caguirofie

哲学いろいろ

#9

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

青春

six

テオドリックは 十五歳になっていた。そして夏である。
テオドリックは 一月の生まれであるから 正確には十五歳とちょうど半ばである。古代中国のエリートなら 学にこころざす年齢であり 逆に武器を取ることをがえんぜねばならない場合には すでに初陣をたたかったことがあってもよかった。だがテオドリックは 依然として コンスタンティノポリスの宮廷に軟禁生活をおくっている。
もっとも このように人質であるからには たとえばそれが――その人質であることが――戦争を代理するというかたちで その初陣は終わっていたとかんがえなければならないかも分からない。この夏が来て 九年目に入ろうとしていた。
一蛮族の王子としてそれはそれで 大きな役割がそこにある。また宮廷では 古代ギリシャ以来の教育をほどこされており 学に志すにしても その意味で不自由のない環境にいた。ここにも ひとりの青年がその年代をついやすのに充分おおきな意義をみいだしうる世界が ないとは言えない。ゴートの王子として このように十五歳のテオドリックは 古い表現を用いるなら その青春の盃を満たすためにすべて条件はととのっていた。こう考えるべきである。
それにもかかわらずテオドリック自身 そのような人生・そのような一時期に甘んじるかどうか それは 別のことであった。というのが かれテオドリックである。
《こいとはどうしたら生まれるのだろうか》――テオドリックの望みは そして悩みは このコンスタンティノポリス脱出を措くとするなら まず初めに 恋であった。
そしてこれが おそらく悲劇的であろうことには いっぱんに男は 義に生きるべき人種であるのに テオドリックは いま この青春の今ひとつの条件でもある・いわゆる愛に生きようという男であることにあった。かくて このコンスタンティノポリスにあっては テオドリックにとって 恋愛が問題であった。
もうすこし あからさまに言わねばなるまい。しっかりと 論じなければなるまい。
ひとりの青年にとって 青春時代を生きるとき 《性》という条件はこれが欠けていたとしても 世界を知るための学問 あるいは世界の動きのなかに自己を置く政治そのものといった条件のうち ひとつでもあれば 最初の・つまり性という条件の欠如は それほど重要ではない。つまり それは 時を待てばよい。しかもテオドリックとしては あとの二つの条件がすべて満たされているにもかかわらず あるいは それゆえに なお第一の条件の欠如が かれの青春のすべてを灰色のものにしていた。
もし テオドリックが 祖国への帰還という第一の望みを棄てて この問題の追求に走ったとするなら それは 人呼んで恋愛至上主義である。
テオドリックにとって灰色の生活とは 単純に 無為を意味している。心の状態としては 幼いときから抜けきらない放心癖に浸ること このことであった。つまり この青年の像は まず 風俗的な現象としては 端的に言って 男性の女性化というもの――《愛に生きる》という限りにおいて――である。《恋はどうすれば生まれるか》などとつぶやくかぎりにおいて。
ひとこと テオドリックの名誉のために弁明しておくとするなら かれは 欠如から行動を起こすということはなかったということである。なにかがどうしても欲しいと言って 突っ走ることはなかった。


テオドリックは 皇帝の任命した哲学者アルテミドールスの講義につらなることにおいて また 単にかれが人質として皇帝のもとにいるというそのことにおいて それぞれ結果的に 学問にもそして政治にも生きていた。ここでは ゴート王国の外交活動の一翼をになっていた。しかし 明らかにかれは いさぎよくそれらに情熱をそそぐというのではない。
そしてつねに いまひとつの条件である愛に生き得ていないとかれが思うことによって その思いによってテオドリックには その青春が停滞したものに映っていた。
もうすこし かれに思いいれをして言うならば 幼年のときから かれがしきりに問い求めようとしていたもの そのことによってむしろ――繰り返せば このいまだ結論の出ていない問い求めによって―― テオドリックはむしろ 満たされていた。満たされていたそのことによって 青春の停滞にも こころを砕いたのである。かれは 欠如から行動をおこすことは ありえなかった。かれは したがって すべての条件があって 条件としては満たされているところへ むしろ降りて行った。――大いなる放心癖。単純に言うと 無条件という場所 白紙という地点のことである。
ここで テオドリックの望むところを理解することが容易ではないと思われることは このとき かれにとって第一の条件の対象である異性はいないかと言えば そうではなく 存在したからである。
この女性は かれが七歳で人質生活に入ったほぼその当初から かれの身のまわりの世話をする役の者としてあって 最初の幼い頃を除いても すくなくともこの数年間 ふつうの異性ではない異性として 接してきており 現在も従って かれのごくそばに存在していたことからである。
そういう女性がそばにいながら しかもテオドリックは 第一の条件において満たされないと思っていたこと これが ひとつの不可解であった。
女性は エウセビアと言い すでに言うまでもなく 窓の鉢植えを贈りつづける一女官である。エウセビアは テオドリックよりいくらか年上であった。
まず初めに エウセビアは 決してテオドリックを愛さないわけではなかった。しかも もちろんテオドリックは そのような おおやけのいわゆる思いやりといった愛では満足しなかった。テオドリックは とうぜん いくらか早熟気味に まさに睦事につうじるプライヴェットな愛をたがいのあいだに求めていた。
ただし このとき 微妙な点はのこる。まだ ありていに言って テオドリックは 肉体をもとめあうことは早いとは思っていた。その思いにかんしていえば それは単にテオドリックひとりの考えというよりも ゴート種族ないし広くゲルマーニア民族のあいだに信じられ守られてきた次のような慣習によるところが 大きい。幼いときから 労働と闘いをのみ しつけられるこれらの民族のあいだでは やはりありていに言って その童貞を守ることによって 身体は大きくなり体力や神経がつよくなるものと信じられていたというそのことである。(E. Gibbon)
もっとも《愛に生きる》というかぎりにおいて ただ早い――ただ早い――ということは むしろ条件さえととのえば その機はいつでも熟しうるのだと見た方がよい。テオドリックの考える《性》の条件が満たされていないからこそ その民族の旧くからの慣わしのひとつを持ち出すといったほうがよい。
いっぽう エウセビアのほうは テオドリックが かのじょを意識しているようであることは知っていたが だからといって かれの愛を感じていたというわけではなく したがって ごくふつうの倫理的な意識・感情ということである。ただ それでも 年下の・しかもまだ若い少年でありながら かのじょを意識したそのテオドリックの素振りには けっきょく ませていると思わせる態度がしばしば見られ そのため かのじょは 意識してか無意識のうちにかは知らず 身内の子どもをたしなめるような母親のことばづかいを用いて 応対する。それは 一見しらじらしいとも そして同時に逆に ごく親しいとも 見受けられた。
しかしこれも さらに言ってみれば ひとりの女性としてごく自然の行動のひとつであると考えてまちがいないものだったのであろう。・・・ただ いづれにしても テオドリックはまだ きわめて あいまいであった。いわば あたまの中で その内部のてっぺんで一大騒動をおこしているといった性格である。エウセビアのふつうの対応が かえってかれの葛藤を保ったのかも知れない。
そのけっか 俗に言えば 煮え切らない。つまり みづからの愛の概念を 脳裡に孕んでいたが まだ海のものとも山のものとも 区別がつかない。
ただし この結果たる状態はここではっきり言うと エウセビアその人に対する関係とは 無縁のものと考えられていく。これが 明らかになるのは もう少しのちのことである。
いづれにしても その胎動は 徐々に始まっていたというべきである。そして このときは あいまいな思想の持ち主であるテオドリックは こう考え 悩んでいた。
《自分とエウセビアとのあいだに 恋というものが生まれるだろうか》。
かれは まるで こうして実験でもしているかのようである。解決の糸口さえ つかんでいなかった。愛に生きようという限りにおいて テオドリックは 真剣であった。


このようなわけで テオドリックコンスタンティノポリスでの《宮廷生活》は まったく事件にとぼしい。ベッドの上に横になって あるいは庭をあるきながら 悩みをかかえつつ しかも放心のうちに過ごすことばかりである。
テオドリックが身体を動かしてその行動に熱心なところを見せることといえば この二・三年前から始めた狩りにおいてである。もちろん皇帝の命じた監視付きであるが 今はそんなことは 問題ではない。ひとことで言って それは エウセビアの――母のようなことばづかいでの――
――テオドリックさま あなたが宮廷の若い人たちに交じって おなじように狩りをされるすがたをみるのは わたしには たいへん うれしいのです。
ということばに どこかいくぶん 促されてのものであった。このことでさらに付け加えておくならば テオドリックは その狩猟に放心からのひとつの活路をみいだしてのように打ち込んで 最近になって 馬を駆り 狩りをするすがたは ギリシャの青年らにくらべても見劣りしないほど 上達していた。ひとつには それはかれが まさに蛮族の勇猛な血を引く証拠であるようだったが そんなテオドリックに なおもエウセビアは 
――テオドリックさま あなたが いさましく 鹿を追い弓を射られるおすがたをみるのは わたしのしあわせなのです。
と 言ってみれば けしかけていた。そしてそれは 放心に耽りつづける蛮族の人質王子に対して ――繰り返すならば――或る意味でその母の位をうばって その部屋つきの監視役をはたすためのものとしては とうぜんの応対であった。つまりそれは エウセビアのいわゆる思いやりの現われだったと言ってよいが それ以上でも以下でもないと言うべきであった。しかも エウセビア自身 ほんとうにどう思っているのかは かんたんに分かる話ではなかった。そのことも のちのちの話である。(ただし 思わせぶりが目的ではない。そうではなく 自分でも気づかなかったような・ちがった心の動きが あとで 結果として 現われたといった話にもなる。問題は きわめて 観念的に推移すると前もって ことわっておきたい。)
そんなかたちで 狩りは狩りとして テオドリックテオドリックで その青春とゴート族の血を発散させるには よく適合しており 日一日と成長しつつあった。このようにテオドリックは 運動をこのみ そこに情熱をそそいだりしたのだが そのことはあっても その人質生活は事件に乏しかった。
また 今後とも このまま 結着をみることなく推移するかぎり やはり放心という生活の基調はつづくのだろうか そのように無為のなかに いつづけるのだろうか これが テオドリックのなやみだった。あと一年 少なくともまだ 残念ながら この部屋にいることだろうと――さきほど宴会の席で 皇帝から たしなめられたのである――ということが 確実となった。
要するに 十五歳の青年の軟禁生活 ここに すべてが あった。
わたし(筆者)は 必要以上に論じたとおもう。だが この点については さらに折に触れて そこに帰って論じてみたいと思っている。要するに このまったく煮え切らないあいまいな心の態度のことである。エウセビアもからんでいるそれである。
狩りをするすがた これは 生身の人間にかんしてはどうしても いわば鬱屈したエネルギーを存分に発散させて夢中になってやっている姿であるが これを今は措いて むしろさらに――あくまで恋ゆえの――無為のすがた・放心のうちに過ごすかれの時間を 覗いてみたい。きわめて起伏に乏しいものになることをおそれずに。――
(つづく→2006-03-07 - caguirofie060307)