひらめいた。議員が顔に浮かべていたのは 共産主義の高官が壇上の高みから同じように下を行進中の微笑む市民に向けるのとまったく同じ微笑であった。


   8

どうしてこの上院議員に 子供が幸福を意味すると分かるのであろうか?子供たちの心の中まで見通したのか?もし 彼の視野から消えた瞬間にそのうちの三人が四番目に襲いかかり その子をなぐり始めたとしたらどうであろうか?
上院議員は自分の断定のための唯一の論拠 すなわち 自分の感情を持っていた。心が話すときに 理性が何か反対することは無作法である。俗悪なもの(キッチュ)の帝国では心の独裁が支配している。
俗悪なもの(キッチュ)が呼びおこす感情は もちろんそれを非常に多数の人が分け合えるようなものでなければならない。従って俗悪なもの(キッチュ)は滅多にない状況に基づいてはならず 人びとが記憶に刻み込んだ基本的な姿に基づいていなければならない。恩知らずの娘 問題にされない父親 芝生を駆けていく子供 裏切られた祖国 初恋への思い出。
俗悪なもの(キッチュ)は続けざまに二つの感涙を呼びおこす。第一の涙はいう。芝生を駆けていく子供は何と美しいんだ!
第二の涙はいう。芝生を駆けていく子供に全人類と感激を共有できるのは何と素晴らしいんだろう!
この第二の涙こそ 俗悪(キッチュ)を俗悪(キッチュ)たらしめるのである。
世界のすべての人びとの兄弟愛はただ俗悪なもの(キッチュ)の上にのみ形成できるのである。

   9

世の中に政治家よりこのことをよく理解している人はいない。政治家は身近にカメラがあると すぐ一番近くの子供に駆け寄り その子を高く持ち上げて 頬にキスをする。俗悪なもの(キッチュ)はあらゆる政治家 あらゆる政党や運動の美的な理想なのである。
さまざまな政治的傾向やその影響が併存する社会ではそのためお互いに邪魔をしたり 制限するので われわれはまだどうにかこうにか俗悪なもの(キッチュ)の尋問から逃れることができる。個人は自分の個性を保つことができ 芸術家は思いがけない作品を作ることができる。唯一の政治運動があらゆる権力を持っているところでは われわれは突如として絶対的に俗悪なもの(キッチュの帝国に身を置くことになる。
絶対的にと私がいうのは 俗悪なもの(キッチュ)を侵害するあらゆるものが生活から除去されることを意味する。一つ一つの個人主義表明(なぜなら差異の一つ一つは微笑んでいる兄弟愛の顔へ吐きかけられたつばである)。一つ一つの疑問(なぜなら小さなことを疑いはじめる人は生活そのものを疑うようになるから)。すべての皮肉(なぜなら俗悪なもの(キッチュ)の帝国ではあらゆることをきわめて真面目にとらなければならないから)。さらに家族を捨てた母親 もしくは女たちより男たちを好む男も あれほどまでに聖なるスローガンである《産めよ 増えよ》を おびやかすのである。
この見地からすれば いわゆる強制労働収容所(グラーク)も 全体主義的俗悪なもの(キッチュ)がごみを捨てるための浄化槽のようなものとみなすことが可能である。

   10

第二次世界大戦後の最初の十年間は スターリン主義のテロルがもっとも吹き荒れた時期であった。当時ごくつまらないことでテレザの父親は投獄され 十歳の女の子は住居からほうり出された。この同じ頃二十歳のサビナは美術工芸アカデミーで勉強していた。マルクス主義の教授は彼女や彼女の同級生に社会主義芸術の次のようなテーゼを説明していた。ソビエト社会ははるかに進んでいるので そこではもう基本的な不一致は善と悪との間にあるのではなく 善とよりよい善との間にある。糞(すなわち 本質的に受け入れがたいもの)は《向う側》(たとえばアメリカ)にのみ存在しうるものであって そこから すなわち外部から 何か異質なものとして(例えばスパイの形をとって) 《善とよりよい善》の世界に入ってきうるものなのである。
存在の耐えられない軽さp.287―292)
・・・
俗悪なもの(キッチュ)の源は存在との絶対的同意である。
では何が存在の基礎であるのか? 神? 人間? 戦い? 愛? 男? 女?
そのことに対する見解は様々であるので 俗悪なものも カトリックの プロテスタントの ユダヤの 共産主義の ファシズムの 民主主義の フェミニストの ヨーロッパの アメリカの 国家の インターナショナルの などいろいろある。
(p.297)

クンデラ自身が何を言おうとしているのか――虚構作品なのだから あたりまえだというところもあり―― 必ずしもわかるわけではない。逆に言うと 読む側が 自由に解釈し 議論を展開しうるかたちではある。


抄録を増やした。もう少し考えよう。

  • どうも 聖書の文句に対する嫌悪・憎悪があるように思われる。もっと そのような起点となるところに留まり その場所を分析し 議論を展開するのがよいのではないだろうか。
  • ただ 言えることは ニーチェがそうであった(つまり混同した)ように 個人の信仰と そして教義・組織・規律を持って広く社会の慣習にまでなった宗教とを 混同してはならないであろう。両者は まったくと言っていいほど 別である。
  • 一例として キリスト教を信じるというのは 宗教である。キリスト・イエスの神を信じる信仰とは 何の と言ってよいほど かかわりもない。
  • 教義を信じるのは ただの信念の問題である。そこからは 崇高な行動が導き出されて来るかも知れないし または 言うところの俗悪なものが必然的にかもし出されてくるかも知れない。必然的にというのは ただの道徳だからである。聖と俗との二項対立による均衡にすぎないからである。頭の中の想像にとどまり それだから いわゆる表と裏 本音と建て前の世界になってしまうゆえである。 

ううん。根が深いということがわかった。《キリスト教》に問題あり。かな?

  • 《排便の瞬間は創造の受け入れがたさを日々証明している。》――こんな思いも感覚も わたしには ない。一般に日本人には ないであろう。