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哲学いろいろ

光秀論

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秀吉の問いに対して菊丸の正体を知らない振りをした光秀は 《心美しき者》か?

信長から献上された蘭奢待の片方を毛利にやってしまった正親町天皇は 《志高き者》か? 文句があるなら 蘭奢待を所望したときにはっきり言えばよかったではないか?


平蜘蛛の話を受けたときには偽りの心であったことを悔いて信長に平蜘蛛を差し出し しかもそれを持つ者の覚悟(「いかなる折も 誇りを失わぬ者。志高き者。心美しき者」)を説く光秀は 麒麟を連れてくる者たるにふさわしいか?

盟友・松永久秀の志を闇に葬ってしまって もう一片の葛藤すらもないというのだろうか?

 


久秀を切ったのか切らなかったのか 後者ゆえ本能寺にまで行ったのか それは別としても

その誇り高く美しき心によって もし信長が非道に走っていたなら踏みとどまる心へと信長をみちびいてこそ 麒麟がくると言えるのではないか?


心ではなかった。茶番劇ぢゃん?

 

 

           *

 

 

麒麟はくる? ――光秀では 無理です。

そもそもクーデタというのは ただの首のすげ替えに過ぎない。

統治方式を変革し社会の体制をも改革するというのなら そのような主張を発表し賛同者をつのりその実現を目指すという道を推し進めなくてはいけない。織田家から離れるということから始める。


非道を阻止し独裁をとめるためなら 身命を賭して信長に直訴するのが筋だ。


信長がじぶんの思うように動かなくなった。勝手な行動ばかりする。ぢゃあ 消していまえ。というのでは 首がすげ替わるに過ぎない。そして同じたたかいが続くのみだ。


光秀は ただプッツンして――自分のそれまでの功績をふくめて――すべてを裏切っただけ。