caguirofie

哲学いろいろ

2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧

TriMZikA vijJaptikArikA

acitto'nupalambho'sau jñānaṁ lokottaraṁ ca tat|āśrayasya parāvṛttirdvidhā dauṣṭhulyahānitaḥ||29|| 29 それは( 'sau = asau ) 思考( -citta )から自由( a- )であり 知覚( -upalambha )からも自由( an- )である。 それは( tat )また( ca …

TriMZikA vijJaptikArikA

triṁśikāvijñaptikārikāḥ Parallel Devanagari Version: त्रिंशिकाविज्ञप्तिकारिकाः triṁśikāvijñaptikārikāḥ ṁamaḥ sarvabuddhabodhisattvebhyaḥ ātmadharmopacāro hi vividho yaḥ pravartate|vijñānapariṇāme'sau pariṇāmaḥ sa ca tridhā||1||vipāko manan…

それそのもの( idipsum )

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie これは 《物自体( Ding an sich )》とつながるか。 〔* 文脈をつまびらかにしないままに引用しますが〕だが 次に続くことをダヰデに言ってもらって すべての疑念を取り去ってもらおう。なぜなら わたしたちは 《町と…

人間が欲するままに

しかし これらの悲惨な現状(=不条理なる現象)において忠信であり善である(=不可思議な自分を愛する)人が この生から幸福な生に到るであろうときは 今は決してあり得ないこと つまり人間が欲するままに生きること が真実となるであろう。なぜなら 彼は…

charitas

1.神の愛:charitas ( grace / devotion ) 2.精神としての愛(意志):dilectio ( affection ?) 3.心理としての愛:amor ( love ) 4.欲望としての愛:cupiditas ( desire / love )

Puṇṇamasutta ( Full Moon sutra )

Saṃyutta Nikāya 228. Khajjanīyavagga82. PuṇṇamasuttaMs SC Ekaṃ samayaṃ bhagavā sāvatthiyaṃ viharati pubbārāme migāramātupāsāde mahatā bhikkhusaṅghena saddhiṃ. Tena kho pana samayena bhagavā tadahuposathe pannarase puṇṇāya puṇṇamāya rattiyā…

“Seyyathāpi, bhikkhave, ye keci mūlagandhā, kāḷānusāriyaṃ tesaṃ aggamakkhāyati; evameva kho, bhikkhave … pe … catutthaṃ.比丘たちよ たとえば根香である者たちはみな かれらの時に応じてまさに最高のことが語られる。それと同じように実に 比丘たちよ…

イエスが なぜキリストか。

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie イエスが なぜキリストか。 イエスが なぜキリストか。 次に掲げる聖句に集中します。 その中で特には ○ 人の内から生きた水が湧き出る に焦点を当てます。ぎゃくに言うと なぜこのコトに一般にクリスチャンは注目しな…

言葉が先か 意識が先か

Q&A

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ★ 正しく理解しているかわかりませんが、構造主義の立場では、私たちが思考したり感じたりするときに、まず頭の中で「言葉」を使用し作文を作ることにより「意識」が生まれるとの立場のようです。 ☆ わたしは 必ずしも…

掴み不可能性

▼ 掴み不可能性自体が掴めない ☆ という表現に出会った。《神》についての説明としてである。 《神は何であるか》 人間はこれを把握できるであろうか。しかしそれは・・・《神が何であるか》という問題そのものが理解しがたいということではなかろうか。 そ…

《三位一体》について

です。 まづ図示です。 聖書から次の文句を取り出しその表示するところが ひとは三位一体なるカミの似像(にすがた)であるという。その見方をさらに内容として分析したものです。 ◆ (創世記1:27) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわち、神…