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哲学いろいろ

すべてのヤマヒは ウソ・イツハリから――補論――

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0. これは 長期的視点に立ってその歴史的な過程を一気にちぢめて捉えたなら 人間性のあり方としてそういった原因と結果の関係がたどれるのではないか という推理を示したものです。添削・批判をどうぞ。

 




1. ウソをつきイツハリをおかすとき ヤマシサを感じさせる反応が身に起きます。

2. これは 心理として心においても意識されます。

3. 良心の問題だというような捉え方をするなら おそらく生命体としての人間性が すでに反応を起こしているのではないかと推し測られます。



4. まとめるなら:
ウソ・イツハリに対する生命性(良心)の反応
ー→身体における神経細胞の反応
ー→心のウゴキとして心理における意識や知性による認識をも惹き起こす 
といった一連の事態かと。


5. へそを曲げるといった表現を持つときそれは 身における神経細胞が 自然本性(≒生命性)にもとづくハタラキ方をねぢ曲げたのだと思われる。寝違えて首筋をひねってしまったときのように 神経がどこか道筋を横に逸れたことになるのではないか。



6. このような事態をともなったヤマシサ反応は 副反応というよりは本体(良心および神経筋)の反応として自由意志のワキミチ路線を 延長させるものと見られます。

7. すなわち 自由意志の自由度に恃んでヤマシサ反応に逆らってことをおこなった場合に尾を引くように生じるちいさな脱線状態ではないかと。


8. 一例として挙げるなら そのヤマシサ反応の風が吹けば やがて――良心の作用によってでしょうか――或る種のタブーが生まれこれは世界中どこでも同じように持たれてにぎわったところのインセスト行為。

9. 近親婚は おそらく人間の自然本性としてのヰヤマヒやタフトビ〔といった愛〕の筋を違えることになるゆえ その禁忌が――自然発生としてのように――自覚され持たれるようになったか。


10. このようにして 人間の心理的また身体的なヤマヒが ちいさな脱線状態から長い長い歴史においてそれらどうしの相互影響を経ていろんなかたちで起きて来ている。のではないかと。すべてのヤマヒが です。


11. LGBTQと言いますが 初めは――やはりちょっとした(?)ウソをともないつつ 好奇心からか――その種の指向性を想い描きさらに実行にうつした。その結果が 長い歴史を経ていまではあたかも《自然の先天的な》と見られるようになった。のではないか? つまりウソに発するのではないか? 

11-1. プラトンは 最初の人として 男と女と男女の三種類があったと言い そのあとそれぞれが半分に分けられて GとLとH(ヘテロ)という指向性の事態になったと言っていましたっけ。GとLとは ウソから発したのではないと。どうでしょうか。