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哲学いろいろ

#9

もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223

Aurélius Augustin est né à Thagaste (Souk Ahras) le 13 novembre 354. Sa mère Monique est chrétienne tandis que son père Patricius est resté fidèle aux croyances de ses ancêtres.

第一部 インタスサノヲイスム(連帯)

第六章 しかしそれは 絶対的に関係しあっている

――アウグスティヌス 母モニカと共同主観する――

アウレリウス・アウグスティヌス Aurelius Augustinus は 三五四年 北アフリカ ヌミディアの小都市タガステに 中産地主の長男として生まれた。父パトリキウスは 死ぬ少し前にカトリックに改宗した。母モニカは熱心なカトリック信者であった。
山田晶

われわれは前章で  《わたしたちは弱いが あなたたちは強い》といったパウロの言葉を引いた。これは ヤシロ関係(愛・資本)の中での 互いの側の交換のことを――しかも ものではなく 愛のちからの交換のことを――ものがたっていると思われる。交流といった言葉を使ったほうがよいかも知れない。
スサノヲやオホクニヌシは タカマノハラ・アマテラスに譲歩したのであるが パウロの場合 S圏のA圏への譲歩〔だけ〕ではなく 神の国の《必然の王国と自由の王国との混在 すなわち地上の国》への譲歩を意味表示している。と思われる。そうして まず アウグスティヌスの父パトリキウスは その妻モニカに対して その愛の関係において(つまり男の女に対するこの関係が もっともスサノヲ語的=わたくし的なのであるが) その愛の力(また 人格)の交換・譲歩を引き受けたのである。弱い者の立ち場または 端的に 死を 交換してのように 引き受けたとここでわたしは考えてみた。この譲歩が 一つの愛のかたちなのであると。
パトリキウスとモニカとの夫婦の関係は 同じく男と女との関係としては 子アウグスティヌスと母モニカとの資本形成の過程に移った。(ここに 近親相姦〔は むろんないが そ〕の類型的な愛のかたちを あるいは いわゆるオイディプス・コンプレックスを 見ようと思う人は みればよい。しかし これら心理学という学問は 地上の出来事であり 関係の絶対性の問題に 方法として 突き当たることは出来ない。それは あいつは男だから男である かのじょは女であるから女だと言うようなものである。)

それから(つまり 完全な回心のあと また アリピウスとの共同主観形成のあと) 私たちは母(モニカ)のところに行き うちあけました。母はよろこびました。このことがどのようにして起こったかを話すと 母は躍りあがって 凱歌をあげ 私たちが乞いもとめたり理解する以上のことをなしうるあなたを讃えました。じっさい 母は 涙にあふれたかなしいためいきをつきながらたえず乞いもとめてきたものが それ以上に そんなに豊かに あなたからかのじょに 私について与えられたのを見たのです。
あなたは私を ご自分のほうにむけてくださった。そこで私はもう 妻をもとめず この世のいかなるのぞみをももとめずに 信仰のあの定規の上に立つことになりました。その定規の上に立つ私を あなたはもう何年も前に 母に啓示されたのです。またあなたは 母の悲嘆をよろこびに変えてくださいましたが それは 母がのぞんでいた以上にみのり豊かで 私の生むべき肉の子どもたちに期待していたよろこびよりも はるかに尊い きよらかなよろこびでありました。
(告白 8・12・30)  


じつは 母はこういう夢を見たのです。かのじょがある木製の定規の上に立っていると 輝くばかりのはれやかな一人の若者がやってきて うれいにとざされ暗く沈みこんていた(アウグスティヌスマニ教にのめりこんでいたから)母にほほえみかけました。そして なぜかなしんでいるのか なぜ毎日なみだを流しているのかとたずねました。それは こういう場合よくあるように わけを知るのが目的ではなくて じつは教えるためでした。母が 私の滅びを嘆いているのだと答えると 若者は安心するようにと命じ よく注意してみるように 母のいるところに私もいるではないか と忠告しました。そういわれて注意してみると 私はかのじょのそばに 同じ定規の上に立っていました。
どうしてこういうことが起こったのでしょうか。それは 母の心に あなたが耳をつけて聞いておられたからです。おお・・・
(告白3・11・19)

長い引用で このようなわたしの文章の運びは褒めたことではないのですが わたしたちは 誕生・少年時代・青年時代・・・というふうに 年代順にいわゆる小説の作法を用いてみてゆくよりも このようなテーマごとの・簡潔な問題点の把握のほうが 単純におもしろかろうと思いました。
ともかく このようにして 愛の関係における関与不可能性・A者予備軍性が 解消されました。この点は 絶対的に 信じなければならないことのようです。アウグスティヌスの あるいは このわたしの物語や議論を疑っても この愛の共同主観については――人間が 時間的存在であるからには 動態的・過程的であるゆえ―― 絶対に疑ってはわたしたちはならないのです。しかも 有限な存在である人間は 自由にその絶対性を破り得るわけです。けれども このことが しんきろう信実を信じることであったり また S者真実であろうと無理に信じることであるなら キリスト・イエスは 大嘘つきであるということになる。オイディプス・コンプレックスであろうと いわゆる社会的な弱者のためいきであろうと そういった経験的・感覚的なことがら(S者性)の中に あの関係する相互の立ち場の交換・譲歩をとおして つまりそのように捉えられたものをとおして 《われわれの存在たる本質》の本質が 関与していることを見ないというのであるならば キリスト史観もマルクスもむなしいということです。
しかし このことが信実であることは ほかならぬA者予備軍じしんが 明らかにしていたことではなかったか。《マルクスウェーバー》問題というように ただ A語の蔽いをかけていただけではなかっただろうか。なぜなら かれら偽りのアマアガリをみづからの力によって敢行する人びとも(つまり《熱心なカトリックつまり 普遍概念の信徒》も) アマアガリというのであれば 回心を見ている。つまり たとい小部分であっても 神の言葉あるいはいまは あの《定規》に 触れ得た(三位一体論4・15)からでないなら 神は人を 《アマテラス族とスサノヲ者》というはっきりと区別される二つの人種に分かれるようになる形で創造しなかったであろう。経験的に言って A者予備軍も アマクダリすることもある。かれらもアマクダリしうべきスサノヲ者でなかったなら 支配欲によってするA‐S連関体制方式なる罪の共同自治をその知恵によって編み出すこともなかったろうし その子孫を作ることも なかったであろう。
実際に言って

惑わされて誤ちを犯した女は子を生むことによってすくわれることを 〔パウロは〕指示している(テモテ書2:14−15)。そして

真面目に信仰と愛と清さを持ちつづけるなら

と付加している。
(三位一体論 12:7・11)

とも言う。これからの類推で それでは 異教になじんだ父パトリキウスが 過ちの張本人であったかというと そうではなかろう。父パトリキウスは むしろ母モニカのA者予備軍性をその身に引き受けた。異教徒で共同主観形成が十分でなかった分だけ 成就しなかった。わたしは ここでは 日本人にあっては むしろ男が この母モニカのように女としてのように マニ教徒のごとくなると言っている。むろん 夫婦としては一体である。けれども あのアマテラスオホミカミが 《天の岩屋戸》にその身を隠してしまったとき――なぜなら スサノヲと ウケイの勝負をして負けてしまい 顔を赤らめなければならなかったからだが―― このアマテラスを何とかして引き出そうと画策したのは むしろ男たちである。女であるアメノウズメが そこで踊りの一計を案じたのは このA者予備軍である男たちの画策に乗じたに過ぎない。
これらヤホヨロヅのカミガミは タカマノハラA圏とアシハラS圏 昼と夜との《二つの意志》がみとめられることを理由にして 前者の優位を 《熱心に》確信して疑わなかった。スサノヲの《定規》の上にいるべきは かれらA者予備軍たちだった。もしくは この《定規》を 上の二元論において考察し 観念信実的に自分たちはその上に存在していると信じ込んだのである。
スサノヲは このタカマノハラ軍に 譲歩しなければならなかった。賢い大人たちに どうしても愚か者でいざるを得なかった。(実際かれは ヤホヨロヅのカミガミから このタカマノハラを追放された。つまり同じことで言いかえると 関与不可能性を タカマノハラビトみづからが 認めた。)
そこで 上に引用した二つの節のあいだには(つまり 《定規の夢》とその後のそれの実現とのあいだには) その共同主観形成の過程として 次のような葛藤が見出されなければならない。それは この母が《定規》の夢を見たあと かのじょとアウグスティヌスとの間には 次のようなやり取りがあった。

さらにまた こういうこともどこから起こったのでしょうか。母がこの夢を見たと話したとき 私はその意味をねじまげて――とアウグスティヌスは報告するのであるが―― それはむしろ母のほうが 私のいるところに来るようになる希望をすてないようにということだと解釈しようとすると 母はそくざに 何の躊躇もなく 

いえ ちがいます。若者は私に向かって 《息子のいるところに あなたもいるようになる》とは言わなかった。

あなたのいるところに 息子もいるようになる

といったのです。

と答えました。
(告白3・11・19)

ここで 《交換》が起こっていると見た。《おまえ》が《わたし》で 《わたし》というのが《おまえ》とよばれる相手であるというきわめて日本人的な愛(資本)の関係の 倒錯ないし交換を見なければならない。これは 基本的には すでに触れたように 男と女との対の関係には ごく日常的にありうることである。ただ ともに定規の上にいる共同主観としての資本形成へとみちびかれるか それとも あくまでこの自然本性から起こる二元論に立って その交換関係こそが現実だと措定してしまうかが 問題である。
だから アマテラス圏じたいの中でも そのA圏統治を保守するためには このS圏の自然本性的な交換関係を 直接に政権担当するアマテラス者とそして広くこれを取り囲むアマテラス予備軍との間に 仮象的に反映させて(先取りして)観念抽象的に 演じてみせる。(政府与党と野党とのそのような連関方式をも思い浮かばさせる。あるいは これらアマテラス当事者と そして学者・評論家等との連関を。A者当事者を批判する学者ほど 問題であることが多い。)
母のいるところに息子もいるようになるか 息子のいるところに母もいるようになるか。あの関与不可能性も このようなかたちで 絶対的に 関係しあっている。そうして スサノヲのミコトの場合 アマテラスオホミカミとの間では 後者が前者のいるところにいるようになることが アマテラスには――かのじょ自身 あの天の岩屋戸に隠れるというまでになって ともあれ―― わかったのである。かれら両者のあいだでは 関与不可能性が そのように――ウケイという勝負のあと――解消された。かに見える。
共同主観 資本 愛が 形成されようとした。けれども ヤホヨロヅのA者予備軍が だまっていなかった。われわれは かれらのヤシロにおける解放に立ち向かっている。
(つづく→2007-01-02 - caguirofie070102)