−第一章・下
([小説]夏安居#1(第一章・上) - caguirofie041017〔=目次あり〕からの続きです。)
* * *
ヴィシュヌは やはり温和な表情を秘めているが 目鼻立ちは実際には 風雨にさらされて かすかにしか残っていなかった。おれは――《その朝》のことである―― ソパーラの街並みを背にして ひざまづいていた。あたりの野原には ほとんど人影もなく 静かである。正面・東の方角には 遠くガーツの山なみが 朝陽で明るい空をきわだたせている。その山を背景にして 野原は わずかに まばらに生えたニーヴァーラの樹々の葉が かすかに揺れるのが 目に入った。
乾いた季節が往こうとしており 朝の風は たしかに海からの風が 湿っ気を運ぼうとしている。アラビアの海の湿っ気であり なにか珍しい匂いでも嗅ぐように おれは 思いっきり吸ってみた。少々生臭い匂いが鼻につかぬでもなかったが ふるさとの山とはちがった別の世界――単純に 大海原の世界が想像された――が ひろがった。こころよい雰囲気に浸れそうである。あらためて浸るその気分は 子どもの頃の開放感である。
あの《当惑》の朝である。
やがて 祈りを終え 勤めは この一柱のヴィシュヌにとどめ 例によってその朝の用を足す場所を求めて 野原の小径を さらに家並みから離れて歩いていった。
おれは 水場を求めて歩き まもなくひとつの小川にたどりついた。そこは 上手のほうのシャイバラ草の生えるあたりに 水牛が水を浴びているいつもの風景のなかの一画であった。おれは 衣の裾をまくり その小川のほとりに しゃがんだ。みずみずしい雑草の冷気が 肌に伝わってきた。――ちょろちょろといった水のきれいな流れを見ていると 下手にいけば この小川は マハークリシュナ河に流れ注いでいるであろう マハークリシュナ河は その上流のおれたちの村と今 おれのいる場所とを そうやってつないでいるだろうことは 分かっていた。
この日 ほどなく ソパーラを発って 陽の落ちる頃には 産褥の妻のもとに帰ってやれるはずだという安堵とともに そんな安堵感とは反対に もしおれに そんな河の流れによるところのふるさととの絆があったとするなら このとき おれは その絆を今みづからの手で ほどいてやろうという誘惑にかられていた。
おれは ナラシンハのことを思っていた。
*
ふたたび 前日の夕刻のことである。
おれは バザールの中の茶屋に寄って 休憩を取っていた。ひげはもちろん剃り終わり 所用もすべて満たし終えたあとであった。
日は 暮れかかり 街は 人影も まばらとなっていた。
何とはなしに 昼間の人いきれの残りかすが漂う街どおりに 今度は子どもたちがこれを独占し 遊んでいる。用を終えて萎びてしまった花輪をそれぞれ首にかけて 元気よく追いかけっこをしている。ただ そのときのおれは そんな子どもたちの姿から目を離すと ふと日没の時刻の寂しさが走らないでもなかった。
おれは 茶屋の軒下の椅子に坐って 売れ残りのチャパティを食べていた。バターは 言い値で売れ 新しい水がめも 雨安居を過ごす食糧もすべて 買い整えていた。そう思って一息入れた。次の瞬間 ふたたび この朝の自分がすでに遠い過去のことのように思われ その募る思いに抗さねばならないのだった。
ここで ナラシンハと会って話をしたということを 述べなければならないと思う。――おそらく おれのこの当惑は 自分が柄にもなく ナラシンハとそしてかれと共に修行をつづける沙門たちとのあいだに分け入って行ってしまったことに 原因がある。ただ
ナラシンハは 幼いときに別れた友であり 何年か振りに再会したのであって そのナラシンハの語った歴史を述べることが このおれの物語りの目的である。それを 場所を改めて別にまとめて編むつもりなのだが――それが 第二章である―― 従ってこのとき おれの当惑の原因となった事柄は ナラシンハとかれの同僚の沙門たちのおこなっていた行動にあるというのではない。言ってみれば おれの脳裡に残っていたのは ナラシンハの語った話のなかの 特にかれの恋愛経験のほうにであった。それが 次のひとつの章なのだが その前に もう少しおれ自身の体験について 触れておきたいと思う。
いま――その夕刻であるが――いる店先からは 日はすでに家並みに遮られて見えない。ただ――それ(日)はちょうど海のほうへ沈もうとしていたのであろう―― 街の北方には 一方のみを残してまさに陰影につつまれようとしている こんもりとした樹々の茂みが 見えた。ナラシンハらの僧伽藍摩(サンガーラマ)は この北の森のなかにあった。おれは この日の昼下がり ひげを剃り終わったあと わけもなく ナラシンハと伴って そこを訪れたのだった。当惑の原因はもちろんそこにあったのであり そのことを思っていた。だが
この北の森の僧伽藍じたいについて述べることは 余りない。たとえば その森の中にひとつの広い空閑地があり その隅に一軒の家屋が 建っている。それは大きくもないが チャンダナの木で造られたひとつの立派な建物であった。もっとも この 蛇が根を蜂が花を猿が枝を熊が梢を荒らすという白檀の木造りの家を見て その威容に打たれるのは ただおれたちの習慣のひとつに過ぎない。ただ 周囲の野生の樹々 そして コーキラの鳴く声は 特に印象深く残っている。ひとつのこころよい世界に思われた。
そこで行われる修行じたいについては――すでに述べたとおり―― あまり報告することはない。修行者の数とて多くはなく 信奉する民衆は 皆無である。ほかに一つ印象づけられたことと言えば この僧伽(サンガ)という言葉であった。かれらはここで ひとつの共和国(サンガ)を創めると ナラシンハが言ったことだった。
山に残してきた産褥の妻のことやらを 勿論 忘れていない。その山の生活と こうしてこの夕刻 茶屋に憩う現在の自分とのあいだには――じっさい この日は朝 山を発ってからというもの 長い一日であったが―― この僧伽藍で過ごした幾時間かが おれのなかに横たわってしまっており そのことを思わないわけにいかなかった。
たとえば妻は その祭儀のとき おれに向かって こう誓った。
われは心に見たり――
なんじが 知見に達し 苦行より新生し 苦行より威力を得たるを。
ここに子孫を ここに富を授けて 子孫により繁殖せよ。
息子を欲する者よ。(リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫))
これに応えて おれは
われは心に見たり――
なんじが 思いを凝らし 月水時におのが身体に悩めるを。
寝床に高くわれに近づけ。
なんじの若返らんことを。
子孫により繁殖せよ 息子を欲する女よ。(リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫))
と誓ったが この 今度の第三子に男子の誕生を祈ったおれたちの誓いが ちょうど走る船が跡に残す白い波のように うしろへ うしろへ 遠のいてしまう。
それには――僧伽藍での数時間とともに おれ自身の経験として――さらに別の異様な体験が 介在していたのを知っていた。ふたたび述べれば この日はじつに長い一日であった。
ナラシンハに いったん別れを告げて 僧伽藍からバザールに戻る途中 おれは 道端に
偶然 あるものを見てしまったのである。それは特に目新しい光景というものではなかったが そのときの異様さにはさすがの自分も 感極まって ついに 天王ヴィシュヌのあらゆる勲をいのりながら讃え たたえながら祈らなければならなかった。
途中の道端で老いてしまって野ざらしのまま葬られた一頭の牡牛が その性器を一匹の犬に引きちぎられようとしていたのであった。
その時 そもそもこの牛は どうしてこんなところに野垂れ死にしなければならなかったのだろうかとは 思うひまもなく ただ道端にひとつの山のように波をうって倒れている屍体が 一匹の小さな犬にかぶりつかれ その肉を引きちぎられようとしていること自体に 引き付けられてしまったのである。あるいはそれは おれが 牛飼いだったから そうだったのだろうか。
おれは――そのとき―― しばらく突っ立ったまま そのありさまを見ていた。――犬は しきりに 山から何ものかを奪い去ってしまおうとするように 赤い塊を口にくわえながら 四つの肢にちからが入った。すでにその部分には べっとりとした血が ながれていた。いっぽう 山は 死しても尽きることのない力を しぼり出そうとするかのように ふんばっている。しかし それでも 黒々とした山からは やがて ところどころに赤膚があらわになり始め すると犬は 歓喜したように すでに真っ赤になった口元を さらに奥へと突っ込んでいく。そのときおれは 望まずして この牛の側に立っていた。犬はただ 黙々と 襲いかかっていた。もちろん牡牛は 為すすべは 何もなかった。
しばらくして 暮れかかった陽射しは この生々しい現場を やわらかく しかも そうであるがゆえに 残酷な調子を帯びさせて 照らし出していた。犬は まだ 噛みついていた。牛は なお 踏ん張っていた。
おれが 街に戻ったのは やがて あたりでは そこに映える光の色が変わったときであり あたかも何ごともなかったかのごとく――ちょうど 興奮を知らぬままに どこへやら紛失してしまうように―― 静かに 引きさがるようにしてであった。
おれは その場を去ると 気を取り直して強く自分に言い聞かせ――それは 成功したようだ―― バザールの人込みの中に混じって ひとり買い物に熱中し それを済ませると さらに このとき(いま 茶屋の店先にいたのだが) ひとり チャパティを食べていた。
通りでは 子どもたちが 無心で遊んでいた。浮浪者が そこここに 見えた。これはこれで 平和なたそがれ時である。そして たとえば あきらめとも勇みとも つかない心の動きが動いていて 何ものかへと あるいは いづこへかと 歩をあらたに進めようとするときの ふたたび 軽い当惑を覚えるのだった。
*
こうして今――その明くる朝――おれは マハークリシュナ河に注ぐ小川のほとりにうずくまっている。ちょうど酒でも飲んだように 二日つづけて 当惑を覚えていた。
おれは ちょうど いつ始まって いつ終わるとも分からない おれたちの音楽のように 二日つづけて心の中に 放心へ向かわせる小さな しかも 強い 旋律が ただよっているのを知っていた。
つぎが ナラシンハの語った物語りである。
(つづく→[小説]夏安居#3(第二章・上) - caguirofie041022)
(reference:
- 作者: カーリダーサ,辻直四郎
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