caguirofie

哲学いろいろ

第二部 歴史の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第二十六章 イリヒコ(人間)の墜落

《ヒメ(日女)》が 比売・毘売と書かれているのが――古事記では―― 一般であるが 斗売(とめ)・売(め)・郎女(いらつめ)と書く場合は 同じように一般例であるか または イリヒコ(オホタタネコ)原点の確立以前を表わすか または 特にこの原点の確立にこだわらないかであると考えられた。それらに対して 時に 日売と書く場合は 少数であり 特殊であるかに思われた。
日売と書く場合は アマガケル日子(または 比古という表記)に対応したヒメを表わすのではないかと考えた。もしくは ヒコとの対応を明らかにしない 言いかえると イリ日子歴史知性を 女性において そのまま対応させた表記の仕方をしないといった意図があるのではないかと 感覚として推し測られる。さらに言いかえると イリ日子から逸れるワケ・タラシ日子に対応するようなヒメを 漢字表記でも 表わそうとするのだが 明確にはさせなかった。それは オキナガタラシヒメが 日売とも比売とも表記されていることに もしそうとすれば 顕著のように思われる。
この推測の限りでは さらに こうも考えられる。
比売と日売とが 応神ホムダワケの頃・その前後の時代に 現われ しかも イリ系の中でも タラシ系の中でも それぞれ互いに 入り乱れて現われている。たとえば 雄略ワカタケの妻・ワカクサカベのミコは イリ系か もしくは イリ日子歴史知性の人かであると思われるが ワケ・タラシ系の雄略ワカタケの側にあり ――妄想によれば――継体ヲホドの台頭を促す立ち場に立ったと推定している。アマガケル歴史知性の拡大への道を図った。
時代としては 広く取って 崇神ミマキイリヒコと継体ヲホドとにはさまれた二百年の間に 《日売》表記の出現が 顕著である。

実践におけるイリとワケ・タラシとの錯綜

だから たとえばイリヒメの入比売・入日売 そしてタラシヒメの帯比売・帯日売など 両者・両系譜を原文表記に従って観察し これらを腑分けしてゆくという行き方を もはや採らない。

  • 男性については 入日子および和気と帯日子とを 区別するという見方を採った。
  • しかも もっとも 日子に関しても 相互の入り組み・錯綜については 取り上げ 課題とした。

おそらく 理論的に言って これは オホタタネコ原点・ミマキイリヒコ歴史知性の揺れや不備というのではなくて その確立を前提にしたうえで 今度は その歴史知性のたとえば連帯の仕方 これに ちがいが生じているのだと考えられる。言いかえると けっきょくは 共同主観 common sense の実践の方式について さまざまな意見が起こっているということだと思われる。ぶっちゃけた話としては 井戸端会議にも 少数意見はあるし あって当然だし ときには 多数意見が間違える場合が起こる。
主観の共同化 その方式に 現実の障害が起きる。そして 共同化された共通意見にも まちがいがありうる。このとき 女性が――より一層現実的であるゆえかどうなのか―― 目的は同じであっても その路線においては 他との対立をふつうに持ったり あるいは 対立する相手との実践の面での同調さえ避けないという事態であるかに思われる。早くいえば 敵と仲良くすることも 自由自在である。 

イリとワケ・タラシとの相互の入り組み

いま 四世紀・五世紀の二百年を中心として 男・女それぞれの呼称形式を類別してみよう。

表13 男の呼称形式

  1. ―(ミコ・ミコトのみ)
    • 命(例:意祁のミコト)
    • 王(市辺の忍歯のミコ)
  2. イラツコ
    • 郎子(大イラツコ=オホホドのミコ)
    • 日命(邇藝速ヒのミコト)
    • 男命(内色許(ウツシコ)ヲのミコト)
  3. ネコ
    • 根子命(倭ネコの命=倭建命=小碓命
  4. ネコヒコ
    • 根子日子命(大倭ネコヒコ国玖琉のミコト)
  5. ヒコ
    • 比古(ヒコ布都押之信のミコト)
    • 毘古(大ビコのミコト)
    • 日子→入日子&帯日子
  6. カムビコ
    • 神毘古命(カム倭伊波礼ビコのミコト)
  7. イリヒコ
    • 入日子命(御真木イリヒコ印恵のミコト)
  8. タラシヒコ
    • 帯日子命(タラシ中つヒコのミコト)
  9. ワケ
    • 和気命(品陀ワケのミコト)
    • 別王(息長田ワケのミコ)
    • 若王(ワカ沼毛二俣のミコ)
    • 真若王(品陀マワカのミコ)
  10. スクネ〔すくな(少)‐え(兄)←→おほ(多・大)‐え(兄)〕
    • 宿禰(葦田のスクネ)
    • 宿禰(味師(うまし)ウチのスクネ)
  11. タラシヒコワケ
    • 帯日子和気命(大タラシヒコ淤斯呂ワケのミコト)
  12. ワカタラシヒコ
    • 若帯日子命(ワカタラシヒコのミコト)
  13. ワクゴノスクネ
    • 若子宿禰(ワクゴのスクネ)
    • 男若子宿禰(ヲ浅津間ワクゴのスクネ)

次に 女性の場合を見てみよう。

表13 女の呼称形式

  1. ―(なし)
    • ・・・妻(或る御女(ミメ))
    • 売命(内色許(うつしこ)メのミコト)
  2. トメ(トベ)
    • 斗売([尾張]志理都紀(しりつき)トメ)
    • 刀弁(苅羽田トベ)
  3. イラツメ
    • 郎女(飯豊のイラツメ=青海のイラツメ)
  4. ヒメ
    • 比売〔命〕(御真津ヒメの命:御真木入日子の后)
    • 毘売〔命〕(高千那ビメ)
    • 日売〔命〕(石之ヒメのミコト)
  5. イリヒメ
    • 入比売(?)
    • 入日売(八坂のイリヒメのミコト)
    • 伊理毘売命(布多遅能イリビメのミコト=石衝(いはつく)ビメ)
  6. ワカ〔ヒメ〕
    • 真若比売(息長マワカ中つヒメ)
    • 弟日売真若比売(オトヒメマワカヒメ)
    • 若王(ワカ日下部のミコ=波多毘の若郎女(ワキイラツメ)=長目ヒメ)
  7. タラシヒメ
    • 帯日売(また比売)命(息長タラシヒメのミコト)

以上のようである。
これまでの推論の内容をあらためてまとめるならば 次のごとくである。

  1. カムヒコ(神日子)→ネコヒコ(根子日子)→イリヒコ(入日子)という経過での歴史知性の発展
  2. イリヒコ(入日子)→ワケ(和気)・タラシヒコ(帯日子)への拡大転回(アマガケル日子と呼んだ。)
  3. 大タラシ日子淤斯呂ワケ(崇神ミマキイリヒコの孫)のように 一人で タラシ日子とワケとの二つの基本の名をつけているのも 特異といえば特異である。
  4. 応神ホムダワケ(和気ではあるが)や仁徳オホサザキあるいは継体ヲホドのように 必ずしも 歴史知性の系譜の中での位置づけが明らかでない場合 平俗な言い方をすれば 訳けありではないかと疑わせる。画期的な歴史の時点や事件にかかわっているのではないかと。

女性の場合 どうであろうか。

  1. 崇神イリ日子の出現とともに 日女(姫)が 比売ではなく 日売と書かれる場合が現われている。
  2. カム日子の段階で ヨリ(憑)の歴史知性(原始心性)であったものが 根子日子の理念の出現を経て 主体的なイリ(入)の歴史知性の原点を確立したというとき その後 神をヨセルという知性の形式が現われた。これは 息長タラシヒメがおこなったのであるが かのじょが 比売とも日売とも表記されいる。
  3. あるいは 仁徳オホサザキのむすめで 雄略ワカタケの后となったハタビのワカイラツメは ワカクサカベのミコとも謂い ナガメヒメでもある。このように若郎女 / 若王 / 比売の三つの呼び名を持っている場合 やはり訳けありと考える余地があるのではないか。

このようである。
繰り返し述べるならば (1)《亦の名》がある時 他の系譜と入り組んでいたり 取り替えられたりしていないか。(2) 継体ヲホドのごとく あっさりしている時 同じく 他の系譜との入り組み・錯綜が考えられると同時に むしろ積極的に 正体不明としているのではないか。そのほうが 誰とでも・どんなウタとでも 調和することができると語っているかに感じられる。むろん永遠の現在の旗のもとの統一という目的がある。
このような名のあり方から勝手に推し測ろうとしたことは 重ねて述べるなら こうである。(3)社会的職務としての姓たる名に関しては 歴史知性のあり方が ウタの構造にかかわって問われている。名が互いに錯綜し 同一であり類似していたり重層的であったりするというのは ウタの交換 ウタの先取りが 行なわれていると考えている。人格にもかかわるかたちで 相手を思いやり 同情し 暖かく包み込むというときのウタの先取りだと思われる。

  • 陽性のそれは よっしゃ よっしゃと物のわかった連帯を示すかたちでのウタの先取りである。

日子の能力をもっぱら駆使し 善悪の木のオキテをつくり そこにゐやのこころを発揮する。善悪の木は 大きく天を覆うごとく成長し しかも一本の木が この世の中を潤すという仕組みを打ち立てようとした。そのウタの構造・そのあり方に 姓名がいまかかわっているものと思われる。
もしこのウタの構造化が成功し 強固な繭のごとく 社会が成り立ってしまったとするなら つまり人びとは その常世の国のほかに自由はないと考えるほど もはやそこから抜け出せなくなっているとしたなら イリ日子は 墜落したのである。もっぱら日子の能力によってアマガケリを恣にしたところで 天使の能力を欲して 一面では礼儀正しい人間的な・ますます人間的な人間になったところで 地を這うようになったと考えられる。ちがった旋律をうたう自由をもはや恐れるようになった。恐れるのが ふつうだと思うようになった。思わなくても からだが 先に恐れている。繭を破って 変態することは ありえないと思っている。
たしかに 継体ヲホドからなお 百五十年以上ののち 天武体制の確立をもって 古事記を編集する頃には あらためて人びとが歴史する舞台が確認されるとともに 歴史知性のウタの混同・入り組みが 同じくあらためて色濃くなったかも知れない。もっぱらの日子によるアマガケリ競争がひとまず止んで 人びとは あらためて 内へ向き変えられた。と同時に ウタの構造の大枠として 国家という社会形態は 人びとの前に大きく立ちはだかったかも知れない。
古事記は 姓名の相互錯綜をそのままにして記述を提出することによって その系譜の乱れとともにいくつかの種類の歴史知性から繰り出されるウタウタの間の混同を指摘しようとした。指摘しえたかも知れない。と同時に この入り組みを 入り組みの状態にあることが オホタタネコ原点の・だからその動態にとっての舞台であると 受け取ったのかも知れない。
人びとは 直ちには 変革を求めなかったのかも知れない。そのイリ日子歴史知性の墜落を自覚したかも知れない。
(つづく)