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哲学いろいろ

#18

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

帰郷

quinze

オストラゴータは 歳はいくつか?と訊いても わからないとこたえるだけであった。三十を超えている法はなかったが テオドリックとおなじ十八歳であったとも また 二十四・五であるとも そのどちらとも思われた。
愛嬌よく笑顔をみせるものの 口数はむしろ少なく ナイーヴな年頃であるとも ただおとなしくしているだけであるとも かんがえられた。テオドリックは このオストラゴータとともにいる時間 いやというほど 推測するということを余儀なくされた。


シュヴァルツヴァルト(黒森)に発したダヌーウィウスは ウィンドボーナ(ウィーン)・アクインクム(ブダペスト)・シンギドゥウヌム(ベオグラード)などの街まちを そのかたわらに招び寄せて東へくだっていくのであるが ポントス・エウクシヌス(黒海)に達するまでには ひとつの障壁を越えなければならない。
それは 現代のルーマニアユーゴスラヴィアの国境あたりに 今のトランシルヴァニアとバルカンの両山脈が立ちはだかっていたからである。時の経過とともに やがてそこに 一本の通路をうがち 大陸を横断する大河川となるのであるが この山並みを打ち抜いたあたりでは ドナウは今でも 両岸に絶壁がそそり立つ激しい流れを形成している。人びとは この隘路を 《鉄門(ポルティル・デ・フィエール)》と呼び習わしており 一大難所であることをうったえている。おおかたの事情のとおり この難所を抜ければ ドナウも 今のトゥルヌセヴェリンあたりから ふたたび両岸には砂地や沼沢地を配する悠然とした流れに変貌し戻るのだが。そして いまテオドリックは――コンスタンティノポリスでの十年間の人質生活を終えて ゴートの使節らとともに 故郷パンノニアに帰っていくのであるが―― ぎゃくに トゥルヌセヴェリンのほうから この鉄門をさかのぼろうとしていた。


夜である。
また夏が来て すでにあたたかな陽気に入っていた。
この峡谷に近づくと さわやかさと感じられないではないものの 知らず 冬にもどったようだ。
それは さむいというのではなく むしろあたり全体が ほかの土地とは切り離されたひとつの別世界をかもしだしていたからである。
鉄門に入ったと思ったときから ものの数歩もすすまないうちに ―― 一種異様なともいうべき――ちがった世界がひらけていくのだった。踏みしめる大地が 変わったわけではない。夜にも起きている鳥どもの鳴き声が ふんいきを日常からはかけ離れたものにしているというのでもない。日中 陽がさしこまず 夜になっても 月の光があまり明かりをもたらしてくれるわけでもなかった。かといって 山みちはどこにでもある山のなかの風景であった。テオドリックも 使節らも だれが この鉄門あたりの雰囲気の異種であることを たがいに表明しているかといえば だれも くちにあらわしてはいなかった。そして テオドリックも オストラゴータも だれもが 異様の世界に入っていることをかんじていた。


イアソンは かつて 黒海東岸のコルキスへ 金羊毛( la toison d'or )を奪いにゆくアルゴー船のなかで ヘレスポントの海峡をぬけるときには 急に荒れはじめた波にもまれ 左右の両岸ともにせまりくる断崖を 交互につつきあうかっこうで 一種の眩暈にみまわれたという。また オデュッセウスが メッシナの海峡をくぐるとき受けた災厄ないし それらに打ち勝つためのたたかいについては さらに付け加えるまでもなかろう。
ただ この鉄門の峡谷には 水面が とつじょ荒れくるうことも ひとをただちに官能の世界へ誘うシレーネーのうた声を聞くことも なかった。あるのは 海からは数十日も離れた山やまのあいだをちからづよく押しすすむひとすじの水のながれ――そのおもたくひびき聞こえる音――のみである。


テオドリックは すでにいちど――あのおさないとき―― 《鉄門》をくぐりぬけていた。使節らも いちどならず 通過している。とまどうべき理由は もう うすれていた。ただ ここには言いあらわしがたいこころの動きをもたらすもの――その地点を過ぎてしまってはじめて あっ おれは あのとき どこか底にぶつかっていたようだな といった感慨をおぼえさせるもの――が ある。あるいは 走っているときには 見過ごしてしまうかも知れないような。そして このゴート人たちも はっきりとは それを名状しかねているのだった。


――いよいよ 鉄門のあたりです。
水の音が いちだんとたかい調子で聞かれるようになると 一行のひとりが こうつぶやいた。
――もうすこしだ。ここを越えたら 休憩をとることにしよう。


やがて ほぼまっくらやみのなかに テオドリックらは 腰をおろしていた。急流の音はふたたび おもい響きがかすかにたどり着くところに来ていた。夜も進もうというのが ゴートの人びとの考えであったが とくにオストラゴータというひとりの女性をかれらはともなっていた。
――オストラゴータは ずいぶんつよい脚をしている。
――ほら。
と言って 水を一杯 さし出してやると オストラゴータは にこやかに受け取って飲む。
――シンギドゥウヌムの町まで行けば ゆっくりと休めるだろう。
――オストラゴータ 歳はいくつだ?
そして この問いに わからないとこたえるだけだったのである。 
(つづく→2006-03-16 - caguirofie060316)