caguirofie

哲学いろいろ

#21

もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

帰郷

dix-huit

ふたりは並んで横になっていた。
――ティウドゥリークス!
とオストラゴータは かたわらのテオドリックに――しかし 仰向けのまま 真上の暗闇に向けて――ふたたび 小声で名を呼んだ。
《星の明かりが 少しでもあればいいのに》とテオドリックは思っていた。
しかしテオドリックは やさしいことばを用意しかねていた。むしろ うしろめたい気持ちがあれば なにか詫びるなり 相手をたたえるなり していたかも知れない。むしろオストラゴータとは 正式の関係ではないとしても つつみ隠すべき関係でもないと思われた。かと言って テオドリックは この関係を いわゆる責任をとって 正式のものにしょうとするのでもない。その点では むしろ逆に とおりすぎていくものだとおもっていた。
そして――テオドリックは思ったのだが―― そのことをオストラゴータは 察しているようだ。おれは 関係をむすぼうとするより 野望が先を走っていってしまうのだということを知っているようだと。
そう推し測りながら テオドリックは ことばを用意しかねていた。
ふくろうが またひと声 鳴いて 鉄門の夜は さらにふかくなっていく。
ふくろうは ギリシャを想い出させる。コンスタンティノポリスに暮していたときから まだそんなに幾日も経っていなかった。しかし この埋没していたとも思える十年間については テオドリックは もはや触れまい 考えまいと思っていた。先ほども そうしたように そんな想いがちらつくようなら すぐさま その感傷を断ち切ることを決意していた。
ただ その中で ひとつだけ 自分の考えが 中ぶらりんとして あいまいなままのことがあると このとき 思われた。
正確にいえば 自分の心のなかでは この十年間は よきにつけ あしきにつけ 清算されたのだと思っていたものの この暗闇のなかで オストラゴータという女性を知ったことによって ひとつのことがまだ 曖昧なままであるとわかった。それは ほかでもない エウセビアのことである。かのじょと 自分との 関係についてである。


月の明かりをのぞむのは 絶望的であった。
テオドリックは そしてオストラゴータも すくなからず しかし ぬくもりを感じていた。そして みどりの草のにおいが あいかわらず ただよっている。
テオドリックは 身体を半分おこして もう一杯 水を含んだ。うまかった。そして脇にじっとして横たわるオストラゴータのことを思った。しかし この今のオストラゴータへの気持ちを尊重して 将来へ向けてそれを日常のものとしてゆくこと つまり オストラゴータを娶ることは テオドリックの気持ち全体のひろがりのなかで 確固とした位置を占めることは むずかしかった。
それは 単に若いからということからではない。思いもよらないなどというほど おのれの野心があったというそのことからでもなかった。若くて野心があっても 伴侶をたずさえてすすみゆくことは考えられる。そうではなくて 今 テオドリックにあった野心は まだ 実際には その方向性を持っていなかったというほうが あたっていた。
あるいは こうも言える。テオドリックはもともとその頭の中は その中側のてっぺんで 猛烈な騒動をおこしている性格である。野心がはらまれ その胎動がはじまったものの それを外に押し出す機をつかんでいなかったと。
――ティゥ ドゥ リークス!
とふたたびオストラゴータがよびかけた。テオドリックは ただちには 考えつづけていた姿勢を解き放とうとはしなかった。
――ティウドゥリークス。
とふたたび言って 暗闇のなかでさらに自分のほうへ オストラゴータが顔を向けていることをかんじると テオドリックは みづからを縛っていた魔法を解くようにして つまり逆にいえば 狂乱するようであった思考を中断してのように それにこたえようとした。
テオドリックは ここで オストラゴータにあやまろうとおもった。そして あやまろうとして はじめの声を出すか出さないかのうちに オストラゴータの手が 口元をふさぎ 身体が擦り寄ってきて 首元へ顔がうずまり からだ全体が横からおおいかぶさってきて いいのです! とオストラゴータの口から ことばが発せられた。
あるいは それは テオドリックの単なる空耳であったかも知れない。だが そのことばとともに 徐々に徐々に テオドリックは 自分のなかから なにかを押し出すようにして 騒動をおこしている脳の内側を おもて返すようにして こう思った。それは オストラゴータのこと以上に エウセビアのことが気になっていたことの結果であった。
いづれコンスタンティノポリスへは 一度はおもむくに違いない。そのときには どんなかたちになるにせよ かならずもう一度 エウセビアに会うはずだ。会うつもりだと。別れのことばは すでに交わしてきた。しかし コンスタンティノポリス宮廷の一隅で 十年近くのあいだには なにがあったのか なかったのか 欠けていたとすれば なんであったか・・・それらのいづれが いづれであったにせよ たがいに同時代人であるからには 今後は会わないという法はないのだと思い至った。
もはや愛しているとか――愛に生きるとか――倫理じょうの内なる要請をかんずるとかの事由ではなかった。ただ 会わないという消極的な考えに 固執する理由はないという事由を 積極的な その唯だ一つの正統な理由とした。これは 自分にとって 同時にエウセビアとの別れであり 同時にかのじょとの婚結があるとすれば その始まりであるのだと考えた。
(つづく→2006-03-19 - caguirofie060319)