caguirofie

哲学いろいろ

第二部 歴史の誕生

全体のもくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第三十三章 取り替えばやという転変の物語が 潜んでいないか

ウタの主体の錯綜あるいは すでにその交換 このような取り替えばやの物語が始まっており進められていたのではないかという疑いにもとづいて 議論を進めている。

ヤマトタケルのウタについて・・・

ヤマトタケルにちなんだウタを見てみよう。
かれは 八尋白千鳥に化(な)りて 天に翔けるがごとく 天使の存在に近い人物像として描かれているが その反面で いわゆるかれの征西のときには――今度は ウタの表現というよりは―― その行動・振る舞いにおいて 名の取り替えを行なうといった場面が見られるようである。具体的には 女に変装して敵のもとに押し入ったり あるいは自分が密かに作っておいた木の太刀と相手の太刀とを取り替えて だまし討ったという歴史も いくぶん関連があるように思われる。
あるいは ヤマトタケルにも 二人の人格があり――もしくは 二つの系譜があって――故意にこれらが 結び付けられて伝えられているのかも知れない。

  • さらにあるいは それら二つの系譜は 前史と後史のごとく捉らえるべきだろうか。物語に見る限り かれの歴史(一生)が 前史から後史へ明確に回転したというふうにとらえることは難しい。

まず かれヤマトタケルの歌として当てられた《やまとは 国の真秀ろば》(31番)など・あるいは東へ向かったときの歌などには イリ日子歴史知性の表現動態が あたかも原形式としてのように見出されると捉えた。けれども かれが西に出向いて まつろわぬ礼(ゐや)無き人びとを討ったというとき やはりクマソタケル(熊曽建)という兄弟二人がいたのであるが この場合は 二人とも斬り殺したのである。かれが討伐の理由をクマソタケルに明かして言うには

――吾は マキムク(纏向)の日代(ひしろ)の宮に坐しまして 大八島国知らしめすオホタラシヒコオシロワケのスメラミコトの御子 名はヤマトヲグナのミコぞ。おれクマソタケル二人 伏(まつろ)はず礼無しと聞こしめして おれを取殺(と)れと詔(の)りたまひて遣はせり。
古事記景行天皇の段。)

であって 自称の《おれ(おのれ)》が 対称として使われている。そんなこと どうでもよいではないかと言うのは 諦めの美学であって それはすでに このあいまいな主体性の非を 明らめたゆえにそのことに殊更 触れたくないという生活の知恵に属している。そうして これが 日本人に対する謂われのない自己批判であってくれれば幸いなのである。
おれとおまえとは 明らかにウタの主体が違う。
《いまし(汝)》も 《坐す》からの言葉であるとすれば 《御前》と同じような意味と発想とからではないか。《なむぢ(汝)》は《あな(=おの〔己〕)‐むち(貴 / むつ〔睦〕)》であるとするなら 《わたし》という核の共通性で それに《むち》をつけて表わしている。そこに ちがい(手換い?)があるゆえに ちがい(手交い)によって その共同性(連帯性)が生まれる。単純にイリ日子表現動態の原形式において そのまま社会的な連帯を宿している。縄文人の知性としての《カムロキ・カムロミ あるいは ヒルコ・ヒルメ》の表わすような和の本能についても それを捨て去りきったと言うべきではないと思われる。
逆に言えば 互いに連帯性があるから 主体としての違いを重く見る。その表現に注意を向ける。まして 人格の交換によって 連帯性をつちかうということでもあるまい。そのような名や人格の交換が起きてしまうのは 一つに 《礼礼(ゐやゐや)しき》文明人の未開生活に発すると思われる。イリ日子原点に立った人が あたかもヨリ(憑)の原始心性に戻ってのように しかも そのヨリなる歴史以前の心性を 礼無き知性と規定し これを蔑み 管理することにかかる。この方式こそが 罪の共同自治だと堅く信じている。日子と根子 あるいは 昼と夜 つまりは 善と悪とを知れという統一第一日子の永遠の現在なる旗印のもとに まつろひて 集まっていれば そこで人は初めてゐやゐやしき人間であると考えた。どうしてもこの繭としてのウタの構造を必要とすると考えるのであろう。
このタラシ日子の幻想の生命の木(神)のもとなる文明は 膨張しその一本道をたどると したがってやがて爆発すると 観想されたのである。
これは 古事記の史観である。ちなみに 生命の木のちからに関して言えば このオホモノヌシの神は 人間を殺そうと思ってなら そうは(膨張と爆発は)させたまわないであろう。また ゐや無き者を悪とするのは――これを固定化するのは―― ほかならぬタラシ日子のウタであった。西の方に赴き たとえば倒したクマソタケルの弟のほうを 《熟瓜(ほぞち――ホソ(臍)の落ちるほど熟した瓜――》のごと 振り折(た)ちて殺し》たというのであるから これの歴史的な交換のようにしてタラシ日子なるウタの主体は 中から爆発すると考えられたのである。すでに陽子も崩壊するとかしないとか聞く。むしろワケ・タラシ日子なる X 姓は ばかではなく これをよく知っている。このことをも先取りして かつそこから いろんな事件や時にいくぶんかは人災というべき災害を 小出しにしつつ 起こしている。とわれわれは 考える。

やつめさす イヅモタケルが
佩(は)ける刀(たち)
黒葛(つづら) 多(さは)纏き さ身無しにあはれ
(記歌謡・24)

というように 《さ身無しに――イリ日子原則の無化 歴史知性の誕生の以前への退行 人間以前――》であるなら そのままアマガケル膨張をつづけ そして天武天皇の時代にこれが 基本的に止められ それにもかかわらず フヂ(藤)ハラ〔不比等〕の《つづら(黒葛)多まき》になって なおもそのタラシ日子の幻想の連帯を標榜するなら あとは 自己爆発する以外に道は残されていないであろう。
上のイヅモタケルについて言われたウタは これも 明らかに《西征する〔この場合 タラシ日子の前身の〕ヤマトタケル》のことにほかならない。かれが 自分の刀とイヅモタケルのとを交換したあとの姿なのである。これをわたしは もちろん 人びとを恥ずかしく思わしめるために言っている。
子どもは 経験過程的に言って 許されうる人間イリ日子以前の状態にあるとして かれらが 爆発するのは 大目に見られると 善悪の木の観念体系では 考えられている。大人のタラシ日子の爆発を 子どもが担っている。かれらは押し付けられているのであって 非行・暴力・登校拒否・情緒障害など 起こってくれたほうがよいと考えている人びとがいるのである。
これも 行き過ぎると 大久米の子らたる警察が 取り締まる。これでも もはや要をなさないとなると 鵜養が伴に助けを求める。かつて 戸**ヨット・スクールが これに応じた。しかし この手も タラシ日子自身の善悪の木の道徳に抵触すると考えられるようになった。ゆえに 自己爆発の道しか残されていないように思われる。
《さ身無しにあはれ》というのは 久米の子らや鵜養(鵜飼)が伴を持たない普通の人びとに対して 言った言葉であったが それは 自分たちの《さ身無し》の状態を ふつうのイヅモタケルの中に映し出して認識したものである。もともと木の太刀は タラシ日子としてのヤマトタケルが ひそかに用意しておいたものにほかならない。このように わざと敵とすべき悪(夜)を想定し作り出しておいてから 共同自治する方式 これが 自己爆発し自己崩壊すると考えられた。

あらためてイリ日子原点を

すなはち〔倭建(ヤマトタケル)は〕出雲国に入りまして その出雲建(イヅモタケル)を殺さむと欲(おも)ひて到りまして すなはち友と結(な)りたまひき。
古事記景行天皇の段)

このように イヅモタケルの征討の物語は始まる。まず木で贋の太刀を作っておいて 二人で肥(ひ)の河(斐伊川)で水浴みをする。河から上がると ヤマトタケルは 太刀の交換を申し出た。さらに試合を挑んだという話である。

  • 《計略による勝利は英雄の条件で これによって倭建命は英雄として大きく成長してゆく》(西宮一民:古事記 新潮日本古典集成 第27回p.160)という見解も見られる。

クマソタケル兄弟を討ったときのことは こうであった。クマソらの宴会に女装して忍び入ったヤマトタケル(ヤマトヲグナまたはヲウスのミコト)を かれらが そばに呼んだところで かれらの負けであった。

・・・その酣(たけなは)なる時に臨(な)りて 懐(ふところ)より剣(つるぎ)を出し クマソの衣の衿(くび)を取りて 剣もちてその胸より刺し通したまひし時 その弟タケル 見畏(かしこ)みて逃げ出でき。すなはち追ひてその室の椅(はし)のもとに至りて その背皮(そびら)を取りて 剣を尻より刺し通したまひき。・・・
古事記景行天皇の段)

弟タケルが 名を尋ねるので先に記した名乗りを述べたのち 弟クマソタケルは ヤマトタケルの強さを讃えて 自分の名をたてまつろうと申し出た。その申し出が言い終えられるとヤマトタケルは その弟クマソタケルをも 《すなはち熟瓜の如 振り折ちて殺したまひき》とある。
この世に 原始心性を捉えていう言葉に アニミズムシャーマニズムとがある。ヨリの心性とタラシ日子のヨセの知性とを 大雑把にそれぞれ表わしている。アニミズムは 精霊信仰などと訳されるが 要するに 動植物そして非生物にも 広く取って霊魂(その意味でのアニマ)が宿るという見方である。オホモノヌシの神なる霊であるのかどうか 一概には決められないが そうであれば 何ものに対しても 寄り憑くという姿勢でおり 一面では 罪の共同自治という観点からは 和の本能とわれわれは称した。
シャーマニズムは そもそもシャーマンが トゥングース民族の霊能者のことであるから そのぶん はっきりしている。トランス(失神)状態で 神・精霊・死者などと交流するという。

シャーマンがトランスにおちいる方法としては 神・精霊・死者などがシャーマンに憑(の)りうつる憑依型と シャーマンの魂が体外に離脱し 神のところや他界などに行くのだという脱魂型の二つが主なものである。
(大林太良(稿):シャーマニズム日本古代史事典p.41)

イリ日子歴史知性から単独分立したと言えるワケ・タラシ日子の《ヨセル知性》は シャーマニズムに対応すると言ったのは ヨリ心性から自由となったイリ日子知性を 自らも その心身の総てにおいて一旦は通過したタラシ日子のなせるわざだと言わねばならない。アニミズムのヨリ心性に戻ったという側面と しかも同時に このヨリ知性を教え導くという立ち場にも立ち むろんその能力と技術をも開発しているというスーパー歴史知性である。
しかも ウタ(思想)を先取りし・その上をゆく包む精神として現われる。そのことは 単純・具体的に 模倣という行為に発しており ウタと人格を交換するという内実を持つ。
模倣も人格の交換も アニミズムなりシャーマニズムなりのよくなすところである。早い話が 平俗に言って たとえば首狩り族のその風習は 相手の霊魂を自らの霊魂に取り入れるために行なうものである。討論にあっては 相手の論旨を先取りして議論するのが必勝法だという。

  • しばしば後取りなのだが それでも 相手の思想が 自らのウタの構造の中にしっかり納まれば つまり 収めた言い方をして議論を運べば タラシ日子なるスーパー歴史知性が誕生するという寸法である。
  • 日本書紀のほうには 天孫降臨のとき《真床追衾(まとこおふふすま)を以て 皇孫・アマツヒコヒコホノニニギの尊に覆ひて 降(あまくだ)りまさしむ》(神代下・第九段本文)という記事があり シャーマン王との関係が指摘されている。

韓民族の伝える〕《三国遺事》*1に引く駕洛国記の首露神話でも 降臨した神子の六耶は 紅幅につつまれて酋長我刀の家にもち帰られ かつ榻(しとみ)の上に納められたという。これは 真床追衾と類似している。
突厥(チュルク系)の新しい王はフェルトの上にのせられ キルギスの新ハーン(王)推戴の儀式でも新ハーンを白いフェルトの上にのせ 高くほうり上げては落とす。護雅夫*2は このような例から 真床追衾も王の即位式の反映と見ている。事実 大嘗祭の悠紀殿・主基殿にしつらえられる蓐・衾もマトコオフフスマと呼ばれており これと即位式との関係を示している。
坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋日本書紀〈1〉 (岩波文庫) 補注2‐一一)

もしそうだとすると これは 祖霊(天皇霊)・土地の霊・穀物霊を一身に承け継ぐというかたちだと思われる。

  • 崇神ミマキイリヒコの社会では イリ日子歴史知性に基づき 人と人との関係においても自然界にあっても ゆづる精神を貴ぶのに対して タラシ日子なる統一第一日子のウタにあっては その超越日子とその旗印のもとに 和の精神を説くやり方だと考えられる。
  • イリ日子原点から見れば これら穀物霊などのムスヒ(産す霊・意訳して生きる霊)の問題は オホモノヌシの神とのまつり(共食)にすべてが委ねられている。言いかえれば 信仰は 一人ひとり個人の問題であるとなる。それは 道徳慣習の問題でもなければ 宗教に関わるというのでもなく さらに儀式の問題でもないと考える。  
  • なだいなだ氏が 書いている。その文章の中の《病気‐健康 / 異常‐正常》といった対立する二項に分ける見方をゆるく捉えれば ヨリ(憑)のアニミズムやヨセルのシャーマニズムをその内容とする呪術の問題を扱っている。ひとつの仮説である。

昔には分裂病統合失調症)はなかった。名前がなかっただけではなく 病気そのものがなかった。その代わりに昔の部族社会では 神がかりの形の精神異常だけがあった。それは当時の社会には必要な異常であり ときに応じてその異常状態になることも ならせることもできた。戦争をし 女性を暴行し 子どもまで含めて 相手の部族を皆殺しにするような残虐行為を犯させるには そのような異常状態になる必要があったし さもなければ 人間は感情と良心との葛藤で金縛りにあうから それを治療するために 神がかりになる必要があった。また こうした神がかりは 集団内部で伝染した。どちらの場合も呪術が大きな役割を果たした。呪術によって神がかりという病気にすることもできたし またその病気から回復させることもできた。
呪術的宗教の影響力が強いころはそれが可能だった。だが 近代に入って 宗教の呪縛の力が次第に弱まるにつれて 精神的な異常は呪術によってコントロールできなくなり その代わり 分裂病のような治りにくい 孤独な病気が起こるようになった。

神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話 (岩波新書)

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  • 《神がかり》というのが 《祖霊や地霊・穀物霊との交流》である。近代ヨーロッパの人間知性の啓発といった問題もからんで来ようが 基本的に 歴史知性の獲得は 我が古事記のイリ日子原点において成し遂げたと考える。呪術心性から自由になったという原点である。そしてこのオホタタネコ原点じたいが 経験存在である人間にとっては 動態である。

(つづく)

*1:

完訳 三国遺事

完訳 三国遺事

*2: