一体何が真実なのですか。
No.6
1. 《真理 X 》と《事実 Y 》と《真実 Z 》といった概念を提出します。
2. 人間にとって真実とは 《主観真実》です。おのれが間違いのないまことだと感じ知ることを言います。
3. ふつう自然なかたちにおいても 間違いがあれば ヤマシサ反応が起きて おのれの真実かどうかが分かります。
3-1. 胸騒ぎがしたり顔が赤らみ舌がしどろもどろになったりする反応であり おのづから――おそらく良心のはたらきとして――起こっているものと考えられます。
4. ヤマシサ反応に引っかかるのは おおよそ ウソ・イツハリと言うもののはずです。
5. こまかいことを言えば 主観真実に対して ほかに 《客観事実》といった認識事項があります。
6. ヤマシサ反応が起きない認識や発言であっても――つまり 主観真実であっても―― じつは客観事実はそれと違っていたという場合があり得ます。
6ー1. 善意で知らなかった(認識が及ばなかった)といった場合であり 実際の事実はわが主観とは違っていたと あとで分かる場合です。
7. したがって:
★ 一体何が真実なのですか。
☆ という問いに対しては 広義の真実として これら《主観真実と客観事実》をひっくるめた内容を言うはずです。
8. 客観事実は 一たん得た主観真実のあとにそうだと分かって あらたな主観真実となるそれを言います。つまりは そのように時間差をともなって これも主観真実のことです。
9. この客観事実には 自分とは別の他者なる人びとそれぞれの主観真実をふくめておくと よりいっそう全体観に近づくはずです。
10. さらにほかに 哲学は欲張りですから重箱の隅を突っついて用意する概念は 《真理》です。
11. 理論的には 普遍的にして不可変の知を言い 人間の思わくによってそこにさらに いつも変わらぬ意志といった内容をつけ添えて呼ぶのが この真理です。
11-1. 意志は すでに人びとをふくめた環界を相手にしているからには 《カカハリ そして特に人間関係》を前提にしていますから そのカカハリやまた実際のマジハリという中立の意味で《愛》とも呼べます。
12. 具体的にして実際においては すべての人びとの主観真実とあらゆる客観事実をまとめておさめている知と意志が 真理でしょう。
13. 人間は あやまちをおそれず大胆ですので その知と意志のあり方として しばしば自己を中心において(主体的に!?)生きることを欲しそのように生活しています。
14. そのとき 自分にひきつけた《事実 Y ‐ 主観 Z 》関係なる主観を形成します。言いかえると 全体を網羅する《 Σ Y-Z 》といったかたちの・けっきょく世界観です。人( i )それぞれの《わが世界観 Σ Y - Z i 》です。
15. さらにあろうことか けっきょく《絶対性》という概念で示し得る真理 X のことまで その相対的な主観におさめようとします。《真理 X - 主観 Z i 》という真理観です。すなわちこれは とりもなおさず 神観のことです。
16. このツテでは・したがって全部をひっくるめて 《 X - Y - Z i 》という広義の世界観を得ているものと思われます。
――これが 人間の真実です。枠組みのようなものとしてですが。