caguirofie

哲学いろいろ

#16

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

青春

treize

夜が明けた。
それは 奇妙な夢を見た夜から 丸二年たった夏の或る朝である。
テオドリックは 十六・十七の誕生日を過ぎて 十八歳になろうとしていた。
まどから射す曙光は テオドリックの部屋いっぱいにひろがっている。ひとつひとつの光線が おどるようである。まどの外では しきりにさえずっている雀の声が 朝露をふくんでいっそう さわやかである。
テオドリックは こころが はずんでいた。こころよい朝の冷気が この日のめざめを祝福していることにまちがいなかった。


――テオドリックさま お別れですわね。・・・。
運んできた朝食の盆を置くと エウセビアは ひとことそう言った。
かのじょは 目こそうるんでいたが つよい調子がその言葉には込められていた。テオドリックは居ずまいをただすようにして 食事に向かった。
この日は ほかでもないテオドリックの解放の日その日である。
そしていまも テオドリックは エウセビアの前では 一生徒であることを止めなかった。またテオドリックにとって かのじょの前でだけは それをやめることは難しいというあきらめに近くもあった。
テオドリックとエウセビアとは たがいに遠くなってしまったことは 事実である。ふたりのあいだに 暗黙のうちにあった理想といったものは はぎとられてしまっていた。そしてさらに それをみとめてしまうことは すべての喪失である。しかも じつは その喪失こそが――いままで かいまみてきたように―― 全世界そのものにほかならないと感じながらも テオドリックは なにものかに対して 最後の抵抗をこころみるかのように とどまっていた。
言ってみれば 絶対的な優柔不断を敢行していた。まるで 人が神をえらぶのではなく 神が神のほうが人のところに降りてくるといったようなこと それをじっと待っているかのように。そしてテオドリックは エウセビアの前では たとえば恋について 一生徒であることをやめていなかった。さらにそして そのかぎりでテオドリックは あの降下の法則を信じているかのように――である。


それはちょうど一年前 すなわち四六九年の夏のことである。
その日。――
宮廷に 街の曲馬団がまねかれ 演芸が披露された夜のこと。その宴の席には その折 滞在していたゴートの夏の使節たちも招かれ テオドリックは生まれて初めてみるサーカスに 国の者たちとともに しきりにはしゃいでいたのである。十六歳のときのことである。――
ことは テオドリックが 一団のなかの 腹部をあらわにして踊るくろい肌のひとりの女性に見惚れたことから 始まった。
それは 時にはげしく時にゆるやかに 両手に剣を持って 肩をゆらし 腰をひねり まえにうしろに よこに ゆれうごき ゆれまわって エジプトの舞いを舞う女であり そもそも初めに かれはこの女性に魅せられた。
そこでは かたなが光り ほぞの金剛石が光り 彫りのふかい艶のある顔のなかから おおきなするどい双つの目がぎらぎらとかがやいている。そして そのまま視線が合うと テオドリックは そこに たがいに引き合うちからさえを感じるほどであった。
――あれは ジプシのおんなだよ。と言ってそばのギリシャ人がテオドリックに声をかけた。ジプシたちは 定住地をもたず こうしてあちこちを彷徨っているのだよ。
テオドリックは このギリシャ人の言うことにあまり気を向けはしなかったが ただ 自分があまりにも舞う女に魅かれていたらしく その自分の向かっている方向とは逆の方へ つまり《こちら側》へ引き戻そうという感じを いっしゅん 感じた。やがて 燃える火にかこまれて さらに大勢がくわわって剣の舞いがつづいて繰り広げられた。
――皇帝殿 そろそろ テオドリックを引き放してくださってよろしいのではあるまいか?
いつのまにか ゴートの使節と皇帝レオとのあいだでは 人質テオドリックの話が始まっていた。
――先年の夏にまいりましたときには 考えておこうということでしたが あれからもう丸一年たちました。今回の使節われわれと一緒に引きあげさせてもらえまいか?
――ゴートの王は 健勝でおられるかな?
――・・・。
――なら もうしばらく ここにいてもらおう。テオドリックもまだ若い。
――皇帝どの テオドリックはもう十七歳になろうとしております。十七といえば われわれゴートのあいだでは りっぱに戦場に出る年であります。それにもうかれが ここコンスタンティノポリスに来てから すでに九年が経ちました。そのあいだ われわれはじゅうぶんパンノニアの辺境をまもってきてもおります。このへんでわれらが王子をおかえしくださってもよかろうと思いますが・・・。
――ゴートの人よ 近年 蛮族の動きが静まってきているとはいうものの ドナウを一歩 北へ入れば 猛々しいゲピデ族が陣をかまえておる。パンノニアの向こうの地 ノーリクムでは ブルグンドやヘルリの者たちが 覇をきそおうとしている。これらとゴートと ゲルマーニアどうしが手をむすび 帝国をおそわぬとも かぎらぬ。
――・・・。
――それは 冗談としても われわれも そう長くは引き止めておくまい。そうあと一年だ。テオドリックもあと一年の辛抱だ。・・・
と言って レオは笑い飛ばした。話を聞いていたテオドリックは さきほどの愉しいエジプトの舞いとは裏腹に 十年目へとすべりだした人質生活に あらためてにがにがしい思いを味わわなければならなかった。
一年前 帰郷の夢がやぶれたとき テオドリックは 歩兵の息子に生まれればよかったとおもった。エウセビアと逃亡しようかとも。テオドリックは 今回 そんな弱気――それは 放心癖のなせるわざであったが――は まぬかれていた。ただ あと一年と期限を区切られたものの なぜか このように区切られたゆえに それは かれの気性がゆるさないかのようであった。レオに敵意をいだくということではなかった。ただ 弓を習い剣をならって身体をきたえてきたことどもの背後にあるかれの気性が はげしくゆれうごいて 止む気配にない。
テオドリックは サーカスの席から離れて 宮廷の建物の外に出た。庭を歩いた。静かに歩いているものの 足取りは おぼつかなく 絶望とも憤懣とも見分けがたい奇妙な状態のなかにいた。
獅子の像のある小さな池のまわりを ぐるぐる回り そして蔦の茂る壁づたいに 栃の木の並木の下を ひとりで歩いて行った。
そして 絶望を感じながら その感覚が――さきほどの隣りにいたギリシャ人の言葉のときと同じように 奇妙に 《こちら側》へ引き戻されるようにして―― どうしようもなく小さくなってゆき 奇妙にこころが落ち着き しかも なお何ものかに向かってすすもうとするとき 
《堕ちよ!》
という声が そして 《テオドリック おまえは 堕ちたのだ》という声が うまれた。その声とともに かれは 王子 種族 定住 祖国・・・といったことどもの周りを 速い速度で回っていた。そしてテオドリックは 何事かを意図しようとしていた。――
――ゴートの王子さま!
なまりのあるギリシャ語でそんなことばが聞こえた。とつぜん そこへそのような女の声が かれを呼んでいた。
ふりかえると テオドリックは うしろの栃の木のかげに からだ半分をかくすかっこうで 立っているひとりの女が目に入った。
女の顔は そして腹部も 夜の闇にかくれるほど黒く 胸とスカートの綾なす布地だけが浮かび上がっている。そして白い歯が きわだって 微笑んでおり よく見ると それは するどい視線を投げかけていた あのエジプトの舞いを舞った女である。
どこで聞いたのか このジプシの女は テオドリックのことを知っていた。
テオドリックは そして ジプシ女は 剣の舞いのときのように 闇のなかでぴたりと視線が合った。目が合うと 同じように今度もたがいにつよい引き合うちからがあった。そして 一 二 三 四・・・と数秒のあいだ うごかなかった。
――名まえは?
テオドリックは 自分から歩み寄って そう声をかけた。
――ラー。
――ラー?
――ラー。
――ティウドゥリークス。
テオドリックは 自分の名をゴート語でなのると さらに歩みよっていった。そして ジプシ女・ラーは そのまま テオドリックの抱擁をこばむことはなかった。
廷内では サーカスの宴がつづいていた。
(つづく→2006-03-14 - caguirofie060314)

MOUFTER, MOUF(F)ETER, (MOUFETER, MOUFFETER)verbe intrans.

Pop. [Le plus souvent dans une constr. nég.] Protester; prendre la parole, réagir. Je mouffetais rien (CÉLINE, Mort à crédit, 1936, p.462). Pensant avoir mal compris, tout le monde s'était tu (...). Devant le zinc, personne mouftait (SIMONIN, Touchez pas au grisbi, 1953, p.15).
Prononc. et Orth.: [mufte]. ROB.: moufter ou moufeter ,,utilisé surtout à l'infinitif et aux temps composés``; Lar. Lang. fr.: moufter. Étymol. et Hist. 1896 (DELESALLE, Dict. arg.-fr. et fr.-arg., p.327 et 393). Var. de mouveter «remuer, bouger», dér. de mouvoir* (ou aussi mouver en a. et m. fr.) att. dep. le mil. XVIe s. (DE BAIF, Amours de Meline, L. I, I, 24 ds HUG.) et resté vivant dans les parlers région. (cf. FEW t.6, 3, pp.166b-167a).

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