#6
――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226
幼年
trois( b )
使節らは 中から灯の漏れる或る家の前で止まった。なんの変哲もない平屋建ての石造りの建物であった。ここだけは 黒ずんでいるものの 壊された様子もなく元のまま建っていた。中から何かを朗々ととなえる声が聞こえた。使節らとともに中へ入って テオドリックはまた おどろいた。
最初の部屋には 他の家がほとんど入り口から裏へ風が吹きぬけるままであったのとちがって 調度がところ狭しと並んでいた。ほとんど木製であったが 白布の覆ったテーブル・長椅子・木椅子・箪笥(これは 木肌がかがやいていた。そしてその上にこじんまりとした置き物があった。テオドリックには何であるかわからなかったが 水時計であった)・そしてパン焼き炉などが 整然と配置されていた。
つづいて使節らは 人の声のする奥の部屋へ入っていった。テオドリックはそこで初めて この家がどんな家であるのかを理解した。その部屋には 中央の高いところに十字架の人の木像がかかげられているのが 祭壇の明かりに照らされて浮かびあがり それに向かって祈りを唱える人がひとりいたのである。
パンノニアのゴートの集落にも ゴート人である宣教師がおり 十字架も祈りも テオドリックは なじみのものである。そして ここで祈っている人は ゴートの宣教師とは比べものにならないほど派手やかな緋色のガウンをまとっている。ガウンの人は いちど振り返り そしてまた祭壇にむかって唱えつづけていった。
使節は 甲冑を着けたまま 通訳とともに そこに片膝をついて頭を垂れた。テオドリックは なんだか流儀はちがうものの ローマもゴートとおなじ神を信じているのだということは 充分 聞いて知っていた。もっとも そのとき父は 母エレリエヴァだけはローマ流の神を信じていると言っていたが それらの内容まで テオドリックには わかることではなかった。
ガウンの人と うしろの二人の さらに後にたたずんで部屋の中をながめていると
――テオドリック おまえは かみを信じないのか。
と通訳が 振り向いて声をかけた。
――いや 信じる。
とこたえると
――なら 跪いていのるがいい。
とかえってきた。
テオドリックは言われたとおりにした。
ゴートの宣教師がおしえてくれたように 《天にいますわれらが父 かみよ・・・》とつぶやいてみた。いのることには 馴染みがなかった。あとはそのまま 下をみつめている。祭壇からは かれにはどこの言葉かわからぬ言葉で 唱えごとがつづいている。ひそかに テオドリックは この部屋に対しても 人見知りをするように おちつかない。
やがて祭祀は終わった。使節は ガウンの人の指し出す手を取って そして立ち上がり何かあいさつを交わした。さらに通訳を伴なって ローマの三人は 最初の部屋にもどった。テオドリックも あとにつづいた。
使節が通訳をとおして ガウンの人は シルミウムから来たりっぱな司祭だと説明し 今夜はここに泊めてもらうのだと伝えた。
やがて 司祭が食事を用意してくれた。ぶどう酒があり 蜜柑酒があった。羊や山羊の肉もあった。そしてパン。テオドリックにとっては 廃墟のなかから魔法で出したように ご馳走がならんだ。
テオドリックも酒を飲んだ。たくさん飲んだ。何もかも ほぐれていくようだった。この夜は 世界のなかでまたひとつ 新しい経験を見出した気がした。
食事が終わるころ 使節がテオドリックに話しかけた。
シンギドゥウヌムの街は いまはこんなに荒廃してしまっているが この司祭がシルミウムからやって来て ここの残った人たちと街をふたたび建て直していくのだ パンノニアとは言ってみれば隣どうしなのだから司祭に挨拶をしなさい と言っていた。そして
――ティウドゥリークス。
とテオドリックは ガウンの人に向かってゴート語で名のった。司祭は黙ってテオドリックをみつめている。
さらに使節が さきほど祈りを捧げていたが おまえの神は 何というかみかと訊ねた。
――クリストース。
とテオドリックは 宣教師からおそわったギリシャ語でこたえた。みなが笑った。テオドリックは 発音がおかしかったのかも知れないとおもった。すると
――テオドリック おまえは ほんとうにそのかみを信じているのか。
とたたみかけてきた。テオドリックはひとこと
――わからん。
とこたえた。そしてまた みなが笑う。そこで司祭が ゆっくりと話しかけた。
宣教師からゴートにも厚い信仰がおこなわれているとの報告を受けている と前置きして
――テオドリック おまえたちのゴートもローマとおなじ神を抱くようになったのだから おたがいに仲良くしなくちゃいけない。
――・・・。
――コンスタンティノポリスに行ったら おとなしくして元気でがんばるんだよ。
通訳を介しての司祭のことばは 少しまだるっこかったが テオドリックはそのまま うなづいていた。そして皆がこんどは微笑んでいるのを見守った。
テオドリックは 幼年とは言え 無頓着な部分があり しかも 直面する場面のその枠組みに対しては 気になって気を回す部分を持っていた。そのような司祭の話を 実際にはあまり意に介さない部分がある。どうやら司祭は 使節らのギリシャ語とちがって ローマの言葉で話しているらしかった。これをおもって 世界には何故こんなにたくさんのちがった言葉があるのかという誰れもが一度は抱く疑問をおぼえ そのほうに興味があった。
そのラテン語で さらに司祭は話をつづけていく。この家具の整ったきれいな部屋の灯は なかなか消えそうになかった。箪笥の上のテオドリックには何だかわからなかった水時計は ながい夜を刻んでいた。テオドリックは相手の言っていることは すべて聴いていて理解する。いわば心の水門がまったく開かれていて 相手に対して手ごたえのある応答を返すことは まだ苦手である。そんな司祭の話も ややもすると 一枚のヴェールにつつまれて聞かれた。
司祭の話は このシンギドゥウヌムの荒廃の理由を説いていた。それは明らかなことであった。つまり アッティラの率いるフンの兵士たちが略奪したからである。
街がまだその荒廃から立ち上がっていないことからもわかるように それはそんなに遠い昔のことではなかった。そしてローマの司祭は そのアッティラの残虐非道ぶりを説ききかせた。
かれらローマ人に言わせれば 戦争にあって掠奪や虐殺は ふたつの理由から抑制すべきであるという。それは 征服者としての強権を穏当に使用することによって征服者の権利と利益は より多く享受できるということ そしてさらに 強権の無差別な濫用は かならず敵からの報復をまねくということであった。
つまり 結局はそれぞれ打算と憂慮からということであったが ローマは その表面上の事由にひそむ文明的な何かを信じていたという。しかし 戦争に際して フンの人間は まるでこのような考慮を意に介さなかったと司祭は説く。かれは 若いテオドリックにくわしく説明する。
アッティラは まず都市を破壊するときには その街がまったく平らになるまでも壊滅させかねなかったというのである。このこと。そして 降伏した住民たちを 市外の平地に集合させ 三組に分けて処分をなしたということ。
それは 具体的には まず兵士を勤め得る男子がひと組として集められ そのままこれをアッティラの軍に編入したこと。第二の組みは 若く美しい婦女・職人そして富裕なまたは高貴な市民らであり かれらは なかには身請け金が取れる愉しみをつけて それぞれフン人のあいだに分け与えられたこと。
そして第三に それ以外の者は 生きていようが死のうが関係ないとフン側がみたのであって そのまま市内へ帰らせたということ――であった。ただし と司祭が憤りをもってさらに付け加えたことは アッティラやそのときの指揮をする将軍の虫の居所がわるかった場合には かれらは容赦なくすべての市民を無差別に虐殺したのだということであった。( E. Gibbon )。
テオドリックは 実際にその廃墟をみたことでもあり その話の内容をじゅうぶん理解することができた。そしてとにかく この長い夜のなかで ローマの人たちは ゴートもフンと同じ蛮族とみてか 東ゴートの王子としてのテオドリックに対して 一目を置いている(――事実 それまでの数十年にわたって ゲルマーニア民族の各種族が それぞれ大きく移動し 帝国に侵入を開始して以来 周知のごとく 衝突が起きたばあいはほとんどすべて ローマ側が劣勢であった――)ように感じていた。
(つづく→2006-03-04 - caguirofie060304)
Sirmium
ancient city of Pannonia . The site is near modern Sremska Mitrovica, NW Serbia and Montenegro, in Serbia. Sirmium was unimportant until occupied late in the 1st cent. BC by the Romans in the conquest of Pannonia. It was prominent later, especially in the 3d and 4th cent. AD, and became the chief city of Lower Pannonia.