caguirofie

哲学いろいろ

#28

もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223

Вход Господень в Иерусалим
Автор: Мещерова Алла, ikon-master@yandex.ru

第一部 インタスサノヲイスム(連帯)

第十六章 後ろ向きに進むヤシロロジとしての共同主観

――《前史》たる少年時代の回想 つづき――



われわれは ここで《告白》第一巻第十一章の残された文章をすべて一挙にまず掲げようと思う。註解を付しつつ。

主よ あなたはごらんになりました。まだ子どものころ ある日突然の胃痛で熱を発し あやうく死にかけたことがあります。そのとき 神よ ごらんになりました――すでにそのころ あなたは私の保護者にてましましたから――。私は何という熱心と信仰とをもって 主であり神であるあなたのキリストの洗礼を受けることを 信心深い私の母 また私たちすべての母であるあなたの教会(ここでは 制度としての教会)に 熱望したことでしょう。
気も転倒した肉身の母は 私の永遠の救いを あなたへの信仰のなかで きよい心のうちに何よりたいせつに常日ごろはぐくんでいましたから 主イエスよ 罪の許しのために告白し 救霊の秘蹟を受け 洗いきよめられるようにあわてて配慮しましたが そのとき突然回復してしまったのです。

われわれ(引用者)は この回復を 神のせいにするであるとか また母モニカの信仰の篤きに帰するだとかの観念論は 採りません。

そこで 私のきよめの礼は延期されたのですが

むしろこのことを 神のしわざ すなわち共同主観形成の仲介者なる愛のはたらきと見る。とくに原因などはわからないと表現することと同じ意味である。

それは 生きる以上これから汚れるのは必然であるかのように思われたからです。

この必然の王国の法則をもむしろ神は用いたまうのだと。つまり 愛は――《神は愛なり》(ヨハネ第一書4:16)―― 観念論的に または 自由の王国などの理論的に・つまりその意味での科学的にのみ はたらくのではなく 信仰(共同主観)が 科学という手段によって 共同観念の必然を用いるかたちで そこに はたらきたまう。だから 科学を超えたものがあるなどというのではなく 科学の用い方に 動態的な共同主観か 共同観念の停滞的かの違いが生じる。この差は 愛 つまり人間的な論法で言うなら 人間の 前史としての愛か 後史としての愛かによって 生じると思われる。
言いかえると むろん われわれの意志――意志が人間的な愛である――が 捨てられているわけではない。
たしかに 洗礼(制度としての教会における。つまりこの当時はそうであった)後においては罪に汚れた場合 責任はそれ以前よりも重大で いっそう危険なものになったことでしょうから。

そのように私はすでに信じていましたし 母も また父を除く家中の者も信じていました。

この信心は 現代では 幻想もしくは やしろにおける一制度となった。

父とても母の信仰の権利をふみにじり 自分はまだ信じていなかったからとて 私のキリストへの信仰をじゃまするようなことはありませんでした。
母は 神よ かれよりむしろあなたが私の父となりたまうことを切望していたのです。この点においてあなたは母を助け 夫に勝たしめたまうた。しかもかのじょは夫にまさっていたにもかかわらず 夫に従っていました。まことに 夫に従うというこの一事においてすらも かのじょはそれを命ぜられたあなたに従っていたのです。
わが神よ もしよみしたまうならば お願いです。私は知りたい。そのとき洗礼が延期されたのは いかなる思し召しによることだったのか。いわば罪の手綱がゆるめられたということは 私にとって善かったのか それとも ゆるめられないほうが善かったのか。

この問題が わたしたちは アウグスティヌスと母モニカとの関係つまり その主観の共同化の過程であると見ます。すなわち 父パトリキウスとその妻モニカとの関係が 子アウグスティヌスと母モニカとの関係に移行しうると見るかたちで。言いかえると むろん このとき 母モニカの人格を傷つけようとしてそう語るのではなく――また すでにかのじょとの共同主観形成は後に 成就したことをわたしたちは見ています(§6)―― 女のあるいは男の 人間としてのアマアガリを 過程的に見ようとしている その動態においてのことだとしなければならぬ。

いまでもだれそれについて 《まだ洗礼前だから したいようにさせておけ》という声を いたるところで耳にするのは そのためです。けれども私たちは身体の健康については 《まだ治療前だから 傷つけられるだけ傷をうけておけ》などとは言いません。ですから私にとっては 一日も早くいやされたほうがどんなによかったことでしょう。それゆえ身内の者も 私自身も もっと熱心に 魂が救いをうけて それをくださったあなたの庇護のもとで 安全に育つように努力すべきでした。
たしかにそのほうがよかった。けれども子どもの時代が過ぎ去ると 何というたくさんの 何という大きな誘惑の波がおしよせてこようとしているか 母はもうよく知っていました。そこで すでに神の似像(にすがた)になったものを世の荒波の前にさらけだすよりは まず素材としての土(肉身)をさしだし その後おもむろに形づくっていただくほうがよいと 母は考えたのでした。
(告白1・11・17−18)

以上です。
わたしは 母モニカのこの考えを――アウグスティヌスと同じく―― 否定するつもりはありません。叡智的なものは 女性的なものであり この叡智が 神の知恵(つまりキリストですが)あるいは同じことで愛(殊に ペルソナとしては聖霊)と 同じ力でないとは 言い得ない。と思います。少なくとも そのように語ることを恥じてはならない(三位一体論12・5・5)。
この前提で なおかつわれわれは 考察をつづけたいと思う。それは アウグスティヌスの前史の 本史の発見(受け取り)による 後史としての復活にかんすることであるから。それをここでは 神との関係(本史)においてではなく(これは 前章で わたしの解釈を示しました) 人間の歴史(前史と後史)において――と言っても この後者の視点の中に 前者=本史の視点が とうぜんのごとく含まれている つまり この含まれていることじたいが 前者の視点によって 現実とされる―― すなわち 母モニカと子アウグスティヌスの共同主観形成過程として捉えられる限りで捉えておきたいと思う。
この共同主観の仲介者たる〔隠れた〕推進力において この両者の関係過程は むろんヤシロの資本形成とみっせつに関連していると言わなければならないから。《私はまったく気のむくままに 朝には狩りをし 午後には魚をとり 夕には家畜を飼い 食後には批判をすることができる》(ドイツ・イデオロギ)そのこと自体 または これを可能にする経済生活上の力と関係 これらは われわれの目的ではなく そのための手段である。問題は そのような資本形成への推進力 もしくは 形成の主体 もっと言うなら 主観 これらにあるとこそ言わなければならないから。
そのような主観の交わりが存在する家 都市 また 世界について考え得るのであるから その考え得る主体について 方法していなければならない。また この方法は この推進力なる愛についての客観概念共同〔つまりそれを目指す理論(ウェーバー)〕にあるのではない であった。
しかしながら 問題は それに対して 何か一つの正解を求めることにも ないであろう。正解を得ることが実現したのを すでにわたしたちは アウグスティヌスの告白過程に見たのであるが しかしこの正解そのものを われわれは 詮議しようとは思わないし――ウェーバーは 逆に言うと これを努めて行なおうとした―― また それは 不可能である。《賢い人》も 部分的にしか観ていないし 《顔と顔を合わせて観る》(コリント前書13:12)ことは この世のわたしたちに保留されたと考えられた。
それでは なおこの少年時代の回想に差し挟んだ一つのエピソードについて 何を考察しておくべきか。それは われわれが 上の引用文の中に註解しようとしたことがら これではないだろうか。本史と 前史および後史との関係・その位置づけだと言ってもよい。(なお 上のように断定するウェーバー批判については 第二部に見ることになる。)
上にも記したように具体的な両主体の共同主観形成の過程が その推進力において ヤシロの資本形成と密接につながっているのなら アマアガリする自由人の連合は ――むろん初めには一個の独立主観において生起し展開されるのであるが――逆に今度は 一般に男の女にたいする対(つい)の関係に 還元されてはならないということ いや それは たしかに観想において 観想する意志によって 還元されて思惟し得ることでもあるが 行為が そこに限定されるものであるとは とうてい思えないということ。
《すでに神の似像になったもの(――アマアガリの約束を自覚して受け取ったもの――)を世の荒波の前にさらけだすよりは まず素材としての土をさしだし その後おもむろに形づくっていただく(共同主観形成する)ほうがよいと 母モニカは考えた――それはここでは 少年という前提に立っているのだが――》ことは 当然のように 一個の家の問題であるだけではなく 他の家すなわち ヤシロの問題として それがもう一つの前提となって つまり今では 同時なる前提となって 考えられていなければならない。しかし 一方で この視点は たしかに社会科学の問題として 現代人であるわれわれにとっては すでに なじみの深いことがらである。われわれは これを ヤシロロジ( Yasirologie )として考えたいと思うが アウグスティヌスがまだ これを論議していなかったとするならば 同じ系譜に立ってたとえばマルクスが これを打ち建てようとしたと考えなければならないとき しかも このヤシロロジの視点は アウグスティヌスがこのように披瀝する共同主観(インタスサノヲイスムまたは社会思想)をこそ むしろ 顕揚し その肉としていなければならないということが 第一の問題であるとわたしたちは考える。
けれども この共同主観形成の過程が たしかにヤシロの資本形成の問題であり かつこの共同主観者が 本史または後史としての《資本(愛)家》であると言っていなければならないのではあるまいか。
これが 歴史の推進力(それを あたかも 担う主体)であるとしたならば 歴史の形成は つまりヤシロの形成は たとえば近代市民のキャピタリスムのあとに ソシアリスムあるいはその概念でのコミュニスムの時代がつづくであろうといった形態的な段階推移の展望には 終わることはない。いや 展望はむしろ必要でないばかりか いまの必然の王国の病いと 別種のだが同じ類型の誤謬を生み出す起動力となるにちがいない。
〔形態的なヤシロ関係の 段階的な移行の展望が 理論的に第一次のものとして 表明されることがありうる。ただ それが まちがっていないかどうかを別として これも あの《接触は認識の目標をつくる》という原則に抵触してのように したがって少なくとも自己ひとりの腹の中におさめ 絶えず吟味して進むべきである。しかしながら つまりだから 実際には このような段階展望は 現在の理論と政策にとってほんとうには それの軌道を正しく導いたり そうして修正のための基準とされたりするということは ないのである。言いかえると この段階展望の理論でさえ いま現在の・そしてその都度の自己つまり《わたし》によって そのように吟味されてゆくというのが 実際であるから。〕
〔もっと言うならば すでに指摘したように 《コミュニスム》は ここで言うヤシロロジ理論なのではなく インタスサノヲイスムの生きた動態そのものであるから。このように言い切ってよいと思われる。生きた動態が 理論を形成してゆくのであり――そのとき或る種の段階展望を持つことはありうる それにもかかわらず―― はじめに段階展望に立つ理論は 実践でないばかりか ほんとうには理論でもなんでもない。〕
《わたしはまったく気のむくままに 今日はこれをし 明日はあれをし・・・》という理論による形態像が ヤシロロジ視点なのではなく むしろ誤謬を恐れずに言えば 《明日のことまで思い悩む必要はない。明日のことは明日 悩めばよいのだ》(マタイ6:34)という推進力に立つ方法の問題が 理論と別個にではなく その中に したがって日常生活の中に 実現することを 生きていなくてはなるまい。これは 前史としても確かにわたしたちはそう生きていることを 人びとは証しするであろう 証しするであろうが この前史から本史または後史へではなく 本史から後史としてこの前史に臨むというその中に 向きを変えられ 証ししていることでなければならない。このとき 未来への展望は 必要でないとも言えるし また逆に ともあれ一度 表明された理論的な展望が生かされるとも考えなければならないから。この一点に結集することは 可能であり また 必要であることを 告白後のアウグスティヌスあるいは政治経済学批判後(あるいはそれ以前で回心後)のマルクスは われわれがかれらを この共同主観の歴史的な系譜において受け取るなら 語ることになるのではないか。
このことは すでに密教的に語られているのだと思うが 密教的にであるというほどに まだ蔽いがかけられている この蔽いは しかし 神の手によるそれではなく〔それでは なくなってのように〕 人間の手によるしんきろうの蔽いであると考えなければならないのではないだろうか。ここに ヤシロロジ(社会科学)を伴なった共同主観(社会思想)の歴史的な視点が 現代にとってのそれが 存在し生きると思われたゆえ。そうでなければ わたしたちは 《インタスサノヲイストたちの交わりの存在する家 都市また世界について 考え得る》とは 言い得ないと思う。逆にそうであるから 言いうるのであり そのとき――そのときはじめて―― 或る種の仕方では 段階展望を理論的に持ちうるようになる。
また この主観(あくまで 主観とそれをめぐるいわばもろもろの手続き)を経ない場合は すでに密教的に語られているそれらの思想も ついに幻想に終わるものになってしまうと思う。幻想がすべてを動かしていることになると思う。
したがって 次のように言うことは可能である。

いったい いつまで 《前史から本史へ》ばかりなのでしょう。
どうして いま でないのでしょう。
どうしてこの今 《前史》が終わらないのでしょう。

この第十六章は インタスサノヲイスム(社会思想)のヤシロロジ(社会科学)への拡大という点について考えたが 第一部の全般としては すでにヤシロロジの観点からも考察していたと思う。つぎの第二部以降で さらにこの ヤシロを全体として〔も〕捉える際の方法について論議をすすめて生きたいと考える。
(第一部 おわり。第二部へつづく→2007-01-21 - caguirofie070121)