caguirofie

哲学いろいろ

#15

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

青春

douze

そこは 天とも地とも区別のつかないところである。
あたりは――幽かなひかりに照らされているような いないような――明とも暗とも見分け難い世界。死んだような靄のなかから いつしか轟音とともに 白い蒸気が滝のようにながれ落ちていた。《時間(ホーライ)》であった。
やがてテオドリックは混沌の女神(カオス)とともに 天上に一閃のひかりをみとめ 夜と昼とが分かれるところを 流れるものが流れ着ききって 山なみと海原とがそれぞれ明確にすがたをあらわすところを見る。
そしてかれは みづからの心のなかに はげしく流れ落ちる《生愛(エロス)》の滝を見た。
滝をのぼり すべり落ち また のぼりして 壮大な時の経過ののち その滝のうえの大きな殿堂のなかにいた。
それは 巨大な女神の像が祀られた神殿である。四方の扉は閉じられたまま 像の前後左右から どんよりとしたえんじ色のひかりが 射していた。えんじ色のひかりに照らされて 金箔を塗った像は おもたい黄金色に浮かびあがっている。
神殿の内部には 巨大な女神像のほかに 堂をささえるいくつかの高い円柱――そしてテオドリック自身――以外に だれもいない。
像は かれの背の高さほどの矩形の台のうえにあった。
左手は 地に立てた楯の上端をささえ 腕にながい矛をもたれさせている。右手は 像の腰のあたりまである右前の円塔のうえに手の甲を置き 手のひらにやや小さなもう一つの像を載せていた。
背中に翼をひろげた勝利の女神像(ニーケー)である。
巨大なほうの像の身体は うつくしく質素な寛衣につつまれ 胸にだけ胸甲をまとっている。胸甲には 髪をことごとく蛇に変えられ あの狂暴な目を光らせたメドゥーサの首がかざられてあった。像の頭の上には 永遠の謎をかかげるというスフィンクスがいる。
しっかりと前をみつめる像の目は 膨大な未来の時を見透かしていると思われる。像は 女神アテーネー(ミネルヴァ)であった。テオドリックは アテーネーを取り囲む えんじとこがね色の光の音楽のなかにいる。
エススの告げた神も そして祖先から伝えられた神々も しばし忘れて カオス エロス アテーネーと異教の神々の洗礼を受けたテオドリックは そこに ひとりの人物をみた。神殿のなかに ひとりの女性が 立っていた。ほほえんでいた。
――エウセビア!
とかれは その影に向かって さけんだ。どういうわけか 声が出ない。その人はまさしくエウセビアであった。けれども いくら呼びかけても 声に出ない。ちかよっていくと かのじょは微笑みながら後ずさりして 円柱のかげに隠れてしまった。
声を限りに叫んだ。――が静かな神殿のうちに かすかに まるで空気の波が 不気味に反響するのを感じた。柱のうしろから エウセビアが顔を出して やさしく笑っている。
ふたたび駆けていった。思うように走れない。達したかと思うと エウセビアはするりと身をひるがえした。かと思うと いっしゅんの内にどこかへ消えてしまった。
――エウセビア!
とふたたび叫んで 目が醒めた。

そこは戦場だった。トロイとギリシャとの両軍勢のあいだを 軍神(マルス)が荒れ狂い 双方の勢力が敢然とたたかう最前線。――
あたりの兵士をなぎ倒しながら 猛烈ないきおいで 二台の馬車が テオドリックの目前へと 突進してきた。トロイ方の貴族ペーゲウスとイーダイオスとであった。
テオドリックをみとめると ペーゲウスが 先駆けて 戦車から長い槍を取ったかと思うと いきおいに任せて テオドリックに投げかけた。敵の先兵とたたかうなかで ペーゲウスが槍を投げたのがあまりにも とっさのことで テオドリックは振り払う暇もなく 左肩にその槍を受けてしまった。
槍は胸甲を突き抜け ぐしりと刺さった。テオドリックは気概はすさまじく 一瞬のひるみも見せず その槍を肩から引き抜いたかと思うと 車上の敵をめがけて 投げ返した。槍は みごと ペーゲウスの胸を射抜き トロイ戦士は戦車から どっとくずれ落ちた。もうひとりのトロイ戦士は 戦車からおりて地上の味方の勇士をひとこと庇うと 剣をかまえてテオドリックの前に立ちはだかった。
――火の神(ヘパイストス)の祭司ダレースの息 イーダイオスである。いざ!
傷を負ったテオドリックも 剣をかまえなおして 勝負にいどんだ。
――エルマナリックの裔 王テウデミルの息 テオドリック
と名のった。時と所との奇妙さは あたまのなかになかった。二閃 三閃と かれは イーダイオスのするどい襲撃をかわした。時に果敢に斬りつけ 一騎打ちは 一進一退であった。肩の痛手を負いながら テオドリックの剣には 長い《旅》の重みが光っていた。勝負が長引いたあせりから イーダイオスが この一撃とばかり突き進んできたところへ テオドリックは 最後の一突きを見舞った。剣は みごと 甲冑のうえから胸板をつらぬいていた。
肩の傷をいやすため引き下がろうとすると そこへ 総大将アガメムノンら歴戦の勇士が テオドリックのまわりを囲んでいた。見ると そのなかには イサウリアの将ゼノがいた。西ゴートの〔イスパニアに渡ったほうの〕テオドリックがいた。そしていま戦った二人のトロイ人を見ると さきに倒れたペーゲウスは ゲルマーニア民族のスキリ人の顔立ちに変わっており あとのイーダイオスは まさに同族ゴート人であった。そしてスキリのほうは Ο(オミクロン)の文字を ゴートのほうは  Θ(テータ)を それぞれその胸甲に縫い付けていた。周囲の者たちは 親愛の手をそれぞれ差し伸べており その手を迎えにいこうとするとき テオドリックはまたも 目が醒めた。


――妙な夢をふたつ見たな。
テオドリックは 思った。エウセビアに向かう自分を叱りながら 《イーリアス》を夢にまで見るとは このみやこにも充分ながくいたと思う。そして自分の前に立ちはだかったそのスキリのΟ そしてゴートのΘのことへと いぶかしみが 向かっていった。
(つづき→2006-03-13 - caguirofie060313