caguirofie

哲学いろいろ

1. けっきょく《わたし》には ふたつの貌があるようです。

2. 《われに還る》というときのような素朴なわれと そして知識で着飾
り・誇りとも高ぶりとも見分けのつかないような香りをふんぷんと匂わせ・
中身がゆたかになったのかただ雑多な世間の知恵で膨れ上がったのか分から
ない《おのれ意識》とがあるようです。

3. 末那識の《マナス manas 》は 英語の《 mind 》と同じ語だと見ま
したが ラテン語系統の《 mens 》つまり英語にも入った《メンタル》とい
う語で捉えると分かりやすい。

4. いわゆるメンタルなことは マナ識ないしマインドとよぶ心的現象で
あるようだと。



5. ところで 昨今は メンタルと言えば そのヘルスのことについても
何かと話題にのぼり 議論が 展開されているようです。

6. つまり メンタル・ヘルスにかかわることは 《素朴なわれ》ではな
く《膨れ上がったおのれ意識》ゆえの現象なのか? それともあるいはむし
ろ 世間の風に当たり波にもまれた《素朴なわれ》においてこそ そういっ
たトラブルが発生すると見るべきか?

7. 《アース役》に――時に――ともなう傷でしょうか。



8. そう言えば サンスクリットの《 manas 》とやはり同源のギリシャ
語に《 mania 》がありました。そのまま日本語でも《マニア》です。執着
ないし我執と関係があるのでしょうか?

9. そう言えば ブディズムでも そういう気配が感じられますね。
▼(ヰキぺ:末那識) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3

第七識・末那識と相応するものは、

我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩、
作意・触・受・想・思の五遍行別境の慧
・・・(省略)・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

10. わたしの仮説では この《執着》関係の出来事は 例のヤマシサ(恥
づかしさ)反応の関数だと見ています。

11. 恥ぢをしのんでも・ということはしばしばヤマシサの警告を無視して 
心にさからってでも〔もうひとりの〕われの欲するものを求める強行軍を冒し
したときから 《こだわり》が芽を出し花をも咲かせるかに見られます。

12. こだわりのバイパスが開通したあとは 何かとその――恥づかしさを
繕うために――辻褄を合わせなくてはならなくなります。

13. ますます《おのれ意識》は 膨れ上がります。


men- (1) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

https://www.etymonline.com/word/*men-?ref=etymon

Sanskrit: manas-= "mind, spirit,"  
      matih = "thought,"  
      munih = "sage, seer;"

Greek:   memona = "I yearn, " 
      mania=  "madness," ・・・

Latin:   mens=   "mind, understanding, reason,"  
      memini = "I remember,"
      mentio=  "remembrance;"

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

末那識のマナスは 英語のマインドでありメンタルのことだと見ま
した。

消費マインドだとかインフレ・マインドとも言われていて 大きく
社会の仕組みにも広がって かかわりを持つようでもあります。

マナスないしマインド / メンタルは 幅広い意味を持つと見られま
す。



つまり 書き忘れたのは 言わば《意識しすぎ》た場合には 次の
ような一組の言葉も持たれるようになっていることです。

ギリシャ語:   mania = "madness,"
サンスクリット: munih = "sage, seer;"

つまり サンスクリットのほうは ほかでもなく 釈迦牟尼という
ときの《牟尼・ムニ》のことなわけです。



へぼ将棋の名人は マニア。
偉大なる哲学者の場合は ムニ。――と分かれるようですね。