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哲学いろいろ

#14

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

青春

onze

テオドリックにとって 宮廷での生活は 軟禁状態であったが ひとつの優雅であることに まちがいはなかった。どこかにそう思うことの卑劣だという意識をもちつつも ふたたび寝台の上に背から倒れ込んで 一時 死人と化したかのように かれはそう感じてみた。
これまで 人質としてドナウをくだってここにやってきたのが 七歳のときであり 年端のゆかない少年であったこともあり レオ皇帝は かれを親切鄭重にもてなし 教育を厚くほどこし 優遇してきたのだということは すでに述べた。そしてこのように かれが不幸のなかに 恵まれてあるということの背後に 意地悪くながめれば 宮廷の側の計算があるという点にも すでに触れた。
それは このような人質が テオドリックのみに限られたわけではなく そして 蛮族の王家の者を優遇することは かれらに託した帝国辺境の防備を堅固なものにするためにも おろそかにしてはならないものであり あるいは さらに背後に陣取る他の蛮族に対しても それらへの警戒の意味でも そのように柔軟な姿勢を示すことによって みづからの安泰を確保しようと図っているといったことは じゅうぶん考えられたことからである。
そして やはり静かにしていると 大広間のほうからは まだ歓声が絶えておらず 宴会は夜どおし続こうかという勢いのように思われた。アフリカ遠征は 負け戦さであったりしたものの 生還したとうとい兵士たちを皇帝はその労をねぎらっておこうとするかのようである。
帰還してからも じつは しばらくは 指揮官バシリスクス以下 誰にも会わず かれらに蟄居を命じていたのだが 今夜やっと――バシリスクスの姉である皇妃ヴェリナや 大臣アスパルの口添えもあって―― 皇帝は 怒りを解いたようなのであった。そう思われた。あるいは いづれ解かざるを得なかったであろう。・・・それにしても テオドリックが思い出すことには 皇帝がその席で テオドリックの前では 敗戦の将バシリスクスに カルタゴの模様を和やかなうちに聞こうとしていたことには いくらか解せないところがある。
だが このことは措くとして。――いまのローマの状態はといえば。――
フン族アッティラが去ってから ここ十数年のあいだ 蛮族と帝国との争いは 小康状態を呈している。すくなくとも コンスタンティノポリスは 安寧であり 先帝マルキアヌスの頃からの農業振興そして蓄財が これまで 成功をおさめていた。レオもこれを継いで ちからを盛り返し 前年には 先帝の娘婿アンテミウスを 西ローマの皇帝に就けるほどまでに強大になっていた。
逆にいえば それほど西のローマのほうは 衰退してしまっていたのであるが それでも 今度は そのアンテミウスと連合して 結果は別にしても アフリカの領土奪還への意志を大きく示すことができたと見られないこともない。・・・
ゴートは。――ゴートは パンノニアに平穏を回復してから さらに テオドリックの身と引き換えにして 細々とではあるが 国力を増していった。とおく 異族との戦場で 伯父ワラミルを失う不幸はあったが 今や叔父ウィディミルは一軍を率いて さらに南の地を侵そうとうかがうほどになっていた。テオドリックが 異国の宮廷で成長するにつれて 祖国は父テウデミルのもとにあたらしい王国をきずきつつはあった。
ゲルマーニアの他の種族の動きなどについても 時につれ折にふれ テオドリックの耳に入ってきた。
永遠の都ローマを掠奪したのは 西ゴートとヴァンダルであった。今は前者は ガリア・イスパニアを 後者はアフリカを それぞれ奪い確固とした地位をきずいて ローマを取り巻き圧していた。みづからの手によってか 他の者の手によってか いづれにしろ ローマの都が 崩壊するのを待っているようとさえ ささやかれていた。
アルプスを隔ててすぐ北の地には ブルグンドがおり ガリアの北には フランクら諸種族がひかえている。そしてかれらは じぶんたちの番がめぐってくるのを待っているかのようであると。
半島じしんも 帝国の火をかろうじて守っていたものの(例のアンテミウスをレオが 皇帝に就けたものの) やはり実は もはや実権は パトリキウスの称号をつけた蛮人リキメルがにぎっていたのであるし このアンテミウス政権も 蛮族の傭兵がほとんどすべてを支えていたのであって いたるところにゲルマーニアの血が 溶岩のようにながれ入っていた。リキメルは 西ゴートの王ワリアの孫にあたり イベリア半島の南端に移住したスウェウィ族の血を引く将軍であったし 皇帝警護の役にあたる者の中には やがて――八年もたてば――その息子を最後の皇帝に立てようという(そして わづかながら 立てた)オレステスが 〔かれは もともとパンノニアに住んだ貴族であり まずアッティラに仕え その後 ゴートがパンノニアを占拠するとその地を去り 故国であるイタリアに下りてきていたのだが〕 すでに交じっていた。
さらに やがてこのオレステスの指揮下に入るであろうオドアケルは 〔かれは オレステスが アッティラに仕えていた時の同僚であるスキリ族の首長エデコンの息子であり おなじくゴートに追われたのだが〕 パンノニアの西の地ノーリクムを 少数の同胞とともに放浪っていたところである。
オドアケルは 父のエデコンを 三年前(四六五年) ゴートとの戦いで亡くし かれらスキリ族は 潰滅状態にちかくあった。オドアケルも オレステスも 後からながめることによってのみ その存在をこの時点で指摘できるわけであるが いまの情況としては たとえかれらが後に頭角をあらわさなかったとしても 第二・第三の人物が台頭してきたにちがいないものと思われたのである。〕
テオドリックは こんな情況をあたまに描いていた。そのようなことを考える時間が徐々に増えてきたことを知っていた。自分の血のなかに メランコリーを愛すという反面で 傲慢なほどに大きく世界を目の前にするという気性のあることを知っていた。
あるいはそれは アッティラや祖のエルマナリックらに負けずに名をなそうとして勇んでいるのだろうか。あるいは あの永い旅に終止符を打ちたいというねがいからであろうか。ただ いづれとも見分け難い ただどろどろとしたようなものが内にあって 少年の頃 あれほどはみ出そうとしていた自分が 結局は たとえば《ゴート》という枠のなかにおさまってしまいそうだ。
いづれにしても 自分にとっては 《はじめに社会があった》のであって それは 《言葉》のみでも 《行動(労働)》のみでもなかった。この観念が次第に自分のなかに根付こうとしているのかも知れない。
さらに。――
大陸の北から降りてくる蛮族の溶岩は あとには一歩も引かないように 旅を敢行している。その行軍の足を止めることは おそらくできない相談である。それは 死を意味する。だから 都市が 移動している。そして文明が さまよっている。ツィゴイネルワイゼンをうたったかも知れないものの あるいは斧と槍による死の舞踏を 行く先ざきで繰り広げていることだろう。いってみれば 全ヨーロッパが チェス盤と化して 遠ち近ちにあるいは大きくあるいは小さく 無数のゲームが はじまっている。自分はどうあがいたところで このゲームからは逃がれられないのかも知れない。
――ただ いまは 優雅だ。
テオドリックは その優雅さを どうしようもない地獄と感ずるときがあるものの そっと そう つぶやいた。そして いつしか まだ顔に十五歳の無邪気さをのこして 眠りにおちいった。

(つづく→2006-03-12 - caguirofie060312)