caguirofie

哲学いろいろ

第二部

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第二十七章 あらためて《イリヒコ》歴史知性について

あらためて 実践が開始される。前章で述べたことを 規範的に言いかえると あの第二の死をその向きを転換させて 回避する人びとも 墜落したという見方である。根子に対して 《泥古》という表記もあった。
さらに神秘的に言い表わすとすれば われわれは 日々 死んでいるということ。

  • 日々 死んでいるのなら 日々 生きている。

コトの善悪――《むさぼり・ぬすみ・姦淫》でないかどうか――を論じ 判断し 実践することは ひとつのコトである。われわれも 罪の共同自治の一つの方式として 法治社会を否定してしまうわけではないから それはそれで おこなわれなければならない。そしてこれは 善悪の木を押し立てる・人間的な動機による歴史社会の誕生であった。われわれが 人間の誕生に基づき歴史の誕生を ここで議論するというのは そのアマガケル日子らの動きによって誕生した歴史社会を 人間的な動機による善悪の木にもとづくモノゴトの判断を さらに判断してゆくということにほかならなかった。

  • はじめに そのアマガケリは無効であって しかも実効性を持ち有力となったところ ついに それが築こうとした国家形態は 残った。いまは この国家の段階での話しである。

けれども 善悪の木のオキテに照らし合わせて判断する方法 これをさらに判断するという歴史知性は とうぜん われらがミマキイリヒコ社会でいちど確立した方法である。共同主観 あるいは 井戸端会議と呼んだ。これはまた 天武体制となって 国家の段階のはじめに 回復された方法である。人麻呂のウタについても いくらか触れる機会があった。これの歴史的な共同相続人となることが われわれの実践であるにほかならなかった。
これを確認したいがために 《イリヒコ(人間)の墜落》という一章をもうけた。ここから あらためて実践が開始される。正体不明のウタなるX姓を生け捕りにすることが ここでの目標である。

イリ・イラ・イロ

議論をおこなう一つの観点として これからは あたらしく ことばの発生・ウタの成立という視角を導入しようとおもう。第一部・人間の誕生を論じるにあたっては すでに誕生したことば・文章として成立したウタということを 前提していたから この前提をも吟味しつつ進もう。主題としては 《イリ》および《ワケ・タラシ》の両系譜の錯綜する歴史社会の過程 これについて 第一部の議論を補強しつつ すすめたい。
そこで あらためて《イリヒコ》なる歴史知性について。
入日子の《イリ》というのは 自己到来の意味であると思う。自己が歴史知性(オホタタネコ原点)に到来し 時間と時間知の世界に――こんどは――入ることだと思う。
ゆえに――この歴史知性の時間的存在たることは 一般に 男の女に対する関係に見出されるゆえに(したがって 文学は 愛を中心として語る)―― 《イリ》は 主体たる自己の呼称として 

  • イラツコ(郎子)・イラツメ(郎女)
  • イロセ(同母兄弟)・イロモ(同母姉妹)・イロエ(同母兄)・イロト(同母弟(妹))

なる概念を持つ。つまり イリと イラ・イロとは 同根の語であると思われる。すなわち

  • イラツコ=同母つ子・イラツメ=同母つ女

であろう。つは 属格=連体助詞《の》の意。また

  • イロモ←イロ‐イモ (イモ‐人=妹)
  • イロト←イロ‐オト (オト‐人=弟)

おそらく 同母という表記に当てられるイロが 経験的にも(すなわち男女夫婦としての) 歴史知性の原理的にも(したがって 生命の木とのあたかも間の) それぞれ婚姻を表わすと見られる。すなわち イリである。

  • セ(兄・夫・背。セ‐人=舅)
  • イモ(妹)
  • エ ye(兄・姉)
  • オト(弟・乙〔落とす・劣るのオト〕)

これらをつけていうのは 家族における関係概念である。イリ日子・イリ日女というのは 主体の概念である。きみは誰だというとき 天武天皇は 天智天皇との関係で そのイロトだと言う。天武天皇が きみは何であるかと問われるなら イリ日子(または 真人)つまり人間であると答える。主体概念というのは 関係世界を離れているという意味ではなく 実体(ペルソナ)的な独立主体を想定しているからであり ペルソナ(仮面・似像・人格)というとき その実体は 模像(有限な存在)であり似像(神の)であってよい。根子という木は モノの木ではなく モノから成り立っているが また生命の木そのものではないゆえである。
善悪の木(日子の能力またその規範)が 模像の世界に属している。つまり これも 人間のモノである。人間の用いるモノである。モノは コトと連関し対応している。けれども 人間じたいは 根子‐日子の連関者であり この歴史知性なる存在は 善悪の木と同一ではない。
形而上学的に 入日子であり意富多多泥古であるとき 後者は 存在の性格を 指し示している。意富は 自由意志の主体であることを 多多は 多様性・個性のことである。泥古は 墜落を経験した者であることを。また 別様に 大田田根子とも書くというなら それは 経験的に見ても はたらく(田田)市民(根子)であることを意味表示している。
これに対して 前者・入日子は これも社会的・経験的な性格を付与され 公民(日子)であり さらに歴史的に新しく《イリヒコ》なる姓としての名称となって 実際に 社会的職務(王もしくは市長)につながって表象されていったであろう。ただし この最後の一性格は その後のワケやタラシヒコのこの《イリヒコ》からの分立とさらに分立したのちの〔イリヒコへの〕攻勢に対して――《市民‐公民》の連関が 国家なる社会形態に挙げられて確立するまで ひとまず――弱いものであった。国家成立のときあらためて復活したというほどに それまで弱いものであったそのことにおいて――国譲りしつつ―― 強いものであった。
イリ(入)という観想的な自己到来は また 時間知の世界つまり イリ(要)という経験的な必然の国に近づくことである。つまり 形相(イデア)の世界をとおしての現実は 質料(モノ)・経験の世界の現実と はじめに切り離されないものでなければならない。はじめにというのは 時間の前後を言うのではなく 原理的に・人間の存在の全体として はじめにということである。
もちろん モノとイデア 根子と日子とは そのように狭義の概念として 切り離して捉えられ論じられうる。人間が 日子(精神)をとおして社会の鏡をとおして イリヒコなる自己に到来する――自己にイリする――のは 自己を 意富多多泥古なる像として捉えることにほかならない。この行為・このコトの全体が 歴史知性である。つまり そういう動態である。

  • むろん オホタタネコ原点とも言っている。

身体(泥古・根子)を離れないということでもある。実際にはである。タラシヒコ(帯日子)とは ここからワカれて 精神において 《イリヒコ》を想像し(いわゆる学問も そうするのだが) これを善悪の木の像として保ち ここにおいて自己が神となってのように 想像じょうの認識じょうのコトガラを 善と悪との二元に分かつ こうして 精神主義的に・つまりこの善悪の木に縁って 他と連帯する行き方である。そこで 決定的なことは この連帯が成ったところでは 善悪の分別は 重要でなくなることである。言いかえると その分別の規範・オキテは これら連帯を統一する・暖かく包むアマガケル統一第一日子が担い この象徴のもとにあれば 永遠の現在時として なんじと我れとの世界は 生きられてゆく。

  • 善と悪との二元というよりは 昼と夜との区分とその使い分けと言ったほうがよい。

言いかえると 《イリヒコ》が 観念に造られ その像としてその規範としてその旗印として 共同化されていった。イリヒコとして 自己到来するというのではなくなり その自己認識したイリヒコなる概念を 観念のうちに収め これを あたまの中に注入するというやり方である。その意味で共同の主観となったイリヒコ観念をもって ワカタラシヒコなる統一第一日子のもとでは――だれがそのことを計画し実行に移すのだろう 不思議なほど 首謀者はわからない―― なおも人びとの脳裡を串刺しのごとく 数珠繋ぎにし ウタのメロディをも吹き込む ここで 永遠の現在郷は完成となる。日子の能力・その精神の領域のさらに上空を飛んでいる超越日子が はたらいていると見ざるを得ない。もはや あたかも人間の業(わざ)ではないかのごとくである。

肉を欲情や欲望もろとも 磔に・・・

イリの歴史知性は――それは 経験的な動態の過程にあり 墜落し停滞する精神の世界に寄留しており この寄留は 知性の滞留となっており―― 婚姻(結婚は 善である)を含む。性欲を排除していない。イリヒコ歴史知性は 肉の情念に死ぬであろうと言おうというが あの墜落を完全に克服しその負債から完全に免れていると言おうとは思わない。この意味で 人びとは日々 死んでいる。なおかつ あの井戸端会議において 日から日へ変えられてのように 肉の情念に死ぬであろうと言おうと語り合うが 性欲の本能をまぬかれてしまったと言おうとは思わない。
ところが 姦淫は 肉体のこの本能ではなく 明らかに 精神の一つの意志によって起こるものである。起こすことである。善悪の木のオキテなる二元説(昼夜の区分論)による精神主義によって起こるコトの関数なのである。むさぼり・ぬすみ・姦淫は。すなわち 肉の本能(所有欲・支配欲等)を そのように日子の能力が用いるのである。支配欲によって支配されるというのも この精神主義の結果である。
肉の本能によってむさぼるのだとは 思えない。だから 肉の本能を 抑えたり 消滅させたりしようとは思わない。けれども 日子の能力を 自由自在にわれわれは 管理しうるだろうか。それも出来ないが と同時に 肉の情念には死ぬであろうと言おうというのが われわれの実践のひとつなのである。これは 善悪の木・そのオキテ・その意味で日子の能力によっては ついに為し得ないオホタタネコ原点(それは動態)なのである。

ことばに関してのイリの表現動態

おそらくはじめに イルという不定法 infinitive があったのである。カム(神)が カム‐イ→カミとなるように イルが イル‐イ→イリという概念法に活用したのである。イは コト・モノの意の語である。或るイは のイ。打消しの意の語であるナを イで言い出して イ‐ナ(否) あるいは 口を開けて笑うときの発音 ハ・ハアを イで完結させて ハ‐イ(諾)。
イナ ina (否)は イヤ iya に変化しうる。子音/ n / は / r /や/ l /を介して / y /と交替しうる。イヤは さらに 母音交替で イエ iye となる。イを重ねて イエイエもしくは イイエ。等々。

  • いまは けっきょく 直観で議論しているのだが お付き合い願いたい。

日。入り。闇。

というように 名辞をいくつか連ねて その昔 人は発語した。まだ モノゴトの知解のみとしてである。意思表示――それは 名辞が体言や用言に分かれ さらにそれらが活用するというかたちにおいて 表現される――のほとんどないまま これでも 文の成立へと進められていく。
これが 現実の人間のコトとしてのイリ動態のはじめだと言おうとしている。
この文としての成立を経て さらに文章化という意味での文化は 人間の誕生に対応し これを文字表記して文化するようになるのは たとえば古事記等の編集・完成によってのように 歴史の誕生である。人間の誕生にすでに 歴史の誕生は 生起しているが 文字の使用は 現在では一応 未開と開化とのあいだを分かつと考えられる。
イル・イリから イリ日子や イラツコ・イロセ・イロモ等々が派生する。イリや イロなる体言は 日子や背や妹と直接つなげられたが イラは ツを添えた属格に活用して 子に連絡した。あたかもこの活用と同じ発想によって 《日。入り。闇。》なる発語形態は そのままでも

日 入り 闇。

なる文を形成した。このとき 日は 体言であり 入りが 用言となり 両者は 互いに 主格と述格との連絡関係を持った。日が山の端に(水平線に)入ったという意味内容である。この場合は 現象の主体(太陽)とその現象を述べた用言(入る)とで ひとつの文を成立させた。
この《日 入り》なる文につづいて 闇なる体言が言い出されたとき 入りなる概念法には 発話者の意思内容が 含まれることとなった。この場合は 現象を述べているので 現象の継起の過程・それとしての因果関係である。日没のあとの闇・日没ゆえの闇という。闇なる体言にも 活用が施されるなら 

闇なり。

となる。この場合 現象を写生しているに過ぎないとはいえ 発話者の意思内容が ナリによって 断定法というかたちを採っていると考えられる。現在時の状態を表わすとすれば そしてもし仮りに 用言への活用がありえたならば 

*闇‐ル。

とでも言ったかもしれない。
文が成立し さらに文章として展開されるならば 人びとは 知解が進み 意思の表明が容易になり 自己の意志を確認し得て 記憶行為が発達し たがいの意思疎通も 確実に行なわれてゆく。やがて モノの木と生命の木とのあいだに 善悪の木として日子の能力を持った存在である自己を見出す。あたかも愛と資本の推進力としての生命の木にうながされてのように 知恵の木なる存在としての自己に到来するというのが 歴史知性の誕生であった。
善悪の木のほかに 目に見えない生命の木をことさら立てるのは こうである。たとえば《和を以て貴しと為す》という命題が 知解の成果として心の中味を表わしているとした場合 その概念が生活しているわけではないので この歴史知性そのものが 人間であるわけではなく わたしであるのでもない。その命題は やはり善悪の木の規範であり 経験世界から抽象してきた知解成果である。成果や規範を 人にかぶせれば 貴い和の状態が・つまり罪の共同自治が 実現されるかというと 必ずしも そうではない。従って そこにおける日子の能力の限界をこころにとどめるために 生命の木を立てるのである。
言いかえると 精神の有限性を心得ている人は 生命の木を立てる必要がない。言いかえると 和を以て貴しと為すという日子の判断行為が あたかも生命の木としてのように 神聖にして侵すべからざる木として社会に打ち立てられるとすれば これには異を唱える余地があると自覚するチカラとなるのが 生命の木の想定であると考えられた。
日子たちは 罪の共同自治の必要を認めたときから あたかも羅(網)の目のように・百科事典を作っていくように 善悪の木の規範の体系を満たしていった。いわく

和(やわら)かなるを以て貴しとし 忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ。
人みな 党(たむら)あり。また達(さと)る者すくなし。ここを以て 或いは君(きみ)・父(かぞ)に順(したが)はず。また 隣里(さととなり)に違(たが)ふ。
しかれども 上(かみ)和らぎ 下(しも)睦びて 事を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは 事理(こと)おのづからに通(かよ)ふ。何事か成らざらむ。
日本書紀〈5〉 (岩波文庫) 推古天皇十二年四月条)

これは 動態過程なるイリヒコの生活の模写および観念的な規範化なのである。いくぶん権力の側から・上から ものを述べている。
《人みな 党あり。また達る者少なし うんぬん》ゆえに 規範的な《イリ日子》の律令が必然であると この筆者は説いたことになる。
オホタタネコ原点のイリ日子歴史知性は言う。われ われに生まれたり。オホモノヌシの生命の木のもとに生かされてあり。けれども われ 墜落せり。泥に堕ちた。しかれども 存在は善なり。歴史知性は善なり。欠陥を憎み 存在はこれを愛す。ゆえに 人に対して その存在の前には 存在を愛し貴び 一歩もしくは半歩 クニユヅリする。我れ さとること少なけれど イロセ・イロモ・イロエ・イロトより始めて この我らがこころに ヒトコト主よ この世にも 調和をもたらしたまえ。
イリの表現行為の動態について 次章以下に追いたい。
(つづく)