caguirofie

哲学いろいろ

#12

――ボエティウスの時代・第二部――
もくじ→2006-05-04 - caguirofie060504

§2 バルカン放浪 *――または 孤独―― (12)

まず最初には その前に 叔父ウィディメル隊のほうのその後の消息について触れておくのがよいかと思う。
テオドリックの叔父にあたるもう一人のゴート王ウィディメルは 分割された自らの種族共同体を率いて イタリアに向かったのであるが このローマ帝国の西側領土の中心地であるイタリアでは ゴート種族のパンノニアからの移動の年(四七二年のことだが)にコンスタンティノポリスの皇帝レオ〔??世〕の送った西の皇帝アンテミウスが やはり蛮族・すなわち特にゲルマーニアからのいくらかの種族の者たちによる 内部からの攻勢を防ぎ切れず ついに 暗殺されるという結果をもって まず しりぞけられたのであった。
事は むしろ難なく運ばれたのであって それは すでに以前から実質的な第一人者であった〔西ゴートとスウェウィとの血を引く〕一将軍リキメルによって 謀られたものであった。そしてこのアンテミウスの暗殺の以後においては――あのオドアケルが立つまで もはやほんの数年を残すばかりなのであるが―― 東も含めて 実質的にローマ人によるローマ帝国の権力は このイタリアの地において もはや見られることは 難いものとなったのである。しかも この暗殺の首謀者であり そのときまで十六年間も西ローマ帝国の実権を握ってきたゲルマーニア人リキメルであるが そのかれも その凶事の六週間後に みづからが あえなく死亡するという事態が 起こった。
こうして イタリアの地は 混乱の極へ向かっていくことになるが そのとき まず 実権を受け継いだのは この暗殺事件に前後してイタリアに入ってきていたブルグンド王のグンデバードであった。グンデバードは 血筋をたどれば リキメルの甥にあたる者で 後継者争いとしては 順当なもののようであった。そしてかれは みづからの息のかかったグリケリウス(これは ローマ人)という人物を 次の皇帝に推したのである。
ただ このとき 帝国の権威を最後まで主張するかのように 東の皇帝レオは そのグリケリウスの擁立・即位を退け なおも みづからの側のネポスという人物を それに代えて 皇帝の位に就けようとした。ネポスの統治は その後 二年間ほど 持ちこたえる。――そこで われわれのウィディメル隊は このような時期に イタリアに入ったのであった。
ウィディメルは いくらかの地方を侵略し 勢力を保持しようとしたのであった。が 王ウィディメルは イタリアの地に入って まもなく 死去するという運命に遭い その勢力は その同名の息子であるウィディメルに受け継がれることになった。この テオドリックにとっては 従弟にあたるウィディメルは その後 グリケリウス帝(つまり 実権はグンデバード)の短い統治の期間に その支配下に入って 官職を与えられ さらに皇帝から ガリアの地へ 種族もろとも 派遣されることになった。
実権をもつグンデバードは すでにガリアに居住している西ゴートと この東ゴートのウィディメルとを 結合させて その地の安定をはかろうとしたのであるが ウィディメルは そこで 西ゴート族と 互いに協力関係に入り その委任されたガリアの統治を遂行していくことになる。
テオドリックのバルカン放浪のあいだ 大雑把に言って ウィディメルらのその後の消息は 以上のようであった。それに対して テウデミルおよびテオドリックのほうは 掠奪したマケドニア地域一帯を コンスタンティノポリスから そのまま自国の領土として取得したのであったことは すでに述べたとおりである。



さて これからが 自由なかたちでのテオドリックにおけるバルカン放浪の記である。
まずテオドリックのここでの主題は 少し唐突であるかも知れないが ――あの《豹変》ののち つまり 豹変をとおしてさえ 自己の同一にとどまろうとした《国家》の視点の問題 いな 実質的には 自己の自治形式としての不法から法への《局面》展開の問題(――国家と 基本的には かかわらない 社会的行為関係の《場》の問題――)ののち――先に明示してしまえば 《孤独》である。
私見であるが 人は 二十代の前半こそが 人生のうちで もっとも孤独であるのではないだろうか。あるいは 十代後半こそが とても始末におえないほど その地獄の中にいると思われるかも知れない。しかし 地下の坑道へ突入したばかりというあいだは むしろ よく言われるように 感傷のほうが 先に立って 中には 逆に 好奇心のほうが 勝ることもあって それを噛みしめ よく味わうというわけではない。この時期は いわばその後にくる奮闘期への準備に あたると考えてよい。
また 別の視点からみて テオドリックのように 親元あるいは故郷を離れている〔あるいは 離れていなくとも〕青年前期の孤独よりは 一たん帰郷して 家族や種族(くに)の者たちと共にある時のそれのほうが――言いかえれば 当然のことながら 一般に 社会の中にある時のそれのほうが―― 人が孤独に向かい合う・向かい合わなければならない時期の真のそれであるように感じられる。
孤独とは 《場》の中で 対人関係が少ないことを 意味するのではない。また 青年期に 孤独につきあたり この時期を過ぎれば なかば人生は おまけであるとは われわれにとって 時にしばしば 聞かされる人びとの知恵の一端であるが われわれは この生活の知恵に あきらめの美徳が入っているとしたなら これを取らないであろう。孤独とは 何であるか はひとまず措いておいて そんなテーマで 進めていってみようと思う。


テオドリックは 侵攻=移動生活をつづけるあいだ 国王と王妃すなわち 父と母のもとにあった。妻たち(おそらく)や妹たちやその他の家族そして大勢の同族の人びとともにあった。そしてテオドリックの属するこれらの一団は 相い対するものとして 直接には 行く先々の異郷のそれぞれ土着の部族であり 形式的には 大きく ローマ帝国コンスタンティノポリス)の主権が あった。しかも この形式の内容としては 国王テウデミルをはじめ 東ゴート種族にとってそれは 長年の同盟の相手方そのものとの関係であり テオドリックにとっては特に それは 人質という形態のもとではありながら 少年期を見守ってくれた当の相手方とのそれにほかならなかった。これについて 恩義と忘恩 あるいは 法と不法であるとかは もう ここでは 触れない。
いや ひるがえって考えてみると いくらか大袈裟に表現すれば それら恩義と忘恩 ないし法と不法のそれぞれのはざまにあることによって また ここでの主題であるかれの孤独が そのたましいに腰をおろしていったと言えるかもしれない。いや さらに反転して 恩義だとか法とかについては テオドリックは かれなりに考えを運び むしろそれなりに もはやすべてを 割り切っていたはずである。また そうであるからこそ 帰郷後すぐに出かけたサルマチア遠征と言い 今度の大移動における侵略行為と言い 結果的には 臆することなく ひるむことなく 遂行しきってきたのだった。
だが それにもかかわらず 結局は そのような事情すべてのもとにおいても 例の孤独は 顔を出すということが われわれ誰もが 経験するところであるのに ちがいないはずだ。
ひとまず 以上のように言って そこで テオドリックの孤独は 現象として 例によって〔まだ〕幼時からの放心 これの中にあった。かれは むしろ この放心の中で 考えた。つまり 放心という現象――その枠組みとしてのような形態――は むしろふたたび襲ってきて ただし すでに――あの人質からの解放後 ドナウをさかのぼって 帰路にあるとき この放心癖をふりはらったように――この放心のとりこになることはなく この中で 考えた。
考えたというのは われわれの言葉で 自治形式の局面転換つまり 問題解決の展開過程を 意味する。また 実際 このときには ぼけっとしているという意味での放心の時間は もはや 持とうと思っても むしろ与えられなかったのである。ゆえに これらの時間的な行為展開を指して 内面的に言って 孤独というのである。
これが バルカン放浪のテーマである。もう一度 言っておくなら テオドリックは すでに 動いている。日々 行動している。これを前提として 議論するのである。
ローマ皇帝マルクス・アウレリウスが 戦闘を 次つぎと 見事に遂行していきながら その戦いの陣営の中で同時に 自己の行為や世界について みづからの意識において それらを折り返しながら 考えつづけ〔またそれを書き綴っ〕たことは よく知られている。またこのとき テオドリック耳学問にも 入っていたことである。このマルクスの《省察マルクス・アウレリウス「自省録」 (講談社学術文庫))》も 言ってみれば 孤独についてのそれであったかも知れない。

  • ただ文字も知らなかったテオドリックにあっては 《折れ返し》――マルクスの著述の原題は 《τα εισ ‘εαυτoν(みづからの中へ)》≒ reflection =折れ返し・省察――というよりは その放心という意識(意識形態)の中に 遊泳したと言ったほうがよいかも知れない。遊泳といったのは やはりなお 自己の同一にとどまる〔ための〕といった意味である。省察(たとえば 反省的意識 意識的反省)とは 若干 概念的に異なると思われる。いづれも 《孤独》の問題である。

たとえば マルクス・アウレリウスは 《自省録 (ワイド版岩波文庫 (77))》の中で 次のように書いている。
(つづく→2006-05-18 - caguirofie060518)