caguirofie

哲学いろいろ

№1 

1. 半生の記を書くことになった。わが幼児のころを小説として書いたことがある。
ここから始めよう。

眼(ま)ドルマ
α


私が 二歳の時のことです。父は会社から帰ると 丹前に着替えて 火鉢に当たって夕刊を読んでおりました。当時は 戦争が終わってまだ間もない頃でしたが 寒さを凌ぐものといって穴蔵の炬燵に火鉢 そして寝床には湯たんぽとこれっきりありませんでした。父は寒暑に怯えることを甚く嫌っていましたので 矢倉炬燵に足を入れれば さらに少しでも暖をとれるのでしたが 居間に一枚座布団を敷いてその上にきちんと坐って新聞を読んでおりました。

私たちは 日本の寒い地方に住んでいた訳ではありませんが それでも 二月などには底冷えのするほどの猛烈な寒波の押し寄せる日々があるものです。私も 火鉢の横に坐って(勿論 幼児ですので 短い脚をぜんぶ投げ出すあの恰好ですが) 積み木の玩具やらで遊んでおりました。父は やはり寒いのか 新聞を両方の手で交互に持ち替えて 一方の手は 頻りに火鉢にかざしていました。父の手は 繊細な神経の持ち主に多い 非常に細いそれでしたが その細く長い手を煎餅(変な煎餅ですが)を焼くように くるくるくるくる翻していました。
父は 決して革命の人ではありませんでしたが いわゆる時事には人一倍興味を持っていました。夕刊と言わず 新聞雑誌の類は 初めから仕舞いまで 隅から隅まで目を通すのが常でした。朝刊は早朝に起きて読み終えるのです。かと言って 父はまだ三十代の初めであり 世の中の出来事をむしろ頭の中に追い掛け回すことを趣味とするほど老けているわけではありません。その額は 細い手と同じく 鋭敏さを表わすように広く 毛髪の生え際はずっと奥の方に遠のいていました。

私は くるくる廻る掌と 大きな新聞紙の上から覗く この広い額を時折り興味深く眺めていました。実際 積み木細工には飽き飽きしていたのです。実は 順列組み合わせの積み木の方法を もうすべて遊んでしまっていたものですから もっと他の物が欲しいと訴えたかったのでした。しかし 私は抑制というよりは 新しいことを取り入れることに対する消極性によって 成人するまではほとんど そのような欲求を親に対して訴えたことはありませんでした。いつも現状のままで もっと工夫はないか さらに別の方法はないかと まるで独房の囚人が なおかつ気晴らしを求めようとするかのように 飽きてはいたものの 何とはなしに 積み木をいじって時を過ごしていました。ですから 傍らの父の動作は 実は積み木よりもよく観察できたのです。

両面に大きく広げた新聞紙が パサッパサッと音を立てて二つに折りたたまれる時 まるで 紙面の向こうでその額が閃くように思われ そこに空飛ぶ円盤を見た気分になりました。でも私は そのことは 前に坐っている父には勿論 後になっても誰にも話したことはありません。

私は かといって その未確認飛行物体とやらにも また 積み木に混じっている・木で出来た玩具の兵隊さんにも 興味らしい興味は示しませんでした。先に積み木細工をいろんなやり方で遊んだことを述べましたが と言っても それは 興味やらと言うよりは 無為を凌ぐためと言った・至って消極的な動機からなのでした。(いや本当は 終戦直後には 幼児にとっても 無為のまま過ごす時間は 探そうにも探せないほど何かと忙しかったかも知れませんが。)

また勿論 私の玩具が 積み木しか無かったからということでもありません。私は むしろ 子供心にも 退屈さから 父のように新聞が読めたらいいなあと考えていました。その時は そんな風な夢を抱いたものでした。もっとも 新聞を読みたいといっても 実は 父のように時事に関心を抱くそれでは無論なく あの大きな新聞紙を両の手で一杯に拡げてみたかった ただそれだけのことなのですが。わたしにはまだその新聞とやらにどんないいことが書いてあるのかも分かりませんし やはり ただ退屈なだけでした。

いや 私はここで自分がまだ物心がつく前の時のことを述べているのですから そんな幼児に《退屈だ》などという言葉は全く場違いなもので おそらく それは 本能的な何かに倦む状態――そんな状態があるとしたら・・・しかし ただ 余りにも多忙な時でも人は ふと 真空の風に吹かれる経験を持つのも事実です――だったのでしょう。当然まだ 世の中は 混沌のままなんでしょうから。

・・・

L'ennui,

C'est un ennemi

Ou bien un ami? 

・・・

Ma-dormant

Ma-dormant

Dans τωι χαωι

・・・

β

やがて 母が台所から食事の用意が出来たことを告げます。冬の間は 湯冷めをするといけないので 風呂は 後回しです。ので 父は 帰宅すると 夕刊そして夕食の順でした。勿論 まだテレビなどはなかった時代のことです。

父は 夕食の報せに対して 《うぅー》とか《あぁー》とか返事(?)をするのですが 頻りに紙面とにらめっこをしています。正座した姿勢を保ちながら 掌だけはくるくる回しながら。母はすぐ 祖母にも夕食を勧めます。

まだ 触れませんでしたが この四畳半の居間には 父と私と 父の母つまり私の祖母の三人が 食事の支度の出来上がるのを待っておりました。祖母は もう老齢に達しており 家事はほとんど母一人に任されていました。今は 炬燵の傍らで雑巾を縫っております。ですが この祖母は寡黙な人で 傍にいても私は その存在がとらえようがないほどに感じていたのです。

私が成長してから分かったことは 祖母は華やかな若い時を送った後 老境に入ってから 言葉少なくなった女性ということでした。祖母については 後に再び触れるはずです。彼女は 母が食事に呼んでも 黙々としてその針を動かしています。母は再び どうぞと 丁寧に誘います。そして なおも繰り返します。一方 祖母は なのに 目を布から離しません。お地蔵さんのように口を開きません。

母は 今度は 再び父の方に向かって 味噌汁が冷めるから早くと 促します。父は 依然として動きません。

私は ここで 決して冷戦について語っているのではありません。二歳の幼児にも 毎日毎日 冷戦が続くなら分かります。私はここで 或る特別の日を選んで回想しているわけではありませんから。母は まだ二十代の人でしたし 一つの衝突をいつまでも長く根に持つ人ではありませんでした。父は 腹立たしいことがあれば きちんと口に出して指摘する人でした。父と母との間には 長期戦は全くありませんでした。それでは 父と祖母 あるいは祖母と母の間に? と言っても そうではありません。一つに 祖母の寡黙は 従順そのものだったからです。これが 我が家の日常茶飯なのでした。

父は一度 応答の合図――合図――をしたものですから 同じことを二度と言わなかったのです。それが常なのでした。傍らの私の目にも 母の気持ちも薄々察してはいるものの 記事の途中で止めるのを潔しとしないということが判りました。己れの親に皮肉を言うようですが 私は 後年 専念ということを学んだとしたなら それは 他でもない まさにこの時 その基礎が出来たと考えます。書斎で研究に余念のない学者のような父と 地震が起こっても微動だにしない祖母とが 言うまでもなく 私の師匠です。

母はなおも促します。毎度のこととわかっていても 祖母の手前もあって 用意が出来てから五分も十分も待つことなど考えられません。父は 夕刊を読んでいるだけなのですから。母は その語気に段々 怒りの色が見えて来ました。折角こころを込めて作った料理を 何の応答も無く拒まれ続けては 止むを得ません。

そこへ 《いま行く》と突然 父は一言言い放ったかと思うと 新聞を畳んで すっくと立ち上がります。その挙動の速いこと。《冬和はどうするんだ?》と母に向かって呼びかけました。冬和というのは 私のことです。

私は 正直に言って 空腹など忘れて 不動明王のような父や祖母に 興味と言っていいなら 興味を抱いており いつ動くのやらと頻りに見つめていたところでした。父が何の予告もなく ほんの一瞬の内に 気持ちを切りかえるさまに がっくりしてしまいました。私は そこに純粋さやら頑固やらを見たと思いました。

父が立って 食堂(と言っても 台所兼用ですが)へ向かうと 母が居間へやって来て 私の所へ来ました。と同時に 祖母も 針仕事を止めて いくらか笑みを含んだ顔で私の方を向いて言いました。

――冬ちゃん まんま!

申し訳程度に 祖母は顔の皺をさらに多くしました。彼女は何故か孫を扱うことは照れるのでした。母も 私を腕の中に抱き上げて 《さあ 冬ちゃん まんま食べようね》と言って 食堂へ連れて行ってくれました。そこで ふたりの女性は 言わばほっと一息つくわけでした。母は 苛立たしさが消えて 祖母は母の呼ぶ間 沈黙の上に沈黙を重ねる苦痛から解放されて。私には 空腹感が満ちて来ました。

・・・

je mange

il mange

nous mangeons

vous mangez

・・・

γ

・・・

夜更けの駅には駅長が

綺麗な砂利を敷き詰めた

プラットホームに只独り

ランプを持って立ってゐた

・・・

(中也)

私の家は駅の近くにありました。汽車も電車も通ります。電車のガタンゴトンも 駅ですから 発車する汽車のシュッシュッポッポも聞こえます。今日は寒いので カタンコトン シッシホッホと聞こえて来ました。

あの大きな機関車が冷気を突いて始動しているさまが浮かんで来て 食卓の三人の大人たちを余所に 私は密かに楽しんでいました。幼児が 言葉による表現力に欠けているからと言って その想像力にも乏しいと言うのは間違いです。私の脳裡には あの黒いでかい物体が明確に想い描かれていたのですから

――あっ 雪だ!

食堂の窓の外を眺めて 私は 思わず脳裡でこう叫びました。白い粉粒が幾つとなく落ちる様子に それでも 何か感じたのでしょう 私はその時 《あわあわ》とか言っていたに違いありません。隣の母は 《あ ほんと 雪やわ ねぇ――っ》と言って 私の方を見ましたから。そこでは

――寒いはずだね。

と反応がある所ですが ただ もう一組の母子は それほど酔狂でも多言でもありません。二人とも 窓の外を眺めて 心の中で私たちに応答をしたのでしょう それから再びご飯を食べ始めました。

機関車は 雪の中を走ります。大きな車輪が 軸棒で繋がって 力強く回転します。やがて 辺り一面真っ白になってきます。その中を黒い竜が走ります。駅を出ると 間もなく鉄橋に差し掛かります。大きな川が三つ並んで続くのです。長い鉄橋が二つ続きます。雪が降り積み 竜は流れて行きます。

暗い川に降り積みます。大きく広い川面一面に白い雪が吸い込まれて行きます。暗い水面はあたかも地球の口のように 雪を飲みます。いつまでも飲み続けます。ポーッという汽笛を発して 竜は鉄橋を渡ります。

外は しんしんと雪が降っています。私は 夕食が終わると やがて就寝です。眠くもないのですが 母はさっさと 私を寝床に運び 暖かな蒲団を掛け お休みを告げます。母はしばらく 横になって 私の傍で見守っています。私はまだ御伽噺には早すぎます。母は決して音痴ではなかったのですが 子守唄の記憶は私にはありません。いつも私が 床に入ると すぐおとなしく目を閉じて 睡眠態勢になったからでしょうか。

父は 夕刊の続きです。祖母は 煙管を吹かします。我が家にはラヂオが一台 相当旧い物があったのですが 音声も悪くたまにしか聞きません。

私が小学生の頃 一時 夕食後の我が家が急に賑やかになったことがあります。私の後に妹が二人生まれていたこともありますが 父の勤める会社が倒産してしまって 父が失業した時のことでした。その時 父は書斎に近所の学生数人を呼んで塾を開いたからです。

一遍に何人も私に兄が出来たのですから。この時にはもう言葉を交えることが出来たのですから。

私が大きくなっていく頃のことは また話が別のようです。父も その後 明るい人柄のように感じられる変化もありました。いまは 私の幼児の記憶に限ります。

母は やがて眠りに陥る私の枕元から離れて 居間の二人に合流します。祖母はおいしそうに 煙草を吸っています。父は吸いません。母も。母は 夕刊を広げている父に その日の出来事の中から何やかやと話しかけます。父は 依然として動きません。でも父は聞いています。母が ちょっとお 聞いてるのお?と訊くと 例の《うぅー》で応えますから。祖母は 火鉢に煙管の残り滓を落として もう一服きざみを詰めます。針仕事の眼鏡を外して寛ぐこの時の祖母は それは若い時のあでやかさをどことなくまだ残しているかのように見えました。

それから保険の外交員の人が来て・・・と母が話しかけると 保険なんか入らんと 父は一言のもとに断わります。紙面から目を離さずに。一瞬おいて なんで?と母が訊くと 保険は嫌いと 父は応えました。これでこの件は終わりです。母は こんなあっけらかんとした対話に飽きれたり怒ってみたり まだ他の話したい事柄もたくさんあったのですが 今度は 向きを変えて 祖母を相手に世間話でもと始めました。父は夕刊を読み終えると 書斎に閉じこもります。

外でしんしんと音もなく降る雪の様子が そのまま 家の中へ積もろうとしておりました。私は もう一度 あの黒い竜の夢を見ながら 眠りに陥りました。

δ

・・・

Ma-dormant

Ma-dormant

Dans τωι χαωι

・・・

テレビもない当時 夜は長い夜でした。

夜は しいんと静まり返った不気味なほどの夜でした。犬の遠吠えっきり聞こえません。私の家は 表通りからやや奥まった所にあり その当時はまだあった 《火の用心! カチカチ》という見張り番の声と拍子木の音も か遠くにしか聞こえません。今夜は 絶え間なく降り積む雪の音に消されて 特にか細く伝わって来ました。

今夜は 体の調子がいいのか 食事の後片付けを 祖母も手伝っていましたが それも終えてしまうと 母も祖母も就寝の用意に入ります。盗られる物とてなかったわけですが その頃は特に戸締りは厳重にする必要がありました。夜中に裏の垣根の辺りでゴソゴソという物音が聞こえたということを 明くる朝になってよく聞いたものでした。ガタガタという・夜の静寂の中で際立つ音を立てて 雨戸を閉め 当時は突っ支い棒を使っていたのですが それを力一杯込めて 一日が終わりに近づきます。

母は 熱いお茶を一杯 書斎の父の所へ運び 就寝を告げます。母は 私の寝ている部屋にやって来て 祖母は唐紙を隔てた隣の部屋に 身を横たえます。父の部屋を残して灯りがすべて消され いよいよ冬の闇夜に入っていきます。

闇夜の中にぽつんと灯った父の机の上に置かれる本は 大きく分けて二種類ありました。新聞・雑誌のたぐいの・つまり言わばリーダーズ・ダイジェストふうの一般教養ものと もう一つは 仕事じょうの経理関係の専門書とでした。年が経つにつれて減っていきましたが その他に 谷崎潤一郎があれば 川端康成も見られました。さらにもう一つ付け加えるとすれば 《ロンドンの憂鬱》《第xxフランス通信》《在欧通信》などといった類のものも 父の好みでした。彼は経済を専攻した者でしたが 外国語に通じることが楽しかったらしく 外国への遊学を夢見たことがあったのでしょう。私にはまだそんな遠い国のことは 毛ほども分からなかったのでした。私は 夢の中で あの竜の背に乗って 少なくともこの小さな田舎町を飛び出そうとしたことがありました。・・・

Dans le silence immense

Et dans τωι χαωι

Ma-dormant

Ma-dormant

・・・

あの黒い竜は いつの間にか 長い鬚を生やした 鋭く光る丸い大きな目を持った 長い怪物となって 私を乗せて いつしか 暗い空へ向かって 翔け昇っていました。グワオーッと唸ったかと思うと 私を乗せた竜神はいつしか雪格子の降る世界を抜け出て 或る静かな国にやって来ました。

そこは 石段の上の竜神の座と覚しき坐処がある限りで 辺りは 明とも暗ともつかぬ黄昏に鈍く輝き 四方は 霞が掛かって遠くは見えませんでした。竜神は 私を脇において坐処に就くと その長い鬚を一閃して見せました。

きらっと光ったかと思うと 一対の牛が現われて 去って行きましたが さらに奥に もう一頭牛が 鎖に繋がれて下を向いているのが見えました。この牛は 時折りこちらを見ますが 足枷がきついのか じっと痛さをこらえているようでした。皺の寄った顔をやや顰めながらも 老境を静かに見つめているようで 威厳が感じられるようにも思われました。静かな眼差しで 今度は 私の方を向いて 何やらつぶやきました。さらにもう一度つぶやくと そこを吹き抜けた風に乗ったのか その啼き声は 《冬ちゃん》と私を呼んでいました。私は思わずどきりとして 傍らの竜神を見上げました。この巨神は私を見据えて こう唸りました。

――冬和 おまえには二つの道がある。おまえはそのどちらを選ぶか。静かな醒めた老牛か それとも若く優しい牡牛か。

竜神の唸りはそう言っていました。私は答えようとしていると ふと目が覚めました。なぜだか その問いの中味がわかったような気がしていたのですが 答えようにも どうにもなりませんでした。私は 暗い寝床のある部屋に独りいるのに気づいたように思いました。