#19
――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226
帰郷
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オストラゴータは 上から下までほとんど黒をまとっていた。黒色の布地というのではなくむしろ 羊皮の上着もそのほかの着衣も靴も すべて着古して黒ずんでいるといったほうが あたっている。テオドリックら男は 軽い甲冑などをまとっていたが 黒装束はゴートのごくふつうの服装であった。
オストラゴータは 髪も――黒いのを――のばし放題といってもいいほど のばしていた。テオドリックがそれを見てはじめ驚いたことは かれがローマの宮廷に長居し過ぎたことをしめしていた。民族にかんするもの――ゴート的なるもの――のひとつひとつを愛していたはずだから。
もっとも まずはじめに いくぶん陽灼けした――といっても エジプト人のように皮膚がくろいというのではなく むしろ皮が厚そうで表情を見分けにくいといった――顔つきは にもかかわらず 女性のもつ神秘さをなお秘めており オストラゴータは 魅力的であることを かくしてはいなかった。背中をおおうように垂れさがる髪 筋肉の引きしまった細く長い脚 男たちに伍して 旅をつづけるなかにも とくべつ疲れをうったえるわけでもないその脚のちから・・・と言い その魅力はまた 野性的といってもよかったのだが かくべつ その必要はない。というのは 野生美という点では オストラゴータにかぎらず ゴートの女性の皆が それにあてはまるだろうから。
オストラゴータは ときに目をあわせると 今にも笑みのもれかかるような表情をしめしながら そして このテオドリックにとっては帰郷の旅に 連れ添って 黙々と足をはこんでいた。
暗闇のなかに――数人の一行は それぞれ思い思いに 場所をえらび 静かに臥しており――ふくろうの啼く声が聞こえた。ホーホーという鳴き声――声じたいは 聞き馴れたものだ――と そして その鳥を思うことは テオドリックに ミネルヴァの女神――あのふくろうの目をした――を想いおこさせた。
ミネルヴァにともなって コンスタンティノポリスの十年間にまつわるくさぐさのことどもが 糸をたぐるようにあらわれようとしたが そのとき テオドリックは 有無を――その想いにひたろうという自分の一部に対して――言わせず その糸を断ち切っていた。もしそんな想いの糸が ひかりを発して目に見えるようなら それを切るテオドリックのすばやさには 目を見張るものがある。そんな意味で 気のみじかいそして気分や思いを一瞬のうちに転換することが テオドリックには 多くなっていた。
オストラゴータは はじめてテオドリックをみたときから たとえばそのことを うっすらと脇から ながめていた。いま 地の上に臥しながら――足のつかれの癒えていくのがわかるほど 寝つかれず――オストラゴータは テオドリックのほうに 目をやっていた。なにが見えると言って そこに人がいるであろうという暗闇のなかの暗闇しか わからない。そして闇のなかで 他の一行の者も それぞれ皆 やっと鉄門を過ぎてきたという安心感をいだいていた。
故郷パンノニアまでは まだ幾日も残していた。
もっとも 使節らも この王子を連れて戻るという役目をのぞけば 急がなければならない材料は なかった。日が沈み 夜が明ければ また明日は つぎの土地へ向かうということのなかに むしろ安堵感がひろがっていく。
テオドリックは これからゴートは どこへ向かって行こうとするのか 考えなければならないところに来たことは 知っていた。そして 遠く 鉄門のながれの響きを耳にしながら 静かに未来へ考えをころがしていくことを思っている。
まわりを取り巻くような暗闇が引っぱっていくのか そこのどこかにさしこむであろう光の一条がまねいているのか それは わからない。いや もはやテオドリックは そのような問いを掘りさげていくことを いってみれば 放棄していた。これを確認しながら ただ 道に沿って あるいは あたらしい道をひらいて みづからをどこまでも押していくのであるという地点に来ていることを思った。そこには 急ぐこともないようだ。そして今は おなじくこの闇につつまれたどこかにいるはずのオストラゴータのことを思った。
草ぐさの冷気が 肌につたわってきたかも知れない。かすかにおとずれる この暗闇に似つかわしいドナウの鉄門のひびきを 聞いていたかも知れない。聞いていなかったかも知れない。
目にみえるわけではないが 大きくのび繁った樹々が 外の世界をまったく遮断している世界。――ひとつ確かなものは 時折 強烈に鼻をつく あたりに漂っている草ぐさのにおいである。そして 露が降りていて においは ひんやりとした触感をも運んでいたかも知れない。
森のなかの――しかも夜の――しづかさには 重量感といっていいものがあった。そこに闖入する物音をすべて 底のほうへと埋没させてしまう。
しかしオストラゴータは あまり声を出さなかった。肌を――頬や脛とちがってやわらかな隆起したあたりの肌を――ときおり けいれんさせるものの 衣服を剥ぎ取ったときから 声を発することはなかった。テオドリックは まだ――今しばらく――優雅な青春の延長線をたたかっていたのかも知れない。かと言って――同族ゴートのひと以外に――ギリシャをはじめとする外国のひと(男)から その国のひと(女)を いわば《トロイ戦争》の触発をおそれてかどうかは知らず 掠奪することを 青春にまかせて ほしいままにしたわけではなかった。ゴートの古人からの慣わしにしたがって 一種の変形された禁欲主義――制限された禁欲主義とも言うべき――を遵守していた。もっとも これは 皮肉れば 後に来る快楽のためのキンヨクであった。ただ 青春を葬った者の快楽とひとくちに言っても 王家に属する者にとっては 種族の者そして友といっしょに 村落をまるごと荒掠するがごとく強奪することに身をまかせるというわけにも いかない。そんななかで このひとときは 得がたい時間であるように思われた。
まずはじめに オストラゴータはそのことをよく知ってなにもかも察しているようだと テオドリックは推測しなければならなかった。同胞とは そういうものかというのである。すくなくとも いま勃発してそして静かに進行しているこの全ヨーロッパという世界大戦の世界のなかでは・・・。
そこでは どの種族 どの民族の旗をかかげるかによって まずチームの色分けがなされるということは イロハのイであった。それでは 《性》は この第一公理にしたがうものなのだろうか。
オストラゴータは まだ脚を閉じていた。テオドリックは時間をかけていた。テオドリックは いくらかの光が射しこめばいいと思った。オストラゴータは テオドリックの手の 指のさすらうにまかせていた。テオドリックは 胸甲をはずしたもののまだ薄いものをまとっていた。それでも 寒いとするに充分なほど 温度はさがっているようだ。テオドリックは そう声をかけようと思って途中でやめた。そうして 顔をうずめるようにして 掠奪を開始した。もうすこし月の明かりでもさしこめばいい。
――ティウドゥリークス!
とひとこと 小さな声を テオドリックは顔は埋めたままの頭の先のほうに 聞いた。それは かぼそいものながら はっきりと発音されたものだった。が テオドリックは 動きを止めず 静かに声の主を みづからの身体でおおった。
掠奪される者の承諾というものがある。犯される者のあたえる受諾といったような。
アッティラは 襲撃に際して 町まちにこの承諾の有無を問わなかったようだ。ただ 今も ローマは 同じくおんなのように寝そべっていると見られてもしかたがないほどである。おれは もはやコンスタンティノポリスを出たのだ。負うものはなにもなく また失うものもない。そして ローマはその大きなからだをみづから誘惑するように横たえている。テオドリックはこう思わないわけにはいかなかった。皇帝レオを初めとするコンスタンティノポリスの宮廷への恩義 あるいは忘恩という文字は もはや問題の中心ではないのだろうか。ただ――ただ 犯される側の承諾というもの こんな問題であるのだろうか。
これは 奇妙な論理であった。それはちょうど オストラゴータという女性が 種族の王家をつぐ若者の前につれだされて辱めを受けるようなことが いうなれば売笑であり 現代では 売笑は人権に悖るという考えが おおやけであるという対照と同じように 現代では 帝国主義は 排斥すべきものであって そう努めることによって 自由を護ろうと考えているのに対して ここでは 自由を護るためには 努めて帝国主義的でなければ 侵さなければ 成らないと考えている。その図式でいえば テオドリックは 犯しながら犯していないと言い張るようなものだ。ただ それにもかかわらず テオドリックはその同時代人のおなじ野心をいだくすべての者と同じく その論理にわけもなく屈服することは かなわない相談である。むしろみづからの手で 自由を護ること それが 善なのだと。テオドリックは 脚をまさぐり 足のほうへすすんだ。膝を折り 立てたり曲げたり 下では動きを始めた。テオドリックは やがて 扇をひろげるように足を離していき ふたたび扇の要の部分に向かった。
腹部――ゆるやかな丸みを帯び おどろかれるほどなめらかな肌の――は 暗がりでよく目にみえないのだが 大理石の美神――テオドリックのよく見なれた テオドリックにとってはエキゾチックは情感を誘う――を想わせるようだった。胸部は 女神像にくらべると劣るとテオドリックは 思ってみる。やがてテオドリックは 熱くなったオストラゴータにみちびかれていった。
(つづく→2006-03-17 - caguirofie060317)