caguirofie

哲学いろいろ

なんで《物自体》なんていうものを言いだしたのか?

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10739980.html

1.▲(コトバンク:物自体) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E8%87%AA%E4%B
[武村泰男]日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

2. 物自体(ものじたい)
thing in itself 英語
Ding an sich ドイツ語
chose en soi フランス語

3. カントの用語。カントによれば、われわれの周辺に広がる世界は、従来
思われてきたように物のあるがままに現れているものではなくて、感性の先天
的形式(空間・時間)を通して外から与えられた物が、悟性の先天的形式(範
疇)によって総合的に構成されたものである。

4. したがって、われわれのもっとも素朴な感覚与件でさえ、すでに空間・
時間という主観の形式を経由したものであるから、われわれは感覚を刺激する
外なるものをそのあるがままに認識することができない。

5. それをカントは物自体とよぶ。
6. のち『実践理性批判』においては、物自体の世界を自由の概念と結び付
けて、現象界に対して叡智界(えいちかい)と名づけた。

7. 物自体概念は、カント哲学の要石(かなめいし)であると同時に、批判が
集中した概念であり、その後のドイツ観念論の発展――フィヒテの自我概念に
始まる絶対者概念の成熟――はそのままこの概念に対する批判的発展であった
ともいえる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


8. 解説〔に依拠しその内容〕をめぐって問うといういささか邪道の質問で
すが 次のように問い求めます。


9. もし:
▲(3) ・・・世界は、従来思われてきたように物のあるがままに現れてい
るものではなくて
☆ という条件を前提するのなら すでにそこから帰結する内容は敷かれてい
るのではないか?


10. つまり 《物のあるがまま》〔の姿〕は:

(あ) 人間の能力では認識しがたい。または し得ない。――かまたは:

(い) 認識し得るのだが それは 部分的な内容とならざるを得ない。そし
て 認識そのこともあやまち得る。――さらにあるいは:

(う) 《物》は 《人間が認識しうる言わばその仮象》とそして《認識し得
ない本体》とに分かれる。

☆ といった可能性がすでに孕まれている。はずだ。

11. つまり 前項の(う)から 《物自体》を想定することがあり得たと
しても ただそれだけのことに過ぎない。のではないか?

12. つまり 物自体を想定しようがしまいが 《人間の認識能力には限界
がある》という命題を言ったまでである。と捉えなくてはならない。はずだ。


13. なんでこの物自体が《現象界に対する叡知界》のことに成るのか?

14. 叡知界たる物自体に就くならば 《実践理性》としての《自由意志》
が実現し得て ひとは自由であると成るといった議論に発展するのか?

15. 無茶である。それなら 形而上学的実体なる神を据えている議論と違
わないのではないか?

16. カントは阿呆ではないか?