caguirofie

哲学いろいろ

#22

もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

帰郷

dix-neuf

朝が明けた。山中では 暗い朝だった。
そしてテオドリックは なにか思うところがあるように ねむってなどいられないのだと 森のやねの向こうには陽がのぼったであろうと自分で断じると すぐさま だれよりも先に飛び起き 使節らの臥しているところへ行くと
――鉄門を見に行くぞ! 起きるのだ。
と言って 皆に支度をうながすのであった。
――ティウドゥリークス 鉄門はもう越えてまいりましたが・・・。
と伴のひとりが かえすと
――だから もどるのだ。
と言い放ち そばの同じゴート人たちの顔を一人ひとり みわたすのだった。そしてかれは ほほえみさえ浮かべていた。
それは テオドリックにとって 王子として臣下へくだす初めての命令であった。ゴートの伴にとっても テオドリックから受ける初めての命令・・・。
伴のそれぞれが それは まず他愛のないものであり しかしそれでも 自分たちのすすむ方向とは 逆行するものであると感じながら しかも テオドリックのその断行には この暗く明け始めた朝をふっきるさわやかさがあったのであり ――ゆえに――しばらく茫然としたままであったが だれも なぜ引き返すのかと問う者は いなかった。そして ことは決まったのであった。
そうみたテオドリックは 自分の場所へもどると
――お早うございます。
という挨拶を オストラゴータから受けて 得意となるのだった。
――オストラゴータ 鉄門には むかしローマの皇帝が その流れの上を通した道がある。
――それを とオストラゴータは その事の珍奇さには驚いたようすもなく それを 見にいくのですか?
と言った。
――そうだ。道はもう ないかも知れない。それを支えていた棒の跡が あるはずだ。それを見るのだ。オストラゴータ 足は だいじょうぶか。
テオドリックは そう言葉をかけて それに応えるオストラゴータの
――ええ もちろん。
という声にも ちからづよいさわやかさを感じて 有頂天であった。テオドリックには この時の自分が たとえその場で父王テウデミルの訃報に接したとしても ひるまなかっただろうと思われた。
やがて
――用意ができました。
という年長の使節からの合図を受けると ただちに出発を告げた。
勇んで列のなかにくわわったオストラゴータは やがて 前夜 耳にした鉄門の水の流れが聞かれたように思い ひそかに前をゆくテオドリックをながめながら この朝のテオドリックのはずみようは 底抜けのようだと思うのだった。オストラゴータが このなかでだれよりも テオドリックの誕生をよろこんでいたにちがいない。
そして 鉄門の峡谷。――
早朝から山道を歩き出して ものの一時間とかからず ゴートの一行は 峡谷を見下ろすある崖っ淵の上に立っていた。そこは 〔ヨーロッパの中央を横断してきたドナウが 変貌するところ すなわち全長にして百数十メートルにも及ぶ〕峡谷部の中でも もっとも幅狭く 急流をなす場所であった。
下を見下ろせば 岩でできた岸壁は 数百メートルほどの高さがある。岩壁は 凹凸をかたちづくりながら しっかりと突っ立っている。下では かなりちいさく見える流れの起伏が 相変わらずの音を立てており それは あちこちに岩礁があることをものがたっており 同時にそれらは 明らかに 船の航行を不可能にしている原因でもあった。
朝の太陽は 下の流れをも 上のテオドリックらをも 一様に うすい靄をとおして 照らしている。一行は しばらく茫然として この隘路を流れるドナウをながめていた。
――アルプスの峡谷のようだ。
――そうだ。あそこの流れは きれいだった。
――ただ 雪がない。・・・
あの連中は ウィディメル王とノーリクム・レーティアへ遠征に行っております。そのときアルプスの山にも分け入ったことがあるのでしょう。・・・
と年長者が その会話を テオドリックに説明した。テオドリックは こうこたえた。
――アルプスといえば スキリ族の生き残った者が逃げていったというところではないか。
――そうです。エデコンの次子 オドアケルらです。長子のオヌルフは ちょうど今 ドナウを縫って 東へとすすんでいるはずです。オドアケルは いまごろ あちこちを放浪しているものと思われます。
――うん。
――スキリ族とゴートとは あんなに仲がよかったのに 残念なことになりました。
――オドアケルは きっとローマへ落ちのびるのだろう。
テオドリックは まだ顔も見たことのない 同じような立ち場でいながら 今は 不運な境遇に落ちてしまった者のことを思った。
――・・・ティウドゥリークス それにしても 人質生活を終えられて たいへんけっこうなことでした。
と年長者は ふたたびあらたまって 感慨を述べる。
ありがとう と応えるテオドリックは さっそく ローマ皇帝の《河の上の道》を探しに行こうとあらためて提案した。
――岸壁には ところどころ岩だながある。水面近くの岩だな その付近に支え棒をとおした跡があるはずだ。上流へ行き 岸壁がもっと低くなったあたりを探してみよう。
むかし――この時から 三百数十年前―― ローマ皇帝トラヤヌスは この峡谷部に軍隊を通そうとしてこの隘路には そのような一団がとおれるほどの道をつけたと言われている。
それは ちょうど 出っ張った岩だなを利用して 水面より少し上のところに 厚い板をいくつも渡したものとされている。板は 片方の辺を岩だなに載せて岸壁に固定し もう一方 河の上にくる辺は その岩だなのさらに下方に斜めにいくつも穴をうがち その穴にそれぞれ鉄棒を差し込み 外に出たそれぞれ鉄棒の先端が支えたことになる。
テオドリックの言うのは これらの 流れに沿って一定の間隔をおいて岸の岩に掘り抜かれた穴の跡のことであった。
この皆に説明じみたことを話して
――それは 不屈の闘志のしるしだ。トラヤヌスは そうして ローマの帝国 最大の版図を達成したのさ。パンノニアの田舎におさまりきれないゴートとしては 大いにそれにあやかりたいものだ。
などと述べていた。
――ティウドゥリークス それではまた移動ですか。パンノニアも よくした土地だと思うのですが。
と若いひとり。
――大移動さ。さらに南へすすむのだ。ローマの果実が待っている。それを大いにいただく。もはやローマは 支配者の交代をさえのぞんでいるようだ。そこへゲルマーニアの人間が入って行ってわるいとは思わない。是が非でも 南の国をめざすのだ。
こう言ってテオドリックは 北のゲルマーニアと南の北イタリアとを結ぶパンノニアにとどまることは 危険であり コンスタンティノポリスの宮廷と皇帝のために その辺境をまもることは ひとつのりっぱな取引の履行ではありながら やがて 同時に愚行とならないとも限らないようなのだと。そうして みづからも 祖先と同じように あの長い旅にまもなく出ることになるだろうと。心の中でいくらか微笑みを浮かべていたが さらに思う。トラヤヌスの通路の跡を見るなどという悠長なことを考えるのは これが 最後になるかも知れない。
(つづく→2006-03-20 - caguirofie060320)