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哲学いろいろ

たましい・こころ・霊

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie



《たましい》は 多義的です。定義を連ねてみます。

 ○ たましい:
  (1) 身体組織としての感性 
  (2) こころ 
  (3) 霊

 ○ こころ:
  (1) 感覚を意識し 認識すること。また 認識した内容。 

  (2) いっさいの認識をもとにして 自己および他者あるいは世界に相い対するとき人間存在に生じるはたらき。
      これは 好悪の感情や喜怒哀楽の気持ちであったり こころ指し(志)であったり あるいは要するに 《わたし》という意識そのものであったりする。

  (3) さらには たましいが霊としても捉えられる場合がある。
      これは 肉(つまりこの場合 精神および身体を言う)をあたかも超えて伸び広がるかに思われるところがある。→《信じる》

 ○ 信じる(信仰):
   非経験思考のこと。すなわち 経験思考に非ざること。
   または 表象しえぬものをわざわざ思うこと。ただしその表象し得ぬものをも 言葉などその代理によって表象すると主張することがある。
   あるいは 絶対とわれとの関係。→《絶対》

 ○ 絶対:
   そういう想定である。経験的な相対世界を超えたところと規定し 想定する。思考を超えている。《考える》を超えるこころのはたらきは 《信じる》と呼ばれる。
 それは 有神論と無神論とに分かれる。どちらも 互いに同等である。信仰であり その形態が 有神と無神とで分かれるのみ。つまり《神がある》と言うのも《神がない》と言うのも ともに《信じる》の領域を捉えて言おうとしている。なぜなら 《絶対者》は表象しえぬゆえ。

 ○ 肉:
  (1)身体 
  (2)身体および精神 すなわち 経験的な存在の全体

 ○ 精神:
   こころのこと。特にこころの(2)のはたらきとして 基本的に 記憶・知解・意志の三つの行為能力を言う。
   ( a ) 記憶行為:
     精神の秩序。感性内容を意識し記憶する。意識内容を知解行為が
    加工したものをも記憶する。
     その組織・その過程。
     先験的に 存在じたい もしくは その自然本性じたいの秩序を
    司ると思われる。

   ( b ) 知解行為:
      記憶組織という宝庫から ものごとを捉えて認識し さらにあ
    らたな整合性をもった認識内容につくる。

   ( c ) 意志:
      大きく広く 直接的にせよ間接的にせよ 記憶および知解を行為
     するときに すでにそれらを促すように発動していると思われる。
      知解行為の結果から取捨選択しその内容を みづからの意志
     (おもむくところ)として判断し決定する。実行にも及ぶ。 

 ○ 三一性:
   これら記憶・知解および意志の三能力行為は 経験的・時間的な行為
  を為し 他者のそれらと 社会的な関係をむすぶ。
   このとき 時間的な隔たりを持って 三行為は けっきょくのところ
  一体性を有すると考えられる。
   社会形態(一般に国家)にあっては順番に 司法・立法および行政と
  いう役割にそれぞれ 相当する。

 ○ 三位一体:
   これは 《絶対》という表象しえぬものを 人間のことばという代理物で 仮りに表象し仮りに表現しようとしたもの。
    ・記憶能力が 父なる神。
    ・そこから生まれる知解行為が 子なる神。
    ・それら両者から発出するかのような意志行為が 聖霊なる神。

   絶対の領域では とうぜんながら 三つのものは 一体である。
   三つのそれぞれの個は全体と 全体は各個と 各個は各個と それぞ
  れ 等しい。無限の半分も無限であり 三分の一もやはり無限である。

 ○ 霊:
   《絶対》ないし《絶対者》のこと。

 ○ イエスはキリストである:
   霊なる神が 肉(精神および身体)になった。という物語。

 ○ 人間:
   このキリスト・イエスつまり 《かみ=ひと》 なる存在に似る存在
  者であるが それは 霊なる神を分有するというかたちだとされる。
   《絶対》によってあたかも指先でのように触れられている。または 
  その方向へ 〔こころの〕窓が開けられている。
   それが 《分有する》という意味である。

 ○ 人間は神の似像(にすがた)である:
   三位一体なる神のはなはだ不類似にしていくらかは類似する三一性を
  そなえた人間。
   この人間は 神にかたどって造られたと表現された。
   一定の社会形態(国家)も 三権の分立かつ協業というかたちで一種
  の三一性を有し 似姿の様相を呈している。
   ・光源としての父なる神 ∽ ひとの記憶行為  ∽  司法
   ・発耀としての子なる神 ∽ ひとの知解行為  ∽  立法
   ・明・暖としての聖霊なる神 ∽ ひとの意志行為 ∽ 行政

 《光源・発耀・その明るさや暖かさ》は 《光》として 三位一体です。ひとの《記憶・知解・意志》あるいは社会としての《司法・立法・行政》は 時間的なずれを伴なった三一性を持つと考えられます。
 これが 《ひとは 神のかたちに似せて造られた》という表現の意味だと思います。
 
 《たましい》に関して 哲学としては このような分類と認識になると考えます。文学的にはいろんなかたち あるいは神秘思想としてのかたちもあるかと思いますが 触れません。どうでしょう?

 * 《愛》は はなはだ抽象的な概念ですが 経験的な思考ないし行為として捉えるなら 《意志》の行為に当たると思われます。