caguirofie

哲学いろいろ

#12

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

青春

neuf

窓のあたりは やがて 月明かりがむしろ部屋の灯を凌ぐほどに照らしていたが テオドリックは 起き上がると その窓辺へと歩き寄った。海からの風は 相い変わらず吹いていた。テオドリックは 部屋の内へ向き直ると 静かにエウセビアをながめた。
エウセビアは 視線をそらさず みつめかえすというほどでもなく 涼やかにテオドリックをみた。
エウセビアは どこといって目立つ容姿ではなかった。白い淡い土色の衣裳のなかに 全身として こぎれいな美しさをもっている。そして やはりその涼しそうなひとみがそのすべてであるように思われ微風が吹き入って かのじょの黒い髪が そのあおりを受けてのようにかすかに揺れるのが見られた。
今は潜んでいるものの 情熱のあふれたゴートのひとりの少年が 白い寛衣を纏ったこのギリシャのひとりの女性に魅かれないわけではなかった。しかし テオドリックは 向きなおって 窓越しに外の月明かりをながめる。そして――もしくは しかし―― エウセビアは 従順であった。従順であることを 自分の存在としようとしてさえ いた。やがて ボスポロスの海のざわめきが 心地よく聞かれ出すと テオドリックが しずかに語り出していった。


――きみは ずっと エウセビア ギリシャで暮してきたのかい?
――いいえ テオドリックさま とエウセビアは即座にこたえた。わたしの故郷は アジアのイサウリアです。・・・テオドリックさまと同じように 父母をイサウリアの山奥にのこして このみやこにやってまいりました。
かのじょは こんなことも今まで話さなかったかというようなことを すなおに語った。
――そうか そうだったのか。・・・しかし それじゃ あの陛下の親衛隊長のゼノとおなじ国ではないか。
と しかしテオドリックは 考えがやや思わぬ方向へ向きかけた。
――ええ わたしは テオドリックさまと同じゲルマーニアの血を引く*1アラン族のアスパルさまと争っているゼノさまの国 イサウリアのおんなです。でもわたしは 大臣アスパルさまの側の野蛮なバシリスクスさまが あまり好きになれません。わたしは 陛下レオさまと そしてゼノさまを信頼しております。
エウセビアは 一気にこうこたえた。
アスパルは いわゆるゲルマーニア傭兵から身を起こして 帝室第一の有力者となった人物である。先帝のマルキアヌスの頃から 絶大な勢力を振るっており 皇帝レオはこれをきらい もともと自身が このアスパルによって擁立されたものであるにもかかわらず ゼノの率いるイサウリア兵を味方につけ このアスパルとの対決をもくろんでいたと言われている。
――いいのだ エウセビア。おなじゲルマーニア人のあいだでも争いはするものだ。それより・・・
テオドリックは実際 種族をはなれてわが道をゆくアスパルの行き方を嫌っていた。もっとも 先のアフリカ遠征の際 その地にはヴァンダル族とともに 自身(アスパル)と同じアラン族の一団がともに移住しており 自身は遠征に加わらず バシリスクスを指揮官として遣ったアスパルの立ち場を理解できないわけではない。
のち 皇帝レオの死後 ゼノと レオの義弟であるバシリスクスとは 互いに帝位を争うことになる。その時 ゴートの王となっていたテオドリックは 前者を支持して その帝位就任を援助した。そして その前(レオの生前)には レオとアスパルとの対決が まさしく実際のものとなるのであるが それより今は 正直なエウセビアを信じて
――それより エウセビア ぼくの部族の故郷はどこだか 知っているか。
と尋ねて テオドリックは ふたたびしずかに語り出した。
――ええ ドナウの上流のパンノニアの地と聞いております。
――いや もっと昔のゴートの故郷のことだ。
――いいえ 存じません。
――エウセビア ぼくたちゴートは ローマ側からは 蛮族とよばれている。ぼくは 他所からどう呼ばれようとかまわない。しかし ただ ぼくたちゴートは おちつく場所がないのだろうか。
とやはりテオドリックは しかし 感情が先走っている。
――おちつく場所 ですか。
――そう。ぼくの父から数えて十三代の昔 ぼくたちの祖先は あのボスポロスのずうっと奥のスキティアに住んでいたのだ。
――ええ。
――北の果てのドニエプルの流域。――そこに昔 ゴートの帝国があった。
王のひとりであるエルマナリックは 東にアラン族をしたがえ 西に西ゴート族を威圧して 国土をおさめていた。しかし あのアッティラフン族がやってきたとき 家臣のなかに謀反を出して またたく間に領土を侵されてしまった。ついにエルマナリックは 謀反をおこした者とその妻を虐殺してみづからも自害の道をえらんだのだ。
エウセビア ゴートはこうしてこの帝国もエルマナリックを最後に 結局二百年の定住生活が破られることになった。そして先年のフンの皇帝の死でやっとパンノニアの地を得たが それまで八十年も かかっている。しかしいづれにしろ ぼくたちはいったい おちつくことがないのかと思う。
――・・・。
――たしかにローマは とテオドリックはこの議論を最後までみちびかずには いられなくなってしまった。たしかにローマは 西ゴートのアラリックや ヴァンダルのガイゼリックに侵されはしたが しかしローマ人は その祖先からの地で依然として暮していることに変わりはない。
この東のローマであるコンスタンティノポリスも アラリックやアッティラに攻撃を受けた。しかし その城壁の内側はびくともしていない。三年前の大火事であんなに焼失してしまった街も 今は こんなにりっぱに立ち直って人びとは 曲馬団とユダヤの神のおしえを楽しんでいる。
――テオドリックさま とエウセビアはすぐあとに続いてこたえた。ようやく テオドリックの憑きものが落ちたかのようだった。テオドリックさま そんなにご自分を卑下なすってはいけませんわ。わたしにはよく分かりませんが わたしの国イサウリアのお隣りのガラティアは そのあたりは皆 ローマの領土ですけれど 昔は 異民族のガリア人たちが築いたものだということです。
そして アスパルさまの例ではありませんが いまローマがその国土を守っていられるのは ゲルマーニアの力があればこそだと言われています。・・・わたしは女です。この世の争いのことは分かりません。ただ できることなら テオドリックさまのお国で暮してみたいと思うだけです。それは 叶わぬことだと思いますが・・・。
とかのじょは テオドリックのことばに連なるのだった。どういうわけか 冷酷なほどに かのじょは テオドリックの側に立った。
しかし こうこたえて エウセビアの言葉は なおも押し寄せてくる波のようであった。テオドリックは いくらかためらいながら やがてふたたび身体を窓の外に向けて 海峡のひびきの聞こえてくる暗闇のほうをながめやった。《ゴートの権力(正義)・・・》などということにまで その思いが馳せていかざるを得なかった。《それには ゴートには 何が欠けているのか。何か欠けているのか・・・》。ただいまのエウセビアとの問答からは ここへ身をおかざるを得なかった。
(つづく→2006-03-10 - caguirofie060310)

Isaurie. - Ancienne contrée de l'Asie Mineure, entre la Phrygie au Nord, la Lycaonie à l'Est, la Cilicie-Trachée au Sud et la Pisidie à l'Ouest; Capitale : Isaure.
Les indomptables habitants de cette petite contrée montagneuse, située dans le Taurus, ne furent jamais qu'imparfaitement soumis aux Perses, à Alexandre et à ses successeurs. Leur capitale fut prise en 76 av. J. C. par le Romain Servilius Vatia, qui fut surnommé lsauricus. Mais ils ne subirent complètement la domination romaine que sous Probus. L'Isaurie forma une province du diocèse et de l'empire d'Orient.

*1:THE ALANS 〔ALANI / GELONI〕:ペルシャ民族だという。現在のオセティア人らしい。;These were originally an Iranian steppe people who settled in Scythia in the fourth century BC, displacing the Scythians, a similar Iranian Steppe culture. Scythia consisted of the plains which stretch from the north of the Black Sea over to the Caspian Sea. The Alani are first mentioned by the Roman historian, Josephus, in the first century AD. He calls them a Scythian tribe living near the Don (Tanais) and the Sea of Azov. They seem to be indivisible from the Samartians and the Geloni of the same region. Herodotus mentions the Geloni (Gilans), so they were either closely related, or more likely the samepeoples.;Conquered by the Huns, they became allies, and most travelled west with the Huns. Split by the Hunnic attacks, some Alani tribes remained behind, dispersed across the steppes. They were forced by further waves of invaders to migrate into the Causases. They eventually founded the regionally powerful kingdom of Alania, but were defeated by the Mongols in the eleventh century. They re-emerged as the Ossetians, based in Georgia.