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哲学いろいろ

叡智をめぐるモナドと物自体・・・

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1. ◆ (G.ライプニッツモナドジー) ~~~~~~~~~~~~

2. 私が表象と欲求を定義している(☆ 省略)ように すべてのモナド(☆ いま《叡智》とします)は必ずそれらをもっているはすです。

 


3. というのも 私が思うに 表象とは単純なもののなかの多の表現であり 欲求とは一つの表象から他の表象へ向かう傾向であるからです。

4. 〔・・・〕これら二つのものはすべての〔☆ 単純に一人ひとりの人間の〕モナドのなかにあります。

ライプニッツゾルゲ宛書簡 1714 in 『モナドジー』谷川多佳子 岡部英男 訳 2019 )
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5. そうしますと ライプニッツによれば 《叡智なる知性は 単純単一なるみづからをはたらかせて多様なるものを表出し表現するし 叡智なる意志は これらの表象のあいだを経巡ってうごく。と言う。

6. ところが スピノザは この叡智ないしモナドにすでに先立って むろんのこと 神をおく。また 叡智から概念認識や意志の発動という(言わば意識過程における連続体としてのような)つながりではなく すでに知性も意志も 神のおそらく直接の変様( affectus )であり様態( modus )であるに過ぎないと言う。

6-1. 神即自然( deus sive natura )というように 知性等の精神も――介在を入れないかのごとく―― 自然本性そのものであると。




7. ◆ (ライプニッツスピノザ批判) ~~~~~~~~~~~~~

8. スピノザ学説が打破されるのは まさしくこのモナドによってなのです。

9. というのも 諸々のモナドが存在するのと同じだけ多くの真の諸実体が いわばつねに存続する宇宙の生きた鏡が あるいは凝縮された諸々の宇宙が 存在するからです。(☆ モナドたちの連続・連関のような)。

10. それに対して スピノザによれば ただ一つの実体しか存在しません。(☆ つまり 神)。

11. 諸々のモナドが存在していないのであれば 彼(スピノザ)は正しいでしょう。その場合には 神以外のすべては推移的なものとなり 単なる偶有性や変様のなかに消え去ってしまうでしょう。

   ☆ 11-1.ライプニッツは 神なる実体のただの変様たる人間の
      知性や意志では 神への隷属のようで 困る・嫌だよと言う。

12. 諸事物のなかに モナドの現実存在のなかにあるような実体的基礎が存在しないことになってしまうからです。

ライプニッツ ibid. )
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13. ところで カントは 同じ叡智として《物自体》をかかげた。

13-1. しかも この物自体がすでに認識しえないとするからには その背後なる神は――否定も肯定もしないようなかたちで―― 切り捨てたようだ。

14.. しかも 《モナドの現実存在のなかにあるような実体的基礎》を 《アプリオリ=先験的に(経験に先立って)はたらく純粋直観》として打ち出した。

15. 分かりやすさを狙っての・叡智をめぐる図解:

神 ⇒ 自然;自然本性;精神なる様態(神に帰属する生活)
神 ――モナド――知性・意志(生活)
○・・物自体・・純粋直観(認識の形式:先験的)――現象たる物および生活



16. ▲ (I.カント:物自体) ~~~~~~~~~~~~~~~~

17. 経験と一切の現象との限界を越えることを我々に強いるところのものは 無条件者(絶対的なもの)である。

  ☆ 17-1. 神がそう要請していると カントが言う。

18. 理性は物自体を設定して強制的に しかもまったく当然のこととして 一切の条件付きのものに対して無条件者を要求し またこうして条件の系列の完結を要求するのである。

19. しかし我々が我々の経験的認識は物自体としての対象に従って規定せられるというふうに想定する限り 無条件者は矛盾なしにはまったく考えられ得ないのである。

  ☆ 19-1. ひとり満ち足りているものと うつろいゆかざるを
      得ないものとは 対応しがたい。

  19-2. ただし ここですでに《物自体》が出て来ている。
      けれども もし物自体が神の叡智であるならば 前項の矛盾
      は必ずしも 起きない。
      起きるというのなら おそらく物自体をここで出しているの
      は 論点先取のあやまちを侵しているように思われる。

20. これに反して 物(対象としての)が我々に与えられる前に 我々はかかる物を表象し またこの表象が物自体としての物に従うのではなくて 却って対象が現象として我々の表象の仕方に従うというように想定すればこの矛盾は解消する。

21. 従って無条件者なるものは 我々が知る(我々に与えられる)限りの物には見出されないが しかし我々の知識の限界外にある物すなわち物自体には見出されるに違いないというのなら 我々がこの試みの当初想定したことは 充分な根拠をもつわけである。

(カント:『純粋理性批判』第二版序文 1787 篠田英雄訳 1961 )
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22. 物自体は――わたしは――お化けであると思う。お化けが われわれの認識をみちびいていると言う。コメントを!

23. モナドも お化けのように感じますので 詳しい方 おしえてください。