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哲学いろいろ

第三章 文の生成

全体のもくじ→序説・にほんご - caguirofie050805

第三章 文の生成〔§11〜§12〕

§11 文の始原的な生成について考える。それは 語句の生成と相い携えてのことだと思われる。
11−1 文の生成にかんする仮説じたいは 簡単なものである。
11−2 すなわち 主題(Ti)あるいは単なる無格体言または名辞もしくは形態素の 絶対的な提示を 順次におこなっていったというものである。

  • T1+T2+・・・+Tn=P。

11−3 例文を考えるなら たとえば かつて青垣なる山々を見て こう表出する人びとがいた。その一つの始原的な形態の言い始めとして。

① 大和 ハ。 / 大和 アハ。

11−4 ただし書きとして一つに 必ずしも知覚のみから成る文(感嘆文)を出発点とするという意味ではない。もう一つに ヤマトならヤマトという語がすでに持たれているではないかという反論に対しては いまの生成の仮説は あくまで 事後的に(=言葉の存在に後行して) 説明のために推論するにすぎない。こう断わったうえで いまの文例を取り上げることにする。
11−5 すなわちいま文例でのハ / アハにおける子音 h ( F ) を すでに予め 順出・順定の相として仮説している。これは 順出・順定相から やはり中心主題相に広がり あるいは 副次主題の取り立て相にもなりうる。 さらには 順出相すなわち頻出の相であって 通常の習慣相・反復相を帯びるものと想定している。

  • hi :日・霊(――中心主題相。順出・反復相としても。)
  • hö ・hö-i> hï: 火(――同上)
  • ha :ハ(――中心主題相で第一主題格)
  • ha・he :端・辺(――副次主題の取り立て相)
  • hu :経(――順出・頻出・習慣・反復相)

11−6 そうだとすれば 絶対的な無格体言の提示として いま仮りに T1=大和 T2=ハ / アハとする始原相の文例①からは

② 大和 ホ(秀)。 / アハレ(哀・天晴れ)。

といった文例が派生してもよいと考える。

  • hö:ホ(穂・帆・秀)(――中心主題となりうる秀でたものの相)
  • hö-nö-hö:(火の穂=炎)のそれである。

11−7 ホ(秀・穂)hö は ハ ha の母音交替形でもある。母音 -a は初発の知覚として 不定相を帯びると想定し 母音 -ö は 概念認識( -i )の相を経たあと その相を解くようにして とにかく保留の相においたというものである。
11−8 アハ( 人類に共通の声で英文で Ah!・ Oh!)に 自然想定相の子音 r から成る名辞・レ räを添えて アハ−レとしてよいと思われる。
11−9 ちなみに このように母音や子音に相認識(意義素)を認める仮説は まだ最終的な確認を終えていないけれど かなりの程度に 合理性・整合性があると思われるので これに従おうと思う。→言語記号の恣意性はただしいか。(小論) - caguirofie040921
11−10 同じく最初の文例①のハは

③ 大和−ハ ホ(秀)。

というように 中心主題格(T1ハ)にあてがわれてよいはずである。
11−11 すなわち 文例②・③は T1ハT2(=P)ナリ。という定義指定文である。論述主題(T2=P)に体言(秀 / アハレ)が当てられている。
11−12 しかるにさらに これらから

④ 大和−ハ 真−秀。/ 真秀−ラ。/ 真秀ロ−バ。/ 国ノ真秀ロバ。

なる文が派生しうる。

  • ちなみに 真(ま)の子音 m には 自体の認定相を想定している。
  • ma / mä(

11−13 あるいはここで別様に 文例① 大和 ハ から T2(=P)のハを 用言論述で表現したいと思えば まず状態用言(形容詞)で

⑤ 大和 ハシ(愛し)。

と表わしうる。

  • シの子音 s は 指定相(強い指定 / 指定一般)を想定する。

11−14 ここから 次も派生しうる。

⑥ 大和−シ ウル(裏・心)−ハシ。

11−15 すなわち――いま古事記歌謡・31番を取り上げているのであるが―― 文例⑥は 次のように事後的に分析されうる。

T1ハ T2ガ T3=P
大和‐ハ シ(其)‐ガ ウルハシ。 :文例⑦

シ(其)は sa ・ si ・sö の si であり ソレ söräと言いかえうる。すなわち この文例は AハBガCという基本文型である。
11−16 ウル uru < urö < öröは ウラ(心・裏)のことである。

  • ウラ−ミ(心見〔 mï 〕>恨み);ウラ−ヤミ(心病み>羨み);ウル−タヘ(心耐へ)>ウッタヘ(訴へ)
  • ウラ−サビシ(心寂し);ウラ−イシ(心良し)>ウレシ(嬉し)〔イシは オ−イシ−イ(美味)のそれ。つまりむしろ isi < yisi ⇔ yösi 良シ。〕;ウル−サシ(心狭シ)

11−17 従って 文例⑥は 次のようにも分析される。基本文型AハBガC が潜在的にはたらいていると言える。

T1ハ T2ガ T3=P
大和‐シ ウラ(心)-ガ ハ(愛)シ。 :文例⑧

11−18 すなわちここでは すでに文の生成形式=T1+T2+・・・+Tn(=P)から 三項展開での基本文型=AハBガC を定式化し それにあてはめようとしているのだが 実際あてはめうると考える。
11−19 文例①・②に対して その論述主題(ハ / ホ)を 状態用言によってではなく 動態用言によって 表そうと思えば 次のいくつかの文例を得るであろう。

T1(Aハ) T2(Bガ) T3=P(C)
大和‐ハ 〔ソレ‐ガ〕 ‐ル(晴)。 :文例⑨(以下同様)
〔ソレ‐ガ〕 ‐ユ(映)。
〔人‐ガ〕 ‐ム(褒)。
〔我ラ‐ガ〕 ‐ク(祝)。
〔我ラ‐ガ〕 ホコ‐ル(誇)。

11−20 すなわち これらの動態用言(晴ル・褒ム・祝ク・誇ル)を 名辞ないし無格体言として絶対格で提示されたハ・ホ(秀)からの派生だと仮説しているわけである。いづれの語でも おおむね その子音 h が 順出・順定相のもとに中心主題相を認識させようとしていると思われ そこから派生している。《秀でたものの相》で括れる。
ただし 論述用言の相(語義)に従って 主題体言(やまと)は 晴ル・映ユで主格になり 褒ムなどで賓格(対格)になっている。
11−21 第一主題(大和ハ)が 褒ム・祝クなどの対格になれば その動作主格(我ガ・人ガ)が必然的に現われて来ており そこに AハBガCの三項展開が見られる。晴ル・映ユの場合にも たとえばその実質上の主格として 空ガ・国ガ・姿ガなどの今ひとつの主題を含意しているものと思われるとともに やはり取りあえず 大和(A)ハ 山々(B)ガ 映ユ(C)のごとく 三項展開を形成することに間違いない。
11−22 新しく現われた子音として 子音 y (映ユのユの)は 称定・実定の相を想定している。

  • yö ヨ・ya ヤ(呼格活用)
  • yö-bu 呼ブ・ yö-mu 読ム(=数える)

11−23 中心主題格(大和ハ)を 論述収斂層で対格(大和ヲ)に変える論述用言:褒ム・祝ク・誇ルにかんして その法活用を Ⅲ概念法(-i)に変化させて見よう。

  • 褒ム hömu > hömä 褒メ ; hömarä 誉レ(二次Ⅲ概念法の一つ= -ä)(第二次の法活用形態は 後述。)
  • 祝(ほ)ク höku > höki 祝キ(一次Ⅲ概念法)(cf.言祝ギ=寿キ)
  • 誇ル hökö-ru > hököri 誇リ(一次Ⅲ概念法)
  • (ここで -ö- は -o- に変化しているかも知れない。)

11−24 すなわち概念法(連用形)活用(一次Ⅲ -i / 二次Ⅲ -äなど )は 体言相であるから 主題提示されうる。

⑩ 大和ハ 誉レ。 / 祝キ。 / 誇リ。

これにたとえば T2ガ(Bガ)として 我ガを導入すれば やはり AハBガCの三項展開の形式を得る。その関係主題格(Bガ)は 格下げされて 属格活用(Bガ→Bノ=我ノ)になってしまうが。
11−25 ちなみに 誉レ hömaräは 用言の褒ム hömu が 再び逆に 無格体言化して *höma(ホマ という一種の不定法〔一次Ⅰ -a〕形態)を持ち得て この準体言に 自然想定相の子音 r による準体言(接尾辞) -rä レが 添えられた形と見ることもできる。
11−26 このように 文の生成は 語句の生成と相い携えて起こるという事態が 想定される。
11−27 その意味では もう一例を次のように提出しうる。文例① 大和 アハ。 のアハ ないし ア を取り上げてみよう。そこから一気に次のような語句の生成ないし派生が考えられる。

  • 無格体言の絶対的な提示によって 語句の生成とともに あたかも文の生成も 出来上がってくる例。(文の生成としては 部分的な例示である。)
T1 T2(=P) 語例 文法説明
:Oh! 知覚詞(超文条件詞)=知覚文
:Ah!
:Hum?
:Eh!
:that;it 体言(代名詞)
アハ :poor X! 知覚詞(間投詞)
:アッパレ;bravo!
:哀レ;Ahness 体言(名詞)
アラ :顕ハ
10 :新タ・霊験
11 アハレ :憐レニ 体言+与格活用
12 :憐レム 用言(動態相)
13 アハレニ アリ> :哀レナリ 体言+補充用言→状態用言
14 アラハ ナリ :顕ハナリ
15 :現ハル 用言(動態相)
16 :表ハス
17 アラタ :新シ 用言(状態相)
18 :改ム 用言(動態相)

11−28 新しい子音の前提すべき相認識としては

  • ’(ア行子音): 自同・自定相
  • t : 不定指示相
  • n : 同定相;逆に否定〔での同定〕相

11−29 すなわちこれらの語例(1〜18)に共通する語頭の子音/ '(ア行子音)/にかんしては 自同相であって 自同・自定としての出現・存在の相が 伴なわれているものと思われる。
11−30 哀レ・憐レムの場合には特に 対象との哀れなる関係過程が たとえば発話者の自同相つまりみづから自定する存在の相のもとに 捉えられ含まれていると思われる。つまり アは 発話者が自同律の如く自己を認識して表出するかと考えられる。

  • もののあはれというのは そのような相認識である――なぜなら ハの子音 h =順出相も レの子音 r =自然想定相も 特別の相認識を付け加えるものではない――。また 表現形態としては それだけのことだと言ってもいい。

11−31 文の生成にかんして 主題の絶対的な提示という形式をまとめるなら 次のようになろう。
(1)論述主題(Tn=P)が 体言のばあい(=従って 定義指定文の場合)

T1 T2=P
文〔ハ〕 人〔ナリ〕。

または 基本文型AハBガCにあてはめるなら

T1 T2 T3=P
文〔ハ〕 〔ソノ形/徴ガ〕 人〔ナリ〕。

(2) 用言論述のばあい。

T1 T2 T3 T4 Tn=P
名辞 katar-
例1 文ハ〔→対格〕 人ガ〔主格〕 語ル。
例2 文ハ〔主格〕 人ヲ〔対格〕 語ル。
例3 文ハ〔主格〕 人ニ〔与格〕 語ル。
例4 文ハ〔主格〕 人ガ(属格=ノ) 語リ。
例5 文ハ〔主格〕 人ニヨル〔主題条件〕 語リ。
例6 文ハ〔主格〕 人ニ〔ヨル〕 語ラ‐レ。
例7 文ハ 人ニ〔ヨリ〕 語ラ‐ル。
例8 人ハ 文ニ〔オイテ〕 語ラ‐ル。
例9 人ハ〔経験主格〕 文ニ〔ヨリ〕〔与格/現象主格〕 語ラ‐ル。

無格の名辞である《文・人・語ル katar- 》を 絶対的に提示するというとき どのような文の構成になるかを見たものである。主題格や 論述収斂層の格関係(S−V−O)が それとして 決まって来て まとまりを持ってくるという事態である。
11−32 関係賓格(T3〜Tn-1 )が 関係主題格( T2ガ=Bガ )から派生してくるとすれば T1ハ T2ガ T3(=P)という形を定式化して 文の生成形式を

Aハ Bガ C〔ナリ。 / スル。〕

の三項展開なる一般形式として捉えてよいと思われる。
11−33 これは 主題提示層での展開形式であるが そこには 論述収斂層として

主格(S)−賓格(O)(対格・与格)−述格(V).

なる論理上の格関係が含まれると見てよい。たとえば Aハ Bガ Cスルという場合 一般には Aヲ Bガ Cスル(つまり O-S-V つまり S-V-O 構文)としての格関係の情報(論述収斂層)をも 兼ね備えているということである。
11−34 この生成の一般形式を さらに語の生成 / 音素(母音および子音)の相認識の確定 / そして 用言の法活用組織の確定を見た上で かんたんな言語類型論として いくつかの言語について見ておこうという予定である。
§12 文の種類について捉えておきたい。
12−1 三つの理解形式としての格知覚 / 相認識 / 法判断にもとづいて 文の種類を分類する。
12−2 従ってたとえば 次のような分類とは 別である。
(1)文と文との接続関係の相からする分類

  • 単文 / 重文 / 複文

(2) 論述用言の相認識(その述格の相)にもとづく分類

  • 定義指定文(定義主格−定義述格という構文) / 存在文 / 現象文 / 状態文 / 動態文・・・

12−3 三つの理解形式に即して 三つの種類を得ているものと思われる。
( a ) 格知覚文
( b ) 相認識文
( c ) 法判断文
12−4 ( c )法判断文とは 一般的なふつうの文である。
12−5 これは 文外の話者格(文の表現主体格)によって 文の統括がきちんとなされるだけではなく その論述判断が明らかに特定され 文意の確定・了解がなされうる種類の文である。
12−6 ( a )格知覚文は いわゆる感嘆文である。
12−7 すなわち話者格による統括はそれとしてなされていると了解できるが ほとんど格知覚の段階にとどまると思われるもの――( a-1 )。または そのような初発の格知覚の段階にとどめてよいと判断したものであり 了解されるもの――( a-2 )。
12−8 言いかえると ( a-1 ): 超文条件(間投詞・知覚詞)のみで成り立つか または ( a-2 ):一文全体を一つの超文条件と見立てたものか である。
( a-1 ): オソラク; サイワイニ; ナルホド; おおまいごっど。
( a-2 ): ソリャソウダ。 / Спасибо(Sposibo)(〔それほど親切にしてくださったあなたを〕神は( -bo〔g〕)救いたまえ(Sposi-)→有難う)
12−9 ( b )相認識文は ある意味で 非判断文である。
12−10 文の表現形態としては ( a )の格知覚文とちがって すでに全く( c )法判断文と同じである。しかも必ずしも 表現主体の論述判断が 明確に特定されないところを残しており 文意が最終的に必ずしも確定しがたいとすれば その場合の文をいう。つまりこの意味で 相認識や思考の段階にとどまっている種類の文である。
12−11 この( b )相認識文は一般に 一連の文のまとまり(つまり文章)の中に 途中経過として現われる。途中の個々の文は 認識・思考の段階にとどまり 文章の全体としてそのまとまりを持って初めて 一定の法判断が示されることになる。しかも わざわざ相認識文という一つの種類を立てるのは 文章の最後に到っても 文意・論述判断が特定されないことがありうるからである。
12−12 ( b-1 )として 思考文・学術文が挙げられる。もし科学が価値判断から自由なかたちでの表現にとどまるものとすれば そこには 科学〔者〕としての法判断は示されるが――従って 形態としては ( c )法判断文であるが―― 実質的に ふつうの人としての法判断は 控えられている。よってこのときには 認識文ないし科学思考文という特殊な文の種類が 設定される。ふつうの表現主体たる人とそして文とのあいだに 科学研究の主体が 介在し そのぶん 間接的な法判断の表明となり ある種の断層が生じている。
12−13 ただし 科学認識文の中でも 理論文と呼ばれうるものは 間接的に潜在的にその理論化の法判断をそこから導きうる可能性を宿している。
12−14 次に( b-2 )として 虚構文・芸術作品文がある。前項( b-1 )とほとんど同じ形であるが ちがいもある。認識思考文( b-1 )が 主観判断を控えた事実認識にとどまろうとするとき むしろ逆に主観の思考や想像を可能な限りにあらゆる形で発揮し これを文章として展開する。けっきょく想像の所産とはいえ やはり事実認識からも出発し しかも表現者の主観を 全体として(文章作品のひとまとまりとして)述べようとしている。
しかも それにもかかわらず その判断内容は むしろ特定されない。さまざまな解釈可能性をむしろ積極的に 残した文章となる。
前項の学術思考文は 逆に 解釈可能性をできるだけ一つに(つまりは 人びと共通の了解として) しぼろうとしている。しぼった結果 なお主観の判断や志向にかんしては 言い残しているとすれば その意味で 特殊文となる。
12−15 ほかに 強いていえば ( b )相認識文に入るものとして 次のような特殊文・変態文が考えられる。( b-3 ):問い(主題)をはぐらかせて しかも何らかの答え(論述)をともかく出している意地の悪い文。( b-4 )主題にまともに対処しつつも 暗示や曖昧な意味内容でしか論述しようとしない文。いわゆる禅問答のごとく。
これらは 相認識そのもの・つまりその形での文意としては 確定されうる。
12−16 格知覚文( a )や相認識文( b )だけではなく 法判断文( c )にしても その文意とそして表現主体の意向とは 必ずしも一義的に対応しない。
12−17 法判断文にしてもというのは 必ずしも反語形式や修辞術が現われうるからという理由でではなく 文の生成における絶対提示の形式が持つ自由度――すなわち 文の分析・解釈上の自由度――が 介在せざるを得ないからだと考えられる。
12−18 その意味では 一般的な法判断文も――ということはつまり すべての文表現が一般に―― ある種の虚構を前提しているように思われる。
12−19 これを言いかえると 言語表現は 問いと答えとの循環として展開される社会的な・時間的な関係過程のもとに成り立っている。→民主主義?
12−20 その大前提から来る事態に対しては――つまり表現一般が虚構を含みうることにならざるを得ないという事態に対しては―― 一方で 意味論や社会言語学があたると考えられている。と同時に他方では 逆に言って・そして単純に言って 問答(対話)をどこまでもどこまでも互いに展開させていけばよいと考えられる。
12−21 言いかえるなら 言語学の理論や人間・社会にかんする理論が 介在すべき補助として必要・有益であるとしつつ ひるがえって単純素朴に どこまでも言語の生成の形式にのっとっていけばよいとも考えられる。そうでないと 意味論なら意味論という言語学としての科学思考文が・つまりその成果が 言語表現じたいとしての広義の文法ないし規範力に代わって 一種の社会的な理論であり規範であると見なされ そのような受け取りが 社会を覆って行きかねない。
12−22 この場合の文法ないし表現規範というのは 法判断文を通しての〔相対的な〕相互理解と さらにそれによる社会的な関係形成力とである。
12−23 言語理論は 生きている言語表現じたいの第一次規範に対して これを整理した第二次の社会規範であるとは言われているし そう考えられる。文表現と その理解をめぐって 格知覚や法判断に対して 相認識が 経験合理性にもづく共通の了解形式として 全般にわたってそして常に基礎となるとするなら その意味で・亦その意味でのみ 社会的な第二次規範としての言語理論は 妥当性を持つ。つまり この言語理論は 認識思考文( b )としての成果ではある。
12−24 文の生成およびそれにかかわる文の種類ということに関して 上のように考えられる。この点は 最後の《第十章 余論》に継ぎたいと思う。
12−25 なお 言語表現の持つ規範性・関係形成力については かんたんに・そしてある種乱暴に言語一元論とも言われる橋爪大三郎氏の《〈言語〉派社会学》としての理論がすでに発表されている。


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