カント葬送
カント葬送(つづき)
▲ (カント:アプリオリな純粋認識の論証?) ~~~~~~~~~~~
1. 空間および時間の概念はア・プリオリな認識であるにもかかわらずどう
して必然的に対象に関係せねばならないのか・・・
☆ 1-1. (引用者註) つまり もしその認識が《対象に関係してい
る》なら 先験的(経験に先立つ)ではなく またアプリオリな純粋
直観ではなくなる。《対象》は 現象であり経験的である。
2.
a 対象は 感性のかかる純粋形式であるところの空間および時間を介しての
み我々に現われ得るから
b ―― 換言すれば 〔☆ 先験的な純粋直観のあとに持たれる〕経験的直観
の対象となり得るから――
c 空間および時間は純粋直観であるし
d-1 またこの直観(=純粋直観)は
e 現象としての対象を可能ならしめるア・プリオリな条件を含むものである
から
d-2 かかる直観における綜合が客観的妥当性をもつのである。
(I.カント:『純粋理性批判』 Ⅰ 先験的原理論 第二部門・第一部 先験
的分析論 第二章 純粋悟性概念の演繹について 13 先験的演繹一般の諸
原理について 篠田英雄訳 1961 )
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3. われわれ人間のおこなう認識について 結果として《2‐d-2 かかる直
観における綜合が客観的妥当性をもつのである》としたとしても そのことと
この論証とは 何の関係もない。と言わざるを得ない。
4. けっきょく次の命題は はじめの論証すべきものであって それらがす
でに論点先取のあやまりにおいて 証明済みとして推論に用いられている。
▲ 2‐c 空間および時間は純粋直観である(☆ =つぎの《ア・プリオリな
条件》のことだ)。
▲ 2‐d-1 またこの直観(=純粋直観)は e 現象としての対象を可能な
らしめるア・プリオリな条件を含む
4-1. また その命題が証明されたなら それにもとづき次の命題が帰結
される恰好でしかない。と言わざるを得ない。
▲ 2‐a 対象は 感性のかかる純粋形式であるところの空間および時間を介
してのみ我々に現われ得る
5. この推論は インチキであるとなぜ言わないのか?
6. 経験と思弁をつうじての――やはり論証抜きの――見方になるけれど
次のように捉えるのが 妥当ではないか?
a △ 対象は 認識の形式であるところの空間および時間をみづから(=対象
・世界 )のうちに擁しており われわれ人間の感性のハタラキと相い俟ってま
さに認識の対象と成る。
b △ 感性について 認識にとっての純粋形式であるという空間および時間を
備えていると想定してもかまわない。その形式は 対象と 同時一体にしてはた
らくものと思われる。