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哲学いろいろ

§ 2 《意識》には 思考についての・ないしわれなる存在をめぐる意識と 

われについても思考も何らかのかたちでその感覚にとどまる意識とがある。


15. 《感覚にとどまる》意識は むしろ《情感》である。日本人の社会
に――ひょっとして失われつつあるのだろうか―― 特徴的なナラハシであ
る。


16. 《われ》の意識が 他のわれとのカカハリにおいて特には どうい
う見解の相違があるかを見究めようとして あれこれ詮索をもしたりすると
きの・煮詰めたかたちでは 思考の問題に収れんする場合――これは 西欧
型だと見られる。

17. 特に文学作品で 《意識の流れ》が構成要素のひとつとして捉えら
れているのは この《われなる意識どうしの対立と共存》を細やかに描こう
とするいとなみを表わしている。

18. 一般の社会においても 西欧人は 互いにわれとわれとを突き合わ
せてそこから――対立をしっかりと捉えた上で―― 共生を図る。

19. 《個々の意識のほぼ独立――その対立と統合――》のようなかたち
で 社会が成り立っているのではないか。




20. 日本社会では 意識の対立を好まないし その意識は必ずしも わ
れどうしの分立から出発するわけでなく そこここにわれと同じようなひと
たちがいるといったような素朴な感覚とその確認としての意識が 土台であ
ると思われる。

21. 互いにみんながいてわれがいるといったあいまいなわれ意識だと見
られる。しかも われらは このわれらを取り囲む大自然の中にいるといっ
た感覚をも ふつうに養って来ているようだ。

22. われわれは 《情感の共同性》の中にある。われ意識もその中にお
さまる。

23. ただし むろん 情感の共同性が互いに破綻する場合も いくらも
ある。

24. 社会は 《情感の共同性――その破綻と総合――》といった見えざ
る方程式のもとにある・・・かに見られる。



25. この――人間と社会の基礎を成すと思われる――方程式を 上から
上手にあたかも完全犯罪のごとく利用し操縦するのは クウキ〔の支配〕と
言われる情況のことである。アマテラスお二階さんは 役者が一枚上なよう
である。




26. 意識〔するわれ〕の無二性は しかし どちらの社会においても
自由意志ないし意志による選択の自由にあると考えられます。



27. 《常識と違う指示が上から来た》からと言って 一つひとつの思索
と行動は おのれの意志にかかっているのだから 何もその自由度が 自死
の選択にあるというまでに行き着くとは 何とも言葉をなくします。

28. クウキという壁は そのクウキの指し示す内容と反対のことを 口
に出して言葉で言ってしまえば――《水をさせば》―― ただちに・一たん
は 消えます。