caguirofie

哲学いろいろ

#20

――ボエティウスの時代――
もくじ→2006-02-26 - caguirofie060226

帰郷

dix-sept

洞窟は異様なほど狭かった。あたりに生気はなく ここに人が住もうとは思いもつかないところである。かつて この人を尋ねて いく人となく野心家が この山のなかに入ったが ある者は その棲み処を探しえず ある者は やっとこの洞窟を探しあてたものの その入り口のあまりにもの狭さにあきれはて この人をもはや省みることなく ただちに 引き帰したという。
《この人》は いづれにせよ 世を捨ててこの高山にひとり 生き長らえていた。そしてこの岩陰のある小さな洞穴が その棲み処であった。
たずねてきた野心家は ことごとく 身をかがめて洞窟のなかに入ることを嫌い そして 帰ってしまったのであるが そのかれらの誰れひとりとして その野望を果たしえた者はいないということを 伝え聞いたとき 《この人》は おおかた 背を低くすることを成しえず 入り口でちゅうちょしていたからであろうと面白がったりした。
アテナイの貴族 タイタス・アンドロニクスは 財産を維持しえず すべて喪ってしまったとき 洞窟にしりぞいたと言われていたが 《この人》は もともと家も財産も なかった。タイタスは 財の喪失をだましとられたのだと思っていたから 復讐心もさることながら 世界につながっていた。しかし この人は 山に棲んでいて 世界がつながっていたという風情があった。折りにふれ 訪う者があったから。
今 この異様に狭いと思われる洞窟の前までやって来た一行は パンノニアをまず追われ 逃亡の道みち ときに戦闘にぶつかり それでも首長の家系を中心として 精鋭の残存者が たがいに糾合し 西へ落ちのび ちからをたくわえ 再起を期していた者たちである。ノーリクムをさらに西へ山をずいぶん分け入ってきたのだから ここは アルプスにちがいないと 中の年長者のひとりが 声をかけた。しかし こんなところで 洞穴の人は 何を食って生きているのだろう?と他の誰かが つぶやいた。
この者たちは スキリ族の一行であり かれらは もともとゴートと友好的であったのを スウェウィ族のフヌムンド王が腹いせに打った芝居にのせられ ゴートを襲うはめになった なった結果 その首長エデコンを喪い さらに土地を追われたものである。この《この人》とは いったい何者なのだと 一行のなかの若いが中心的な存在であるとみなされる人物が 伴に尋ねた。
――卜占をいたします。
とひとりが答えた。
――その名は遠く聞こえております。
と別の者がさらに付け加えた。
若い中心人物は エデコンの次子で オドアケルと言ったが 兎が入るか入らないくらいの洞窟の入り口を前にして――先に来た他の訪問者とおなじように―― わざわざこんな山奥に来るまでもなかったと思った。
洞窟は 異様なほど 狭かった。
オドアケルの目前には 雪を被った峰みねが 間近に見えており 季節は夏であるのに 空は もやうような灰色の 雪粒でも落ちてきそうな顔つきをしている。
《よくもこんな山奥まで落ちのびてきたものだ》
オドアケルは 腕を組みながら もういちど 思った。
――オドアケルどの スキリ族の将来を思って どうか この洞窟の主に診てもらっていただきたい。
と背後から 年長者が 最初の促すことばを向けた。
オドアケルに 自負がなかったわけではなく また わけもなく ためらっていたのでもない。
オドアケルは このアルプスを越えて 南に行くこと・つまりローマへすすむことを すでに決めていた。そして 少人数の落ちのびる旅を敢行してきて まずここまで来たことに ある感慨があったからである。
ローマに入ってしまえば そのあとの行動は 決まっていた。傭兵隊に入ることである。そして そこには 何より オレステスが すでに同じくパンノニアから追われて 入隊しているはずであった。オレステスは ローマ人であったが アッティラの朝に仕え オドアケルの父エデコンとは ともに 使節としてコンスタンティノポリスまで赴いた仲であった。
オレステスは 名門の出であり財産を持ち戦闘にも長けていたので もはや少なからず名を成していさえするであろうという強みが オドアケルにはあった。
オドアケルの父・エデコンは ゴートとの戦闘において 斃れたのであった。ただ オドアケルが そのため ゴートに格別の敵愾心を持っていたとするのは あたらない。ゲルマーニアのそれぞれの種族においては まだ常備軍の概念はなく 戦争機能が分業化していたわけではなかったから。そして ただパンノニアのため 種族の存続のため あるいは なかには時どき 好戦的な族長がいて その特殊な趣味を満たすために 戦いをしかける程度のものであって 純粋に よその種族またその領土を支配するという目的からは まぬかれていたからである。
後に シャルルマーニュや オットー そして ボナパルトといった《皇帝》を戴き したがって帝国主義的であろうとするのは ゲルマーニアが ローマの文明に触れたからという原因が 大きい。ちょうどテオドリックが――今 ドナウの鉄門の近くで オストラゴータとふたりで時をすごしているが―― その文明の洗礼を受けて 名称はどうであれ 《皇帝》への道をすすもうとしているように。・・・したがって オドアケルに ゴートへの敵愾心はなかった。
あるとするなら――逆にテオドリックに スキリ族へのそれがあるとするなら―― いま 妖しい姿態をさらけだして横たわるローマの領土をねらって争ううえでのそれ(敵愾心)であったと思われる。
スキリ族の首長エデコンには ふたりの男子があった。オドアケルと もうひとり 長子のオヌルフである。オヌルフは パンノニアから オドアケルと逆の方向つまり 東へ向かったのだった。同じく忠実な部族の者らを率いて コンスタンティノポリスを目指していたが 途中 ある恩人を害するという不祥事をおかし これがもとで こちらのほうは 意気があがらなかった。
――オドウァカル!
と年長の者は 息子に対するように ふたたび 懇願した。
オドアケルは この人に会い 前途への祝福を受けようというのである。それは 糾合した部族の者たち全部のねがいでもあり もとよりオドアケルに――背をかがめようとも―― その洞窟を訪れない法は なかった。特に兄のオヌルフに比して オドアケルは その点で生まれながらにして めぐまれるものがあったと言われていた。腰が低く しかも 指導者としての素質をともなっていると。オドアケルは ふたたび振り返ると それではと言って 身をこごめるようにして 狭い洞に入っていった。
(つづく→2006-03-18 - caguirofie060318)