caguirofie

哲学いろいろ

#21

――ボエティウスの時代・第二部――
もくじ→2006-05-04 - caguirofie060504

§3 バルカン放浪 ** ――家族論―― (21)

本章は 前章につづいて《バルカン放浪》と題した。ここでは テオドリックが 種族ごと あらためてマケドニアの地に定住してからの後の バルカン放浪の期間をあつかう。
この放浪がやむのは テオドリックがようやく ついに意を決して 〔西〕ローマの支配者オドアケルの征討を目的として イタリアに かれの人生における第三の旅を敢行するときである。従って この第二のバルカン放浪期は そのあいだの時代 つまり テオドリックがゴートの王として立った二十二歳の時から三十五歳になるまで 四七四年から四八七年までの十三年間である。
この放浪の期間は 充分にながいと思われるが テオドリックは いったい何をしていたのであろうか。
それは 端的に言って まさに ――事業の途に就きながらの――空位期間であり きわめて要約して言うならば まず拠点は そのままマケドニアの領地に置きながら そしてコンスタンティノポリス宮廷(おおむねゼノ皇帝である)との和平と戦闘と和解とを繰り返している時期である。
すなわち そこでは 協調の期間にあっては ゼノから宮廷に招かれ ふたたび そこでの華美な生活に長く浸ることもあれば 同盟軍として 地方の反乱部族の征討に出かけ しかも その時 約束の援軍を送られなかったというゼノの欺きにも遭い その後 みづからも反乱を起こし やがてふたたび 調停に応じるといった単純な行動のみしか見られない時期である。
その間 この時期の最初の年 四七四年には 東ローマ皇帝レオの死とともに ゼノの統治が始まっている。その三年後には 西ローマ帝国ラヴェンナ宮廷)は オドアケルの攻勢に ついに潰え去っている。その後イタリアでは 十七年間 オドアケルが その統治を展開することになる。情況は このようであった時期である。
ただもちろん 《単純な行動》といっても このときテオドリックにあっては コンスタンティノポリスとの外交活動――あるいは 俗に言って 種族の存否をかけてゼノとの駆け引き――が長く 微妙に 展開されていたと見なさなければならない部分も多い。しかし それにしても テオドリックは その孤独の外なる展開に向けて その途につきながら しかも これだけの長い期間 《ローマへ》の動きは 微塵も見せないまま いったい何をしていたのであろうか。何を考えていたのであろうか。
これが 前章を承けて 第二のバルカン放浪の課題である。


少し前章との関連で 前もって 触れておくならば まず この時期には 孤独の――従って 事業の――内的な基軸としての愛欲(その複岸性)が その一元性への動きは もちろんのこと その複岸じたいが いまだ確固としたものとは なっていなかったのではないか と見ることができる。
前章で ともかく 内的な愛欲論は 解決できたと言ったのは 現代のわれわれの観点からのものであり この観点から見た一人の男 テオドリックの 動きについてである。解決の《場》は すでに前章で――むしろ そこで 事業論という外なる展開へ向けて その端緒についたといったのであるから―― その問い求めを ひととおり終えたということである。
言いかえると――すでに 予告しておいたように―― 愛欲の具体的な関係形式 その形成態としての《家族》 これが なお実践的に問い求められるはずである。
愛欲の具体的な形態とは つい(対)の関係 つまり 男女の二角関係が 基本であるだろう。この二角関係からは 子という第三角が 生じるのであるから いま家族とは このような 父と母の二角関係とその子という第三角 から成る三角関係が やはり基本であるだろう。
孤独――大いなる孤独――は 観想的には 一個の人間という存在(そこに 内的な愛欲論と外的な事業論が 形成される)の内で 完結するものと思われる。それは 言ってみれば これじたいで 永遠であり もしくは《永遠》に関係づけられてあると思われる。ただ 経験的・時間的には 人は 一般に 家族という基本三角関係の中に 位置して この点に限れば この三角関係の中の自己の位置が ある意味で 永遠である。その人の固有の・ただ一つの 三角関係をしか 持たないであろうから この意味で それは 永遠である。
ここでは この経験領域に限って 論じるのである。そして この家族の形式が まだ テオドリックには 確定していなかったと考えられる。


子としてのテオドリックは もちろん 父テウデミルと母エレリエヴァの平面的な(同世代的な)二角関係から生まれた者として すでに 三角関係を形成している。親としてのテオドリックは まだ 永遠のと言うべきその三角関係を 形成していない。したがって 外なる事業論の問題は 内なる愛欲論の身辺の外的な形態としての《家族》の問題の確立を俟って 単純にだが 展開されると思われる。
あたりまえのことだが――また 人は 結婚せざるべからずと言おうとすることではないが―― この家族が ここでのテーマである。十三年間の彷徨の原因が すべて これにあると言おうとするのではないが テーマとして これである。
孤独の経験的にして内的な基盤であり その外なる展開への基地ともなる《家族関係》 この主題については 特に 後編の《アテナイのナラシンハ――または 航海者――》において われわれは 助走として いくらか詳しくみることになると思うが ここでは あくまでテオドリックを中心にしたかれの永遠の三角関係――だから むろん 外的な展開へのそれの意義を含めて――を かれが 《ローマへ》旅立つ前の序奏としてこの十三年間において ながめてみようとする。

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(つづく→2006-05-27 - caguirofie060526)