caguirofie

哲学いろいろ

#4

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-03-23 - caguirofie060323

第一日( d )(《精神》‐《無》)

――ええ テオドリックというゴート人です。前のスキリ族の王オドアケルも よくした支配者だったのですが 今度のテオドリックは それ以上に一般に評判がよいそうなのです。いわゆる蛮族とぼくたちは呼んでいますが このごく少数のゲルマーニアの蛮族が 大勢のローマ人を何事においても指揮し 時には横柄であったりするそうですが そういったことを除いては いま半島の統治は 非常によく行っているようです。
――こんなことを訊いていいかどうか。・・・でも 外国人に国を渡してしまったわけでしょう?それについて ボエティウスさんは どうお考えですの?
――ええ やはりローマはローマ人の手で守っていきたいと思います。しかし たとえば このアテナイも繁栄が 永久には続かなかった。ローマは少なくとも 過渡期にあると思います。いづれにしても 現在は 皇帝を立てていた頃・その末期よりも 国は安定して人びとも 住みよくなったということです。テオドリックは 外国人ですが 政治家として――もちろんかれが 王として立つときに 前の支配者のオドアケルを 策謀と武力で倒したという汚点は 拭い去れないのですが―― 政治家としては 大変すぐれた人物のひとりだと言われています。・・・
――〔ナラシンハが とつぜん 話し出すように〕 ボエティウス君 それじゃ もしきみが そのテオドリック王のもとで 政治を執ることを要請されれば それを受けるつもりかね?
――ええ ナラシンハさん。できれば このまま哲学の研究をつづけたいですが もしそう請われれば よろこんでそこに就きたいとは思います。
――あなた いつかボエティウスさんからも聞いたのですが ボエティウスさんの亡くなられたお実父(とう)さんは 前のオドアケル王のもとで その政治にたずさわっていらしたんですって。
――うん。
――テオドリック王というゴート人のどこにそんな魅力があるのでしょうね。
――ええ。・・・でも実父(ちち)が亡くなったのは 単なる病気ですから。それにテオドリックのもとではたらくことと ぼくが亡くなった父を愛することとは 矛盾しないはずです。ある意味で やはり同じくローマ人のために仕事をするのですから。それにいまの養父(ちち)も もしそう願うならということで すでに承諾をあたえてくれています。
――そうですか。若い人には 大きな未来がひろがっていて いいですね。・・・まあ また年寄りの愚痴 ほほほ・・・。
――ですから おばさんも ナラシンハさんも ローマの国に足を踏み入れることに 別段の危険はないと承知しておいてください・・・。ちょうどいま 養父のシュムマクスからの手紙をここに持っているのですが それにテオドリックの統治ぶりや国の情況が書かれていますから 少し紹介してみましょうか。
――そうだね。これであの大帝国が崩壊してから もう二十年あまりになるのだね。その間に一度 政体が変わって いまのテオドリックになり その君主のもとで どんな状態なのか 興味があるところだね。
――それでは 途中からですが読んでみます。

・・・わが養子(むすこ)にして未来の婿なるボエティウスよ ローマは 都も半島も 一般にきわだった不穏な空気は感じられていない。それどころか ますます政情は安定してきており 人びとの生活は確かな道をたどりつつあります。その点 ローマについて 無用の心配は要らない。きみはさらにしっかりと自己の道をアテナイにて究められることを 願っておきます。
親愛なるボエティウスよ きみがそちらへ渡ったのは あれはちょうど あのテオドリックが 統治後 十年近くにして コンスタンティノポリスローマ皇帝アナスタシウスの承認を得て ローマの《君主》からローマの《皇帝》となった年だったね。それまできみは 歳も若かったが もっぱら図書館に通ったりして学問に没頭していたから 政治の動きにはそれまで疎かったのは 事実だ。その後 そちらでコンスタンティノポリスの情勢を耳にしたりして こちらへ書いて寄こすようになったり また 私もこちらから 首都ラヴェンナの様子を手紙にしたためて送ったりするとともに 年々 学問に専心するとはいえ きみのお実父さんに負けずに 将来 元老院の中に入っても 退くことのないように心がけていることは 大変いいことだと思う。
今日は そんな意味でも きみがいくらかまだ不案内の アテナイへ発つ前のローマのことを交えて 少しこのテオドリックの統治について 書きしたためておこうと思うのです。それは最近ますます この・皇帝の称号までを手にした一ゴートの王が 人びとから少なからず 好評を勝ち得ているという事情もあるからです。
テオドリックは 十年以上経っても まだ一度もこのローマの都にはやって来ず もっぱらラヴェンナの遠くにいて このローマの元老院を操っているのだけれど そんなわけで このゴート人の人柄であるとか 今後はどのような方向に進むのかは まだ未知数でもあると思われるのだが そのことを除けば ひとことで言って私の周囲でも ローマ人の非常な支持者を獲得しているように思われるのです。
私個人も 特にその意見に異存はないように思うのだけれど ただ古い言い伝えにもあるように 最後を見届けてからでなければ その時代のほんとうの評価はくだされるべきではないとも思われるので 賢明なローマの人びととともに 今後の進路をしっかりと見守っていきたいというところだと まずは前置きして・・・。
さてまず初めに 帝政の頃からイタリア半島がいつも頭をなやましてきた外交の面についてだけれど それについては テオドリックが つぎつぎと縁戚関係をむすんで平和友好の政策を取ってきていることは おおよそのところは きみも知っていることと思う。つまり 上に述べたように コンスタンティノポリスからの承諾をとり その東のローマと和平を敷いたことについては あるキリスト信仰の宗派選択を市民の自由にするという条件をのむこととの引き換えであったのだが その他の国ぐにに対しては つまり もはやかつての帝国(西半分)のすべてを占めてしまっており そうしてローマを取り巻くゲルマーニアの各種族の作った国々とは みな 婚姻を通じて友好の基調を敷こうというものでした。
それは具体的に かれの娘二人は それぞれ西ゴートとブルグンドの王子へ 妹はアフリカのヴァンダルの王へ 姪はチューリンゲンの王へ それぞれ嫁がせ 西の地であと残る一国・フランク族とは そのクロヴィス王の妹・アウデフレーダを テオドリック自身が 正妻として娶るという有り様なのだ。これらの種族は 確かにもともと一つの民族に属しているのであるが それでも衝突が なかなか絶えないようで たとえば リヨン地方からブルグンド族はしばしば南の地中海岸へ降りてきて リグリア人と争い 勢いを得て 多数の捕虜を奪って引き上げたことがあった。リグリア人は 正確にはゲルマーニアの民族に属さないが かれらを今はゴートが統治しているわけで テオドリックは早速 特使を遣って 和解交渉に入った。この時の特使が パヴィアの司教でエピファヌスというローマ人であり エピファヌスはこの以前に ちょうどテオドリックオドアケルと覇権を争って勝利をおさめた後 オドアケルに就いていたゲルマーニアの他の諸種族に属する者に対しては イタリアでの財産をすべて剥奪するというきびしい処分でのぞんだのだが そのとき これら残存者の身の上を思うエピファヌスの勧告によって テオドリックは大いに動かされ ほぼ全面的な大赦で応じたという過去の事実がある。
そこでこの司教エピファヌスが特使として リグリア人の捕虜を伴なったブルグンドのグンデバウド王のもとに赴いたのだが 果たしてかれの勧告がふたたび 功を奏すこととなった。王グンデバウドは ただこの司教の敬虔さに打たれ その六千人以上の捕虜を 何の代償を求めずに そのまま返したと伝えられているのだ。
ふたたび 東ローマとの関係について触れるならば 伝え聞くところによると――このエピソードはなかなか面白いと思うのだが―― テオドリックは 皇帝アナスタシウスへの書簡の中で 次のように述べて 実質上その独立を――察するに難なく―― 勝ち得たと言われている。すなわち

・・・今後 当地イタリアの政治につきましては 世界に冠たる唯一の帝国を配する貴下の御統治を ひたすら模倣して進んで参る所存です。おそらくは はるか後方を歩いて貴下について行かねばならないでしょう。しかしまた小国は 他のいかなる国にも抜きん出て この道を進みゆくつもりでございます。・・・

というものだ。
話は前後するが あるいは縁戚をむすんだ他のゲルマーニア諸種族の国に対しては 先の対コンスタンティノポリス関係と矛盾することなく 帝国ローマの名をもって臨み 皇帝を継ぐ者としての最高権を主張し かれらに受け容れさせる。すなわち 北の地ゲルマーニアで もともとは互いに隣りどうしだった者であることを 少しも いつわらず しかも その中でイタリアにあってその王である者こそが カエサルの名を継ぐのであると言明していったのです。
かつての西帝国の領土は 今は アフリカはヴァンダル イタリアとスペインにそれぞれ東と西のゴート ガリアはブルグンドとフランクというふうに すべて かれらゲルマーニア人が支配するまでになってしまったが この中でテオドリックは 皇帝を継ぐ者として 他の種族に対して宗主の立ち場をもって接し これら他の種族の君主たちも それを認めることによって 互いに もともとはローマから掠奪したものであるところの領土を つごうよくそれぞれ自己のものとして正式に承認されたものとする。そしてその意味で ますます互いに 連帯感を深めていきつつあると言われているのです。
国内においては イタリア半島はその南部およびシチリアについても きわめて早い時期に 新しい君主の権威が及んでいっており この半島のゴート王国全体の内政についても その外交の面と同じように 幅広く新しい政策が それぞれ好結果を生んで つぎつぎと施行されてきている。もっとも この繁栄への再出発も 実際にはその背後に有形無形のゴート人のみから成る権力と軍事力がひかえていてこそ これまでのように着実に成果を挙げ得ているのだという議論も 見逃せないもののようではある。
が しかしそんなではあるが またそれ以上のことの何が出来ようかとの議論も 少なからず 他方では 挙がっている。それは次のようなものです。たとえばまず テオドリックは 国土の三分の一をゴートの所有として取り上げたのであるが これは実際には すでにオドアケルのときに 三分の一没収として取り上げられていた土地そのものであり しかも一般に 戦争などの結果としての人口減少から来る人手不足を訴えていた農地においては 流入して来たゴートの者たちは むしろ歓迎すべき一種の移民であると考えられる場合も少なくなく これらのことは テオドリックという人物の何かきわめて運の強いところを示しているようなのだ。司法と行政 というか 市民の日常生活にかんしては かれらは わたしたちローマ人にその自治をあたえており もしテオドリックが介入することがあっても それは つねに 正義の理念を守らせること あるいは 公の秩序と私的な利害との対立にかんして たとえば裁判について 忠告をあたえるというような形で 特別の配慮をなすのみであると言われる。それはそのような情況が テオドシウス帝の善政以来のことだと言われることからも 察せられるのではある。とにもかくにも この新しいゴート王は たとえば

他のゲルマーニアの者は 掠奪し獲物を得ることを喜びとするかも知れない。しかし私は 征服された国民が あとで何故 もっと早く征服しなかったのかと悔やみさえするような国を 築き上げたい。・・・

と述べたという人物である。いづれにせよ 親愛なる養子(むすこ)であり友であるボエティウスよ きみやわが娘ルスティキアーナの成人して送りゆく時代は 今しばらくは このきわめて特異な異国人の治世とともに歩むことになるであろう。私たちは 言うまでもなく ローマの市民として誇りを決して 失うことなく この新しい時代に賢明に処していかなければならないと思う。
ただ もっとも このゴート王は みづからの民族と私たちローマ人との融合を嫌い たとえばゴート人の子どもたちをローマ人の学校に行かせるということは しない。そしてそれはまた 《平和のことはローマ人に 戦争(外交)のことはゴート人に》というわけで 教育によるあるいは軟弱化を嫌うと同時に 小さいときから闘いをしつけ 軍事力としてはローマ人を排除し すべてゴート人でまかなうという政策とつながっている。
もちろん ローマ人の自治に対する監督や ローマ人とゴート人との間の訴訟などについては かれらは少なからず関与するのであるが しかしいま述べたようなわけで 基本的には ゴートとローマとの間には 多かれ少なかれ 隔絶の感覚もその事実も 存在しているということができる。その意味では ゴートとローマが 《ともに歩む》と言っても このテオドリックの治世は 私たちにとって 必ずしもこのままで長く続くというふうにも見られず それでは 一体どんな意味があるのか ということになるが そういった事柄については 今はまだ軽率な判断をくだすべきではないとは思われるのです。
ともかくローマはいま復興しつつあります。平和のうちに違ったかたちで再び繁栄に向かいつつあります。そしておそらく そうしながら 同時に他面ではまた 悩んでもいるのでしょう。ただその新しい主人は――幸か不幸か―― きわめて親切な善意にあふれた政治家であるといったことに間違いはないようであるのですが。・・・

すいぶん長くなってしまいましたが イタリアの情況は シュムマクスによれば だいたいこのようなところだと思います。
――いや なかなか面白い見方だと思いました。ありがとう。
ただ ボエティウス君 わたしたちから見て 一言いわせてもらえれば やはりきみたちローマ人にはローマ人の生き方があるように感じられるというのも事実ですが・・・。
せっかくのお手紙を悪く言うわけではないのだが 今日の議論との関連で少し触れさせてもらえれば ありがたいのだが。それは ひとことで言って こちらでは 哲学や哲学する人と 政治という現実の世界とが 互いに正反対の方向を向いているようでいて しかも微妙なかたちで ごく微妙なかたちで それぞれ互いに巧く連動しているといったように見受けられたことです。
こういうふうに言えば いやみが交じらないでもないのだけれど ごく単純に図式化してしまえば きみのお養父(とう)さんのシュムマクスに代表されるローマ人が いわば《哲学》だとすると 異国人のゴート人は それに対して《政治》であると考えられます。そこで大雑把に言ってわたしたちの国では わたしたちの《哲学》は つねに《政治》とも いわば地続きであることを願っており そう信じられているのですが それに対してきみたちのローマ人のあいだでは《哲学》が つねに《政治》から対立あるいは上昇していこうとする傾きがあるようです。そしてそれにもかかわらず その互いに隔絶の傾向がある哲学と政治とは――それは 当然といえば当然なのですが―― 互いに相い携えて進みうる・現にそうであるというふうなのです。
うまく言い表わせませんが わたしたちの間で 《哲学》が《政治》と地続きであるというのは その哲学が 実際には《非在》あるいは《無》であるということです。しかもわたしたちは その哲学を愛しているのですが その見方からすれば きみたちの哲学は 少なくとも政治というものに対して別のものとして《存在》しており いわば《有》であると思われ しかも政治と哲学とが 互いに微妙なかたちで・あるいは目に見えない高い観点から なかなか巧みに連携をなして進んでいると思われるからです。
あるいは このことは 今日 語り残したこと つまり現実の具体的な善悪の基準――要するに 生活上 ある行動に対して どういう判断の基準が 常識なのであるか――というテーマと関連があることなのかも知れない。
が どうだろう このことは次の機会にゆずって 今夜は措くことにしませんか。夜も更けてきたことだし。
――わかりました。それが いいかも知れません。
――でも ボエティウスさんのお養父さんは いいおとうさんですね。わたしそう思います。・・・
(第一日了。次の日につづく→2006-03-27 - caguirofie060327)