caguirofie

哲学いろいろ

アウグスティヌスから

・・・いづれにせよ わたしたちは正義の人を愛し 不正な人を忌避すべきである。しかし わたしたちはそうしたことを誤って捏造すべきではなく これは欲しこれは避けるべきであるということを神の真理の下で忠実に見きわめるべきである。そうした努力の結果 事柄そのものについて 欲すべきものを欲し忌避すべきものを忌避しているにもかかわらず わたしたちが人間の目によって 時折 否 つねに真理を見ることができないということは わたしたちにとって許されることである。なぜなら 見えないということは人間的誘惑(試練)に属することと思われるからであり それなくしては命へと導かれることはできないからである。使徒パウロ)はこのように言っている。

あなたがたを襲った試練で 人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
コリント人への第一の手紙 (聖書の使信 私訳・注釈・説教)10:13)

なぜなら 人間の心をのぞき込むことができないということ以上に人間的なことがあるであろうか。
 (アウグスティヌス著作集 (第25巻) ヨハネによる福音書講解説教3第90(15章23節二))

けれども わたしには試練は 長くきびしかったという思いが強い。いま 今だから そう言えるようになったのであるが。