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哲学いろいろ

Fr. DOLTO

武内健児:ドルトの精神分析入門 2004誠信書房

(pp.62−65)

ドルトの言う主体は 意識的に判断したり行動したりする際の主体ではありません。私のなかにあって 私の欲望を引き受け つかさどっている無意識の主体です。その意味で この主体は《欲望の主体》( sujet de désir )とも呼ばれています。

いま 主体は私のなかにあると言いましたが この主体に実体があるわけではありません。無意識のなかにあるといっても 物質として空間のどこかに位置づけられるということではないのです。また 時間を超えたものだともドルトは言います。

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実体をもたない主体がその欲望を実現するためには 器が必要です。細胞が記憶しているなすべきことを実行するためには《人間の形》をする必要があるわけです。それが身体 肉体です。主体は空間のなかで肉体という器を手に入れ それを媒介とすることで欲望を実行に移します。

ということは 時間の観点から見れば 主体は受肉以前 すなわち個人の受胎以前から存在していることになります。

「主体は 胎児を構成することになる最初の細胞のなかに肉化され 身体の破壊によって解放されます。」

つまり 主体は受胎以前から存在するだけでなく 個体が死を迎えた後も存続するということです。主体は死なないのです。

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こうして 主体が一人の子どものなかに宿り 子どもが生まれてきます。その誕生をもたらすのは 子どもの内部にある主体です。ですから 子どもの誕生は両親が望んで生んだというだけでなく 子ども自身も生まれることを望んだということになります。これはドルトの基本的な主張の一つです。一人の子どもが誕生するには両親と子ども本人の三者の欲望(=願望)が必要だと考えるのです。

「子どもの受胎のためには三者がいなければならない。父と 母と 二つの細胞の結合によってできた最初の細胞のなかに肉化される主体の三者である。」